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トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~イスタンブール歴史地域・トロイの古代遺跡・ハットゥシャ・ネムルト・ダウ・ヒエラポリス-パムッカレ・ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群・サフランボル市街・エディルネのセリミエ・モスクの建造物群~





トルコ 世界遺産 自然 世界複合遺産

トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産

「皆さんは、トルコ共和国へ行ったことがありますか?」
「いいえ、ありません。」

「トルコ共和国と言えば、トルコ共和国、通称トルコは、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国である。首都はアナトリア中央部のアンカラ。」

「中国やアメリカ、台湾へ行ったことがある人は、たくさんいるかも知れませんね。」
「そうですね。」

「しかし、トルコへ行ったことがある人は、いないかも知れませんね。」
「はい。」

「「トルコって何があるの?」、「トルコって何か観光するところあったっけ…」と思ってしまう人も、少なからずいると思われますので、ご紹介します。」
「お願いします。」

「まず、皆さんが一度は耳にしたことがある、世界遺産「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」ですね。」
「はい。」

「カッパドキアと言えば、中央アジアの歴史的地方、あるいはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。」

「ギョレメ国立公園と言えば、トルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。」

「この世界遺産の名前を見て、「そういえばカッパドキアってよく聞くけど何だろう…」と疑問を持たれる方も多いと思われますね。」
「そうですね。」

「カッパドキアとは、トルコの首都アンカラの南東にある「アナトリア高原」という高原の火山活動によってできたエリアのことを指しますよ。」
「はい。」

「アナトリア高原と言えば、トルコの国土の大部分をしめる高原である。平均高度約750m。」

「トルコの首都アンカラと言えば、トルコ共和国の首都である。人口約358万人(2003年)を抱える同国第2の都市で、アンカラ県の県都でもある。アナトリア半島中央部に位置する。」

「つまり、「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」というのは、火山地帯によって創り上げられた土地に、古くから残る遺跡のことですね。」
「そうなんだ。」

「独特の文化が発達したこのエリアは、世界各国から観光客が訪れる恰好の観光スポットになっていますよ。」
「はい。」

「ギョルメの岩窟教会の中には、独特の色彩感覚で描かれた宗教美術がありますよ。」
「はい。」

「キリスト教の壁画などが描かれている為、宗教美術への関心が高いキリスト教徒が訪れるスポットとしてもおなじみですね。」
「そうなんだ。」

「しかし、こういった世界遺産を紹介されても、「私は宗教美術には興味はないし、キリスト教徒でもないし、できれば誰にでも魅力が伝わりやすい自然遺産の方が…」と思われるかも知れませんね。」
「そうですね。」

「そういった方が多いと思われますよ。」
「はい。」

「トルコという国に、豊穣な大地をイメージしている方もかなり多いかと思われますね。」
「そうですね。」

「実は、トルコには自然遺産が一つもありませんよ。」
「そうなんですか。」

「「ヒエラポリス・パムッカレ」のような、広大なロケーションが広がる世界遺産はありますよ。」
「はい。」

「ヒエラポリス・パムッカレと言えば、トルコ西部・デニズリ県にあるユネスコの世界遺産(複合遺産)の登録名である。パムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、2世紀頃、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が存在した。現在は遺跡が残る。」

「しかし、この場所も自然遺産ではなく、あくまでも「複合遺産」ですよ。」
「そうなんですか。」

「自然のみを楽しむような場所にはなっていませんよ。」
「はい。」

「「ヒエラポリス・パムッカレ」などという名前の第一印象から、自然遺産だと思ってしまう方が多いようですね。」
「はい。」

「「ヒエラポリス」とは、「ヒエラポリス」という名前の「都市帝国(ポリス)」のことですよ。」
「そうなんだ。」

「「パムッカレ」は、「綿の宮殿」を意味する言葉ですね。」
「はい。」

「トルコ南西部のパムッカレと言えば、トルコ南西部のパムッカレ遺跡では、乳白色の石灰棚が連なる不思議な光景が見られます。これは石灰を含んだ湯が結晶化したものです。」

「つまり、質の良い綿の名産地ではあるけれど、都市(ポリス)でもあるというまさに複合的な世界遺産になっていますよ。」
「はい。」

「一石二鳥と言えば、そうなのです。」
「そうなんですか。」

「「完全に自然遺産というカテゴリーにあるもの」は、トルコにはありませんね。」
「はい。」

「そのようなものを求めるのであれば、他の国へ行くのが賢明かも知れませんね。」
「はい。」

「しかし、この世界遺産も大自然の偉業が感じられるような素晴らしい景観のスポットになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「圧倒されるような大自然を求めている方にも、きっと満足できると思われますよ。」
「はい。」

「特に、パノラマで真っ白な世界を見てみたいという方には、おススメですよ。」
「わかりました。」

「これらの世界遺産の周りには、様々な観光地が発展していますよ。」
「そうなんですか。」

「美味しい郷土料理が、食べられるようになっていますよ。」
「はい。」

「最近では、「サバサンド」と呼ばれる魚を挟んだサンドイッチが、かなり話題を呼んでいますよ。」
「はい。」

「「サバサンド」と呼ばれる魚を挟んだサンドイッチと言えば、トルコ語では「バルック・エキメック(魚パン)」と呼ばれ、パンにグリルしたサバを挟んだだけの、とてもシンプルなサンドイッチです。」

「気になる方は、是非食べてみましょう。」
「わかりました。」

「食べたいものが特になく、どのような料理があるか分からないという方は、とりあえずイスタンブールへ行ってみると、適当なレストランが見つかりますよ。」
「はい。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「イスタンブールは、強烈な個性を放っている街ですよ。」
「そうなんですか。」

「面白いものとたくさん出会える筈ですよ。」
「はい。」

「「予備知識がないし、トルコの言語がまったく分からないから不安になっている」という方には、「T-POP(トルコの音楽)」を使った勉強がおススメですよ。」
「わかりました。」

「「T-POP(トルコの音楽)」と言えば、トルコポップスのことである。洋楽と中近東の伝統音楽を合わせたような独自のサウンド。」

「若者向けのものが、多いかも知れませんね。」
「はい。」

「完成度が高いものばかりなので、音楽が好きな方は、是非聴いてください。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~イスタンブール歴史地域~

「トルコには、魅惑的なスポットが数多く点在していますよ。」
「そうなんですか。」

「中でもおススメなのは、世界遺産「イスタンブール歴史地域」ですよ。」
「はい。」

「この世界遺産は、トルコで最も大きい都市であるイスタンブールにある文化遺産ですよ。」
「そうなんだ。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「1985年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「イスタンブール歴史地域は、トルコの古い町並みをそのまま保存していますよ。」
「はい。」

「保存状態の高さから、各国でも人気の高い世界遺産となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「高い天井の建物が多く、独特の屋根が織りなす景観が非常に印象的な都市ですよ。」
「はい。」

「しっかりとした外装のバザール(市場)が開かれているため、古代のような印象はそこまで見られませんよ。」
「はい。」

「そのような印象よりも、不思議と現代的な印象の方が強いですよ。」
「そうなんですか。」

「ショッピングをしだすと止まらなくなるような、そんな商売意欲の感じられる、活気のある街ですよ。」
「はい。」

「トルコには、美味しいものがたくさんあるというイメージがどうも薄いようですね。」
「はい。」

「実際行ってみると、日本人の口に合うものが非常に多いことに驚かされますよ。」
「そうなんだ。」

「味付けもきつくありませんよ。」
「はい。」

「インドほど香辛料に頼っていないので、日本人の舌には丁度良いと思われますよ。」
「そうなんだ。」

「ガイドさんを連れて、ブルーモスクやアヤ・ソフィアなどのスポットを歩き、グランバザールやトプカプ宮殿、地下宮殿などを見ながら過ごすのが定番コースとなっていますよ。」
「そうなんですか。」

「地下宮殿と言えば、地下宮殿の通称で知られるバシリカ・シスタンは、トルコ共和国のイスタンブルにある東ローマ帝国の大貯水槽である。トルコ語では「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ 、あるいは「地下貯水池」を意味するイェレバタン・サルヌジュという名前で呼ばれている。」

「トプカプ宮殿と言えば、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿である。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。」

「グランバザールと言えば、カパルチャルシュは、トルコ・イスタンブルにあるバザールである。カパルチャルシュは「屋根付き市場」を意味する。日本では英語での名称である「グランドバザール」(Grand Bazar)とも呼ばれる。」

「アヤ・ソフィアと言えば、トルコのイスタンブルにある博物館である。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたものである。」

「ブルーモスクと言えば、青い外観を持つ一部のモスクの通称である。スルタンアフメト・モスクはトルコのイスタンブールを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブルの歴史地区の歴史的建造物群のひとつである。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。」

「初めての方は、ガイドさんをつけて歩いてみましょう。」
「わかりました。」

「イスタンブール歴史地域は、一日で歩くには広すぎる都市ですよ。」
「はい。」

「できれば、二日かけて色々な場所を回るのがおススメですね。」
「わかりました。」

「都市の中には、宮殿やモスクが点在していますよ。」
「はい。」

「いかにもトルコの象徴といった雰囲気がただよっていますよ。」
「はい。」

「少し散歩するだけで、「この国がトルコの文明の発祥の地なのだ」ということがよく体感できますよ。」
「そうなんだ。」

「トルコという国のことを知る為に観光に行くのであれば、やはり他の世界遺産よりもこの場所の方が適切と思われますよ。」
「はい。」

「言葉の問題で、最初は苦労するかも知れませんね。」
「はい。」

「しかし、トルコの人々は温厚な人が多いですよ。」
「そうなんだ。」

「話し掛ければ、たいていの人は優しく対応してくれますよ。」
「はい。」

「人の良い印象の国民が多く、美食も楽しめる街ですよ。」
「はい。」

「「ただ遺跡を見るだけで終わるような世界遺産では満足できない!」、「文化も見たいけど、美味しいものもたくさん食べ歩きたい!」という方には、やはりイスタンブールのような街がかなりおススメですね。」
「わかりました。」

「しかし、稀に窃盗目的で近づいてくる人もいますよ。」
「そうなんですか。」

「怪しい雰囲気の人には、くれぐれも注意してくださいね。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~トロイの古代遺跡~

「トルコは、西洋と東洋が交わる土地ですね。」
「そうですね。」

「地理的には、東ヨーロッパのバルカン半島東端と、西アジアのアナトリア半島を領域としていますね。」
「はい。」

「西アジアのアナトリア半島と言えば、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域である。現在はトルコ共和国のアジア部分をなす。」

「東ヨーロッパのバルカン半島と言えば、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分(マケドニア共和国、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)からなる地域である。」

「地中海・エーゲ海、また北の黒海から、東のアラビア・ユーラシアの地からと、様々な文化が流れ込みましたよ。」
「そうなんだ。」

「そのため、遺跡や文化財も時代や地域によって、多種多様ですよ。」
「はい。」

「その一つ、エーゲ海にある「トロイの古代遺跡」はギリシア文化で有名ですね。」
「そうですね。」

「神話のトロイの木馬の話が伝えられており、その発見にも有名なエピソードがありますよ。」
「はい。」

「神話のトロイの木馬と言えば、トロイアの木馬は、ギリシア神話に登場する装置である。トロイの木馬とも言われる。トロイア戦争において、トロイア(イーリオス)を陥落させる決め手となった。木でできており、中に人が隠れることができるようになっていた。 転じて、内通者や巧妙に相手を陥れる罠を指して「トロイの木馬」と呼ぶことがある。」

「1998年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されましたよ。」
「わかりました。」

「トロイア戦争とシュリーマンについてですが、「トロイ」の名を有名にしているトロイ戦争とトロイの木馬の話を簡単にしておきますね。」
「お願いします。」

「トロイ戦争と言えば、小アジアのトロイアに対して、ミュケーナイを中心とするアカイア人の遠征軍が行ったギリシア神話上の戦争である。トロイア、あるいはトローアスという呼称は、後の時代にイーリオス一帯の地域につけられたものである。」

「これは、ギリシア神話の話ですよ。」
「はい。」

「古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』に描かれ、ヨーロッパの絵画にも多く登場していますよ。」
「はい。」

「古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』と言えば、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩作品である。ギリシア神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写する。」

「最近では、ブラッド・ピットが主演した映画『トロイ』でご存じの方も多いでしょう。」
「そうですね。」

「ブラッド・ピットが主演した映画『トロイ』と言えば、架空の人間のドラマとしてのトロイア戦争を描いているが興行的には成功を収めている。」

「トロイと言えば、2004年のアメリカ映画である。古代ギリシアのトロイア戦争を元にした歴史戦争映画である。」

「神話では、ギリシアの神々の諍いを発端として、小アジア(アナトリア;現在のトルコ西部から中部)のトロイと、ミケーネを中心とするアカイア人(ギリシア人)が戦いますよ。」
「はい。」

「アカイア人(ギリシア人)と言えば、紀元前2000年頃テッサリア方面から南下してペロポネソス半島一帯に定住したとされる古代ギリシアの集団である。後に、その一部はイオニア人と呼ばれる様になった。」

「ミケーネと言えば、ギリシャ・ペロポネソス地方アルゴリダ県の都市である。ペロポネソス半島東部に位置する。1872年に、ハインリッヒ・シュリーマンによって遺跡が発掘され、古代ギリシア以前の文明が発見された。これは、この地の名をとってミケーネ文明と呼ばれる。」

「アナトリア(小アジア)と言えば、 トルコ共和国のアジア領に位置する半島である。小アジアともよばれる。」

「戦いは10年目に、一夜にしてトロイの木馬によって終わりましたよ。」
「そうなんですか。」

「アカイア人が残した木馬を城内に入れてしまったトロイ人は、勝利を信じて宴会をし、その夜に木馬から出てきたアカイア人達によってあっけなく滅亡してしまいますよ。」
「はい。」

「トロイ人と言えば、トロイ人たちとは、フランスの作曲家エクトール・ベルリオーズのオペラ『トロイアの人々』の別名である。」

「この話は、長く神話として知られていましたよ。」
「そうなんだ。」

「つまり、実際の歴史としては信じられていませんでしたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし19世紀に、この伝説の都市は実在すると信じたドイツのシュリーマンによって発見されましたよ。」
「はい。」

「シュリーマンと言えば、ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン(1822年1月6日 - 1890年12月26日)は、ドイツの考古学者、実業家である。幼少期に聞かされたギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアが実在すると考え、実際にそれを発掘によって実在していたものと証明した。」

「シュリーマンは、考古学者ではありませんでしたよ。」
「はい。」

「幼少の頃に感銘を受けた『イーリアス』に基づき、トロイの発見に情熱を注ぎましたよ。」
「そうなんだ。」

「「トロイの古代遺跡」の発見は、古代ギリシアの研究を飛躍的に進めましたよ。」
「なるほど。」

「世界遺産「トロイの古代遺跡」の見所についてですが、「トロイの古代遺跡」は、トルコ北西部のエーゲ海沿岸にありますね。」
「はい。」

「シュリーマンは、トロイ戦争(紀元前1200年頃)の遺跡を探しましたよ。」
「はい。」

「現在までの調査では、さらに古い時代まで遡ることが分かっていますよ。」
「そうなんですか。」

「最も古い層は紀元前3000年頃、その後8世紀のローマ時代までの各時代9層の都市が確認されましたよ。」
「はい。」

「遺跡の入口には、トロイの木馬の複製がありますよ。」
「はい。」

「遺跡内部は、トロイ戦争以前の都市である「イリオス(トロイの古代ギリシア語)の城壁跡や、高台のアクロポリス、神殿や劇場などを見学することができますよ。」
「そうなんだ。」

「高台のアクロポリスと言えば、高台にある遺跡ペルガモンは、標高335メートルの高台にある遺跡で、アクロポリスとは「 丘の上の神殿」という意味です。」

「トロイ戦争以前の都市である「イリオス(トロイの古代ギリシア語)」と言えば、ギリシア神話に登場する都市である。イリオン、トロイア、トロイ、トロヤなどとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南にあったとされる。遺跡の入り口には、あの有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。」

「順路に沿って進むと、1~2時間程度で回れるでしょう。」
「わかりました。」

「トロイとエーゲ海遺跡の観光についてですが、世界遺産「トロイの古代遺跡」へは、トルコ北西部の古都イスタンブールから南西の小さな港街ゲリボルに向かい、そこからフェリーに乗船しますよ。」
「はい。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「対岸からは、車又はバスでチャナッカレ、遺跡へと向かいますよ。」
「はい。」

「チャナッカレと言えば、トルコ共和国の行政区、チャナッカレ県の県都であり、国土の北西に位置する。この県はアジア・ヨーロッパにまたがる県域を持ち、ダーダネルス海峡に隔てられており、海峡交通の要所である。」

「西部のイズミルからエーゲ海沿いに北上し、ヘレニズム時代に繁栄した名高い都市「ペルガモン遺跡」を経由して観光するコースも人気ですね。」
「そうなんだ。」

「ペルガモン遺跡と言えば、ペルガモン遺跡は、トルコで一番有名な遺跡です。主なものはヒットラーがベルリンに持ち去りました。(世界遺産「ペルガモン博物館」)。現在、トルコのペルガモンにはヒラオン跡、アテナ神殿跡、トラヤヌス神殿、円形劇場、図書館跡などが残っています。」

「ヘレニズム時代と言えば、ヘレニズム時代は、アレクサンドロスの死亡(紀元前323年)からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(紀元前30年)するまでの約300年間を指す。」

「イズミルと言えば、エーゲ海に面するトルコの都市である。古くはスミュルナと呼ばれた。イスタンブルに次いでトルコ第2の規模の港湾施設を持つ港湾都市で、人口ではイスタンブル、アンカラに次ぐトルコ第3の都市である。」

「イスタンブールもイズミルも、空港がありますよ。」
「はい。」

「どちらかの都市を選んで、合わせて観光するプランをたてることをおススメします。」
「わかりました。」

「エーゲ海の遺跡は、上記の「トロイの古代遺跡」と「ペルガモン遺跡」の他に、「アッソス遺跡」もおススメですね。」
「はい。」

「アッソス遺跡と言えば、トルコのエーゲ海沿岸には数々のギリシャ時代の遺跡が残っています。アッソス遺跡は、村の古い石畳の坂道を登り切ったところにあるアクロポリスと、その下に位置するアゴラや劇場、ネクロポリスなどからなる遺跡です。」

「ペルガモン遺跡と言えば、ペルガモン遺跡は、トルコで一番有名な遺跡です。主なものはヒットラーがベルリンに持ち去りました。(世界遺産「ペルガモン博物館」)。現在、トルコのペルガモンにはヒラオン跡、アテナ神殿跡、トラヤヌス神殿、円形劇場、図書館跡などが残っています。」

「ここのアクロポリスからのエーゲ海の眺めは絶景ですよ。」
「そうなんだ。」

「朝日を見ると、荘厳な古代の息吹に触れることができるかも知れませんよ。」
「はい。」

「アッソスは近年ビーチリゾートとしても人気がありますよ。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~ハットゥシャ~

「トロイの古代遺跡がエーゲ海にあり、ヨーロッパの歴史の流れの中にあったのに対し、内陸部であるアナトリア高原では古代、ヒッタイト王国がありましたよ。」
「そうなんですか。」

「ヒッタイト王国と言えば、ヒッタイトは、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。」

「アナトリア高原と言えば、トルコの国土の大部分をしめる高原である。平均高度約750m。」

「その遺跡が、トルコの首都アンカラから東のボアズカレ近郊にありますよ。」
「はい。」

「ボアズカレと言えば、トルコの小村である。クズル・ウルマック川に抱かれた村。旧名はボアズキョイといった。現在はチョルム県ボアズカレ郡に属する。トルコの首都アンカラの東150kmにありアナトリア高原のほぼ中央部である。ボアズカレが紀元前16 - 14世紀の古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャと確認されたのは、1906年のことであり、以来100年余り発掘はゆっくり続けられている。」

「トルコの首都アンカラと言えば、トルコ共和国の首都である。人口約358万人(2003年)を抱える同国第2の都市で、アンカラ県の県都でもある。アナトリア半島中央部に位置する。」

「王国の首都ハットゥシャの遺跡ですよ。」
「はい。」

「王国の首都ハットゥシャと言えば、ハットゥシャは、首都アンカラの東約150kmにある遺跡で、紀元前17~前13世紀に栄えたヒッタイト王国の都である。ヒッタイトは中央アジアから移住してきた人々で、鉄製の武器を使用して勢力を拡大した騎馬民族である。」

「1906年に発見され、1986年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「謎めくヒッタイトについてですが、ヒッタイト王国は、アナトリア高原に紀元前18世紀頃興り、紀元前1180年頃に亡んだと考えられていますよ。」
「そうなんですか。」

「最盛期であった紀元前14世紀頃には、版図を大きく広げてエジプトと国境を接した時期もありましたよ。」
「そうなんだ。」

「古代史の中で、ヒッタイトの名が広く知られるのは、紀元前1274年のカデシュの戦いによるものですね。」
「はい。」

「カデシュの戦いと言えば、紀元前1274年にシリアのオロンテス川一帯で起きた、古代エジプトとヒッタイトの戦いである。史上初の公式な軍事記録に残された戦いであり、成文化された平和条約が取り交わされた史上初となる戦いであるともいわれている。」

「古代エジプトのラムセス2世(大王)と、シリアにおいて対決したヒッタイト王国は、史上初の成文化された平和条約を取り交わしていますよ。」
「そうなんですか。」

「古代エジプトのラムセス2世(大王)と言えば、ラムセス2世(ラムセス大王、紀元前1314年頃 - 紀元前1224年、または紀元前1302年頃 - 紀元前1212年)は、古代エジプト第19王朝のファラオ。年代には諸説あるが、24歳で即位し、66年間統治し、90歳で没したとされる。」

「しかし、この王国は依然として謎が多く、どこから来て、どのように滅亡したのか、諸説がありますよ。」
「はい。」

「先の平和条約がエジプトで発見されていましたよ。」
「はい。」

「しかし、アナトリアでの確認がとれず、20世紀のハットゥシャの発見までは、幻の民と言われたほどですよ。」
「そうなんだ。」

「アナトリア(小アジア)と言えば、 トルコ共和国のアジア領に位置する半島である。小アジアともよばれる。」

「1906年にドイツのヴィンクラーが、エジプトにあった平和条約の対となる粘土板が発見し、その存在と王都が確認されましたよ。」
「はい。」

「ドイツのヴィンクラーと言えば、ドイツ人考古学者ヴィンクラーがヒッタイト を発見した。」

「現在では、ヒッタイト語の解読も進み、徐々にいろいろなことが分かってきていますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産「ハットゥシャ」の見所についてですが、「ハットウシャ」は、首都アンカラから145kmのボアズカレ国立公園内にありますよ。」
「はい。」

「ボアズカレ国立公園と言えば、ボアズカレ国立公園内には初期ヒッタイトの主要な遺跡がある。ライオンが門柱に彫られているライオンの門、ヒッタイトの都市ハトウシャスを取り囲む城壁の門、王の門なども残っている。」

「トルコの首都アンカラと言えば、トルコ共和国の首都である。人口約358万人(2003年)を抱える同国第2の都市で、アンカラ県の県都でもある。アナトリア半島中央部に位置する。」

「標高1000mのアナトリア高原に城壁を巡らした都市でしたよ。」
「高い所にあったのですね。」

「現在でも、王の門、ライオンの門、イェル・カプ(大地門;地下道)などが残っており、城壁の一部も復元されていますよ。」
「はい。」

「ハットウシャは、「神殿の街」とも呼ばれる宗教都市ですよ。」
「はい。」

「70以上の神殿の中に、大神殿の遺構もありますよ。」
「たくさんあるんですね。」

「ハットウシャのアクロポリスには、王宮や公文書館などもありますよ。」
「はい。」

「1万枚近くの粘土板文書が発見されていますよ。」
「そうなんだ。」

「前述の平和条約も、ここで発見されましたよ。」
「貴重ですね。」

「「ハットゥシャ」で最も高い位置にあるのが、王の門ですよ。」
「はい。」

「王国の首都ハットゥシャと言えば、ハットゥシャは、首都アンカラの東約150kmにある遺跡で、紀元前17~前13世紀に栄えたヒッタイト王国の都である。ヒッタイトは中央アジアから移住してきた人々で、鉄製の武器を使用して勢力を拡大した騎馬民族である。」

「ここから都市の遺跡が一望できますよ。」
「そうなんだ。」

「アンカラと古代ヒッタイト観光についてですが、「ハットウシャ」へは、首都アンカラからの日帰りバスツアーに参加するのが、一般的ですね。」
「はい。」

「ハットウシャのあるボアズカレまで、バスで3~4時間かかりますよ。」
「はい。」

「ボアズカレと言えば、トルコの小村である。クズル・ウルマック川に抱かれた村。旧名はボアズキョイといった。現在はチョルム県ボアズカレ郡に属する。トルコの首都アンカラの東150kmにありアナトリア高原のほぼ中央部である。ボアズカレが紀元前16 - 14世紀の古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャと確認されたのは、1906年のことであり、以来100年余り発掘はゆっくり続けられている。」

「ハットウシャに向かう前に、アンカラ市内にある「アナトリア文明博物館」に寄るのをおススメします。」
「わかりました。」

「アナトリア文明博物館と言えば、トルコ中央部に位置するアナトリア地方の文明、特にヒッタイト時代の遺物を中心とした収蔵物で世界的に知られる博物館である。」

「トルコの首都アンカラと言えば、トルコ共和国の首都である。人口約358万人(2003年)を抱える同国第2の都市で、アンカラ県の県都でもある。アナトリア半島中央部に位置する。」

「ヒッタイト王国の収蔵品で有名な博物館ですよ。」
「はい。」

「ヒッタイト王国と言えば、ヒッタイトは、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。」

「ハットウシャの遺跡から移築して保存しているものもありますよ。」
「そうなんですか。」

「まずはここを見学して、歴史に触れると、遺跡見学が一層楽しくなると思いますよ。」
「なるほど。」

「「ハットゥシャ」の見学が終わったら、そのそばにある「ヤズルカヤ遺跡」も合わせて見学するのもおススメですよ。」
「わかりました。」

「ヤズルカヤ遺跡と言えば、ヤズルカヤとは文字のある岩という意味で、天然の岩を利用した古代ヒッタイト王国の首都ハットゥシャの聖所だった場所です。巨大な岩石に囲まれた中に神殿がありました。」

「王国の首都ハットゥシャと言えば、ハットゥシャは、首都アンカラの東約150kmにある遺跡で、紀元前17~前13世紀に栄えたヒッタイト王国の都である。ヒッタイトは中央アジアから移住してきた人々で、鉄製の武器を使用して勢力を拡大した騎馬民族である。」

「紀元前13世紀に、岩場を利用して作られたパンテオン(神殿)には、ヒッタイトの神々のレリーフが良い状態で残っていますよ。」
「いいですね。」

「さらに足を伸ばすなら、ボアズカレの北にある「アラジャ・ホユック」もありますよ。」
「はい。」

「ボアズカレの北にある「アラジャ・ホユック」と言えば、宗教都市アリンナと推測されるアラジャホユックです。ボアズカレ北35㎞の小さな村にある遺跡です。」

「紀元前4000年頃の青銅器時代からのヒッタイト時代の遺構ですよ。」
「そうなんだ。」

「ハットウシャに比べると小さな遺跡ですよ。」
「はい。」

「スフィンクスの門や神殿跡、地下通路があり、レリーフも残されていますよ。」
「はい。」

「この遺跡から発掘されたヒッタイトの金や青銅の出土品は、前述の博物館に収蔵されていますよ。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~ネムルト・ダウ~

「トルコの北西部にはエーゲ海に広がる文明の流れにある「トロイ」、中央部には黒海から来たと言われるヒッタイト人による「ハットウシャ」、南東部には「コンマゲネ」がありますよ。」
「はい。」

「コンマゲネと言えば、現在のトルコ共和国の南東部、シリアとの国境沿いの古代アルメニアの地名である。一時期は「コンマゲネ王国」として独立し、首都をユーフラテス川沿いのサモサタに置き、現在でも繁栄の跡をネムルト山にある「ネムルト・ダウ遺跡」として見ることが出来る。」

「東のペルシアの影響を受け、東西の文化が混在した文化ですよ。」
「そうなんだ。」

「その象徴が、ネムルト山にありますよ。」
「はい。」

「ネムルト山と言えば、トルコ東部の標高2,134 mの山である。アディヤマン近郊のキャフタから40km 北に位置している。ネムルト山の山頂には、コンマゲネ王国の王アンティオコス1世が紀元前62年に建てた、王自身の座像を含む8 - 9 m の巨大像が並ぶ巨大墳墓があるとされているが、現在でも埋葬施設が発見されていない。」

「その山頂に、コンマゲネ王の巨大墳墓と巨大像の威容が19世紀に発見されましたよ。」
「そうなんだ。」

「コンマゲネ王と言えば、アンティオコス1世テオス・ディカイオス・エピパネス・ピロロマイオス・ピルヘレン(「公正にして偉大なる神、ローマ人の友人、ギリシャ人の友人アンティオコス」、在位:紀元前69年-紀元前36年)は、ヘレニズム時代のアナトリア半島南東部コンマゲネ王国の王である。ネムルト山墳墓の築造で知られる。」

「1987年には「ネムルト・ダウ」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「ネムルト・ダウと言えば、トルコ南東部の山である。標高2150メートル。首都アンカラの東約600キロメートルに位置する。紀元前1世紀頃、同地方を支配したコンマゲネ王国のアンティオコス1世の墳墓があり、王の像とともに、ゼウス、アポロン、ヘラクレス、テュケなどの神々の像が並んでいた跡が残る。」

「ギリシアとペルシアが交わるコンマゲネについてですが、「コンマゲネ」は、現在のトルコ南東部のシリアとの国境地帯の古代の呼び名ですよ。」
「はい。」

「アッシリア王国(現イラク北部に発祥し、一時はオリエント一帯を征服)の支配下に、その後はメディア王国(イラン北西部)、アケメネス朝ペルシアの支配下に入りましたよ。」
「そうなんですか。」

「アケメネス朝ペルシアと言えば、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」

「メディア王国(イラン北西部)と言えば、メディア王国(紀元前715年頃 - 紀元前550年頃)は、2013年現在のイラン北西部を中心に広がっていたメディア人の王国である。首都はエクバタナで、アッシリアが紀元前612年頃崩壊し、その後影響力を拡大したエジプト、リュディア、新バビロニア(カルデア)とともに当時の大国となった。」

「オリエントと言えば、古代オリエントとは、現在の中東地域に興った古代文明である。これには、古代エジプト、古代メソポタミア(現在のイラクやシリア)、古代ペルシア(現在のイランやアフガニスタン)などが含まれ、時期としてはシュメールが勃興した紀元前4千年紀から、アレクサンドロス3世(大王)が東方遠征を行った紀元前4世紀頃までが相当する。」

「しかし、紀元前4世紀にアレクサンダー大王の東征により、アケメネス朝が亡ぼされますよ。」
「はい。」

「アレクサンダー大王と言えば、アレクサンドロス3世(在位紀元前336年 - 紀元前323年)、通称アレクサンドロス大王は、アルゲアデス朝のマケドニア王王、コリント同盟(英語版)(ヘラス同盟)の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。」

「大王死後に成立したヘレニズム諸国の一つ、セレウコス朝ペルシアの一州となりましたよ。」
「はい。」

「セレウコス朝ペルシアと言えば、セレウコス朝(紀元前312年 - 紀元前63年)は、アレクサンドロス大王のディアドコイ(後継者)の一人、セレウコス1世ニカトルがオリエント地方に築いた王国である。セレウコス帝国またはセレウコス朝シリアと表記される事もある。はじめメソポタミア(イラク)地方に興り、シリア、アナトリア、イランなどにまたがる広大な領域を支配した。長くアンティオキアを首都とした。」

「ヘレニズム諸国と言えば、アレクサンドロスの帝国の流れを汲む国はヘレニズム諸国と呼ばれます。」

「紀元前162年、コンマゲネは王国として独立しますよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、これは短い期間であり、今度はローマ帝国へと編入されましたよ。」
「はい。」

「王国であった全盛期に、国王はネムルト山の山頂に巨大な墳墓を築きましたよ。」
「はい。」

「これが世界遺産となっている「ネムレット・ダウ」ですよ。」
「わかりました。」

「世界遺産「ネムレット・ダウ」の見どころについてですが、「ネムレット・ダウ」は、標高2134mのネムレト山の山頂にありますよ。」
「高いですね。」

「紀元前1世紀、コンマゲネ王アンティオコス1世によって作られた円錐状に積み上げられた墳墓は、直径150m、高さ50mもある巨大なものですよ。」
「大きいですね。」

「墳墓といっても、現在まで内部の発掘をしていませんよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、王の墓所か、宗教儀式の場かは、正確には分かっていませんよ。」
「そうなんですか。」

「ネムレット・ダウを有名にしているのは、巨大像の存在ですね。」
「はい。」

「墳墓は鷹と鷲、ライオンの像に守られていますよ。」
「そうなんですか。」

「王の座像やギリシア・ペルシアの神像もありますよ。」
「はい。」

「像はヘレニズムの特徴を持っていますよ。」
「はい。」

「ギリシアの彫像のような顔に、ペルシア風の髪型や服装となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、神像は全て首がありませんよ。」
「どうしてですか?」

「一説では、地震で落ちたとも、偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒によるものとも言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、落ちた頭部は、墳墓の下のテラスに並んで立っていますよ。」
「そうなんですか。」

「ネムレット・ダウの景観を特殊なものにしていますよ。」
「そうですね。」

「人の背丈ぐらいの高さのある頭部が朝日や夕陽を浴びる時、赤く染まる巨像たちの穏やかな表情に、古代のロマンを感じる人も多く、人気の観光地ですよ。」
「わかりました。」

「ネムレット・ダウの地理と観光についてですが、「ネムレット・ダウ」のあるネムルト山へは、朝日や夕陽を見たいなら、麓の街キャフタに宿泊するのがおススメですよ。」
「はい。」

「麓の街キャフタと言えば、ネムルート山の麓の町である。」

「ネムルト山と言えば、トルコ東部の標高2,134 mの山である。アディヤマン近郊のキャフタから40km 北に位置している。ネムルト山の山頂には、コンマゲネ王国の王アンティオコス1世が紀元前62年に建てた、王自身の座像を含む8 - 9 m の巨大像が並ぶ巨大墳墓があるとされているが、現在でも埋葬施設が発見されていない。」

「アンカラから飛行機でマラテヤ空港へ、そこからタクシーなどで移動しますよ。」
「はい。」

「トルコの首都アンカラと言えば、トルコ共和国の首都である。人口約358万人(2003年)を抱える同国第2の都市で、アンカラ県の県都でもある。アナトリア半島中央部に位置する。」

「キャフタのホテルでは、「ネムレット・ダウ」へのツアーがありますよ。」
「そうなんだ。」

「個人で訪れた場合は、それに参加すると良いでしょう。」
「わかりました。」

「ヘリコプターによる観光もありますよ。」
「そうなんですか。」

「春から秋までが、観光シーズンですよ。」
「はい。」

「山頂に上がりますので、特に朝日や夕陽のツアーに参加するなら、夏がベストシーズンでしょう。」
「わかりました。」

「不便な所にありますので、長時間の移動を覚悟しなければなりませんよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、ミステリアスな光景に魅了される方も多い所ですよ。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~ヒエラポリス-パムッカレ~

「トルコ南西部のパムッカレは、ローマ帝国時代から名高い温泉保養地ですよ。」
「そうなんですか。」

「トルコ南西部のパムッカレと言えば、トルコ南西部のパムッカレ遺跡では、乳白色の石灰棚が連なる不思議な光景が見られます。これは石灰を含んだ湯が結晶化したものです。」

「現在も、ローマ時代の遺跡が残っていますよ。」
「はい。」

「この地が多くの観光客を引きつけるのは、その景観ですね。」
「そうなんですか。」

「雪のように真っ白な石灰の棚丘に静かに流れる温水は、幻想的で、大自然の神秘ですね。」
「そうなんだ。」

「1988年には、「ヒエラポリス-パムッカレ」として、ユネスコの世界遺産(複合遺産=文化遺産と自然遺産)に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「小アジア(アナトリア)史についてですが、小アジア(アナトリア;現在のトルコ西部から中部)は、西にエーゲ海、南に地中海を臨み、東にはシリアに接していますよ。」
「はい。」

「アナトリア(小アジア)と言えば、 トルコ共和国のアジア領に位置する半島である。小アジアともよばれる。」

「現在はトルコとなっていますが、この地は元々トルコ民族がいませんでしたよ。」
「そうなんですか。」

「前述のヒッタイト王国を始めとして、さまざまな王国が勃興しましたよ。」
「そうなんだ。」

「ヒッタイト王国と言えば、ヒッタイトは、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。」

「特にエーゲ海や地中海沿岸地域は、文化的にはギリシア文化からヘレニズム、ローマ文化へと、ヨーロッパの文化が浸透していましたよ。」
「はい。」

「紀元前2世紀には、ローマの属州となりましたよ。」
「はい。」

「ちなみに「小アジア」とは、ローマ時代の属州の名前が「アジア」でしたよ。」
「そうなんですか。」

「後に、広く東方世界全体をアジアと呼ぶようになりましたよ。」
「そうなんだ。」

「そのため、区別して本来の「アジア」は、「小アジア」と呼ばれるようになりましたよ。」
「わかりました。」

「「パムッカレ」には、2世紀にローマ帝国の都市であるヒエラポリスが建設されましたよ。」
「はい。」

「ローマ皇帝も愛した温泉保養地として、栄えましたよ。」
「そうなんだ。」

「1354年の大地震により、廃墟となり放棄されてしまいましたよ。」
「はい。」

「小アジアの歴史に戻ると、ローマ帝国の分裂の後、東ローマ帝国(後にビザンチン帝国)の支配下となりましたよ。」
「はい。」

「東ローマ帝国(後にビザンチン帝国)と言えば、東ローマ帝国またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。」

「トルコ民族が小アジアに来たのは11世紀、中央アジアで興ったセルジューク朝の侵入の頃ですね。」
「そうなんですか。」

「セルジューク朝と言えば、11世紀から12世紀にかけて現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝である。大セルジューク朝は1038年から1157年まで続き、最後の地方政権のルーム・セルジューク朝は1308年まで続いた。」

「中央アジアで興ったセルジューク朝と言えば、中央アジアに起こったトルコ民族の国家で、トルコ系 初のイスラーム王朝となる。」

「そして、13世紀に小アジアにオスマン・トルコ帝国が興り、共和国が誕生する20世紀まで続きましたよ。」
「わかりました。」

「オスマン・トルコ帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。」

「世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ」の見所についてですが、「ヒエラポリス-パムッカレ」は、温泉リゾートとして、また大自然の景観を楽しむ「パムッカレ」の観光と、ローマ時代の遺物・遺跡を楽しむ「ヒエラポリス」の観光の二つの楽しみがありますよ。」
「そうなんですか。」

「特に「パムッカレ」の景観は、一度は見ておきたいですね。」
「そうなんだ。」

「「パムッカレ」とは、トルコ語で「綿の城」という意味ですよ。」
「はい。」

「その名の如く、純白の雪が降り積もった丘のような石灰の棚と、温泉が静かにわき出て流れる様子は、青い空の下でも実に魅惑的な景色ですよ。」
「そうなんだ。」

「特に、夕陽に沈む頃に赤く染まる石灰棚は、絶景と言われていますよ。」
「いいですね。」

「温泉に入ることはできませんが、素足で歩くことができますよ。」
「はい。」

「一方の「ヒエラポリス」は、ローマ様式の神殿や劇場、ネクロポリス(共同墓地)が見学することができますよ。」
「はい。」

「ネクロポリス(共同墓地)と言えば、巨大な墓地または埋葬場所である。語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)。大都市近郊の現代の共同墓地の他に、古代文明の中心地の近くにあった墓所、しばしば人の住まなくなった都市や町を指す。」

「ローマ浴場の一部を修復した建物は、考古学博物館となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「古の気分を味わいたい人には、「パムッカレ・テルマル」もおススメですよ。」
「はい。」

「温泉の底にローマ遺跡が沈んでいる遺跡プールですよ。」
「そうなんですか。」

「遺跡や石灰棚の見学の跡に、温泉につかると、一層楽しいでしょう。」
「そうですね。」

「ここでは、タオルと水着が必須ですよ。」
「わかりました。」

「パムッカレの地理と観光についてですが、世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ」へは、近くの都市デニズリを拠点にするのが便利ですよ。」
「そうなんですか。」

「都市デニズリと言えば、トルコの都市である。トルコはヨーロッパとアジアの交差点に位置し、イスラム王朝の華麗なる遺産が残っています。「神の知恵」を意味するという大聖堂・アヤソフィアや歴代スルタンによる世界有数のコレクションを誇るトプカプ宮殿など、歴史的建造物が多く点在します。」

「イスタンブールからは、飛行機や長距離バスで行くことができますよ。」
「はい。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「パムッカレへは、車で30分程度ですよ。」
「はい。」

「トルコ南西部のパムッカレと言えば、トルコ南西部のパムッカレ遺跡では、乳白色の石灰棚が連なる不思議な光景が見られます。これは石灰を含んだ湯が結晶化したものです。」

「バスやタクシーなどが便利でしょう。」
「わかりました。」

「デニズリは、ホテルや公園が整っていますよ。」
「はい。」

「アタチュルク民俗学博物館や、ショッピングでは、カレイチチャルシュスでお土産を買うこともできますよ。」
「はい。」

「カレイチチャルシュスと言えば、カレイチチャルシュスでは、お土産として銅製品や宝石、タオル、シルクのブラウスが売られています。」

「アタチュルク民俗学博物館と言えば、現在のデニズリは、広い道に公園やホテルが整った町です。町の中心にあるアタチュルク民族学博物館には民芸品や工芸品が展示されています。」

「もっと温泉地を楽しみたいのなら、パムッカレからバスで10分ぐらいにカラハユット村という温泉地がありますよ。」
「そうなんだ。」

「高級なホテル、ペンション、市営の温泉施設もありますよ。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群~

「カッパドキアは、南北50kmにも及ぶエリアを指しますよ。」
「広いですね。」

「カッパドキアと言えば、中央アジアの歴史的地方、あるいはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。」

「中でも、ネヴシェル、ユルギュップ、ギョレメ、アヴァノス、カイマクルの街が、人気の観光地ですよ。」
「はい。」

「カイマクルと言えば、トルコのカッパドキア地方にある町である。地下8層に及ぶ地下都市跡がある。内部には教会、学校、ワイナリー、食料貯蔵庫などが作られ、約2万人が暮らしたと考えられている。 各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。」

「アヴァノスと言えば、アヴァノス ( Avanos )はカッパドキア地方の都市である。川の底土から良質な粘土が採れることから陶器作りの盛んな場所。」

「ギョレメと言えば、ギョレメ国立公園はトルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。」

「ユルギュップと言えば、トルコ共和国の行政区、ネヴシェヒル県の南部にあり、国土の中央部に位置する。カッパドキアの観光拠点であり、またトルコの経済的要所でもある。そしてトルコ中部における軍事的拠点でもあり、比較的大きな町である。その為、諸外国の観光客でバーは賑わっている。ユルギュップのきのこ岩(妖精の煙突)と言われる代表的な岩がある。」

「特にギョレメは、野外博物館に岩窟教会や礼拝堂が集まっており、カッパドキアで最も有名なスポットですよ。」
「そうなんだ。」

「この有名な文化遺産と、この地の奇岩群のあるギョレメ国立公園を「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」として、1985年にユネスコの世界遺産(複合遺産=文化遺産と自然遺産)に登録されましたよ。」
「はい。」

「ギョレメ国立公園と言えば、トルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。」

「カッパドキアのキリスト教についてですが、古代ローマ帝国の悪名高い皇帝ネロは、西暦64年、キリスト教徒の迫害を始めましたよ。」
「はい。」

「古代ローマ帝国の悪名高い皇帝ネロと言えば、ローマ帝国の第5代皇帝である。暴君ネロというと残虐 非道、贅沢三昧淫乱放蕩と悪名にこと欠かない皇帝です。」

「その後も、迫害は313年に公認されるまで、200年以上続きましたよ。」
「長期間ですね。」

「迫害を逃れたキリスト教徒は、3世紀の半ばには小アジア(アナトリア)に至り、山中のカッパドキアの奇岩の洞窟に教会や住居を作って暮らし始めましたよ。」
「そうなんですか。」

「アナトリア(小アジア)と言えば、 トルコ共和国のアジア領に位置する半島である。小アジアともよばれる。」

「7世紀後半になると、今度はイスラム勢力が台頭してきましたよ。」
「はい。」

「そのため、カッパドキアに隠れるキリスト教徒はさらに増え、最盛期には6万人に達したと考えられていますよ。」
「多いですね。」

「カッパドキアには地下都市が発達し、確認されたものだけで300ヶ所以上ありますよ。」
「そんなにあるんですか?」

「そのうち最大規模のものになると、1万5000人が居住する都市がありましたよ。」
「規模が大きいですね。」

「岩窟修道院や教会も数多く作られ、素晴らしい壁画が施されていますよ。」
「はい。」

「洞窟内のため光が射し込まず、現在まで保存状態が良く、美術的価値の高いものが多いのも特徴ですよ。」
「いいですね。」

「20世紀に入り、ギリシアと戦争したトルコは、条約を調印し、ギリシア内のイスラム教徒と、トルコ内のキリスト教徒(東方正教会)の交換が行われましたよ。」
「そうなんですか。」

「東方正教会と言えば、ビザンティン帝国のキリスト教会を起源とする一連の教会の総称である。カルケドン信条を教義の基盤とするので,東方のカルケドン派教会と呼ぶこともできる。日本ではギリシア正教の名称がよく用いられるが,これは現在のギリシアの正教会(ギリシア正教会)と混同されるおそれがある。」

「それを機に、カッパドキアにはキリスト教徒が姿を消しましたよ。」
「わかりました。」

「世界遺産「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」の見所についてですが、「カッパドキア」の見所は、歴史や美術的には初期キリスト教の遺跡や地下都市、そしてピンクがかったベールの岩肌がいくつもそびえ立つ奇岩のミステリアスな風景ですね。」
「そうなんですか。」

「カッパドキア全体は、広いエリアですよ。」
「そうなんだ。」

「じっくり観光したいなら、宿泊して何カ所も車で移動する必要がありますよ。」
「はい。」

「最も有名なのは、世界遺産のギョレメ国立公園内の「ギョレメ野外博物館」ですよ。」
「はい。」

「ここには、約30の岩窟教会・礼拝堂・修道院が集まっていますよ。」
「そうなんだ。」

「特に、カランルク・キリセ(暗闇の聖堂)のフレスコ画は、最も保存状態も良く鮮やかで素晴らしいものですよ。」
「はい。」

「カランルク・キリセ(暗闇の聖堂)と言えば、ギョレメ国立公園内の「ギョレメ野外博物館」には約30の岩窟教会・礼拝堂・修道院が集まっています。特にカランルク・キリセ(暗闇の聖堂)のフレスコ画は、最も保存状態も良く鮮やかで素晴らしいものです。」

「トカル・キリセ(バックルの聖堂)は、カッパドキア最大の規模を誇り、青を基調とした鮮やかなフレスコ画も印象的ですよ。」
「わかりました。」

「カッパドキアの街の地理と観光についてですが、「カッパドキア」は広く、街も見所が点在していますよ。」
「そうなんですか。」

「ツアーに参加するか、拠点となる地元の街に滞在するのがおススメですよ。」
「わかりました。」

「ここでは、ギョレメ以外も簡単にご紹介しましょう。」
「お願いします。」

「まずは、カッパドキアの入口の街「ネヴシェル」ですね。」
「はい。」

「イスタンブールから飛行機で来ることができますよ。」
「はい。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「ここからギョレメに向かうと良いでしょう。」
「わかりました。」

「街の観光もおススメですよ。」
「はい。」

「街の一番高い丘には、セルジューク朝時代の城やモスクなどの歴史的建造物がありますよ。」
「そうなんだ。」

「中央アジアで興ったセルジューク朝と言えば、中央アジアに起こったトルコ民族の国家で、トルコ系 初のイスラーム王朝となる。」

「次は、「ユルギュップ」ですよ。」
「はい。」

「ユルギュップと言えば、トルコ共和国の行政区、ネヴシェヒル県の南部にあり、国土の中央部に位置する。カッパドキアの観光拠点であり、またトルコの経済的要所でもある。そしてトルコ中部における軍事的拠点でもあり、比較的大きな町である。その為、諸外国の観光客でバーは賑わっている。ユルギュップのきのこ岩(妖精の煙突)と言われる代表的な岩がある。」

「カッパドキアの観光拠点としては、ギョレメと共に人気があり、観光客で賑わう街ですよ。」
「はい。」

「「妖精の煙突」といわれる奇岩の中でも、ユルギュップのキノコ岩は特に有名ですね。」
「そうですね。」

「ユルギュップのキノコ岩と言えば、ユルギュップは、カッパドキアの観光拠点であり、またトルコの経済的要所でもある。そしてトルコ中部における軍事的拠点でもあり、比較的大きな町である。その為、諸外国の観光客でバーは賑わっている。ユルギュップのきのこ岩(妖精の煙突)と言われる代表的な岩がある。」

「「妖精の煙突」といわれる奇岩と言えば、カッパドキアの奇岩は「ペリバジャ=妖精の煙突」と呼ばれている。そんな妖精の国のまん中に滞在できるのがカッパドキアの魅力です。」

「10月には国際ワイン協議会が開催され、世界最高のワインが選ばれますよ。」
「はい。」

「その他に、アヴァノスは手工芸が有名ですよ。」
「はい。」

「特にトルコの伝統的な陶器の産地カイマクルは、カッパドキアで最大規模の地下都市がありますよ。」
「わかりました。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~サフランボル市街~

「サフランから名づけられたと言われる「サフランボル」は、トルコ北西部の黒海沿岸地方にありますよ。」
「はい。」

「サフランボルと言えば、トルコにある街である。カラビュック県に属し、2000年現在の人口は、47,257人。黒海から100km離れた場所に位置し、トルコの首都アンカラからおよそ北200キロメートルに位置している。町の歴史は11世紀に遡ることが可能である。1994年、ユネスコの世界遺産に「サフランボル市街」の名で登録された。」

「サフランと言えば、西南アジア原産で、最初に栽培されたのがギリシアとされる、アヤメ科の多年草およびそのめしべを乾燥させた香辛料をさす。地中海沿岸を原産とする。」

「トルコの伝統的な建造物が建ち並び、トルコで最も古く美しい街と言われている所ですよ。」
「そうなんですか。」

「この歴史ある街並みが残る旧市街を、「サフランボル旧市街」として、1994年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「オスマン・トルコの歴史と文化についてですが、小アジア(アナトリア)で最も長く、現在のトルコ共和国に変わるまで続いたオスマン・トルコ帝国についてご紹介します。」
「お願いします。」

「オスマン・トルコ帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。」

「アナトリア(小アジア)と言えば、 トルコ共和国のアジア領に位置する半島である。小アジアともよばれる。」

「トルコ共和国と言えば、トルコ共和国、通称トルコは、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国である。首都はアナトリア中央部のアンカラ。」

「オスマン・トルコ帝国は、アナトリア西北部に興った13世紀末の小国から始まりますよ。」
「はい。」

「徐々に勢力を拡大させ、版図はアナトリアからバルカン半島へ、さらに地中海沿岸のシリアやエジプトなどと広がり続けましたよ。」
「はい。」

「東ヨーロッパのバルカン半島と言えば、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分(マケドニア共和国、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)からなる地域である。」

「1453年には東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都コンスタンティノーブルを攻略、ついに亡ぼしましたよ。」
「そうなんだ。」

「東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都コンスタンティノーブルと言えば、歴史学上での呼称はビザンツ帝国と呼ばれ、首都はコンスタンティノープル(現イスタンブール)である。コンスタンティノープルは分裂前の330年、コンスタンティヌス1世(大帝。位306-337)時代に遷都された。」

「東ローマ帝国(後にビザンチン帝国)と言えば、東ローマ帝国またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。」

「オスマン・トルコの最盛期は、16世紀のスレイマン1世の時ですよ。」
「はい。」

「スレイマン1世と言えば、オスマン帝国の第10代皇帝(在位:1520年 - 1566年)である。9代皇帝セリム1世の子。46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた。日本ではしばしば「スレイマン大帝」と称される。」

「その後は、緩やかに後退が始まりますよ。」
「はい。」

「20世紀初頭の革命によって、トルコは共和国となりますよ。」
「そうなんだ。」

「オスマン・トルコはイスラム国家ですね。」
「そうですね。」

「それは現在も変わりませんね。」
「はい。」

「文化的にも、主に建築や陶芸・文学などで大いに発展を見せましたよ。」
「はい。」

「特にオスマン建築と呼ぶ様式のモスクや宮殿などには、名高いものが多くありますよ。」
「そうなんだ。」

「「サフランボル市街」にも、オスマン建築の建築物が多く現存し、往時の華やぎを見せていますよ。」
「わかりました。」

「世界遺産「サフランボル市街」の見所についてですが、「サフランボル市街」は、1日あれば十分見て回れる小さな街ですよ。」
「そうなんですか。」

「古いイスラムの街並みですよ。」
「はい。」

「ゆっくりと歩くのが、おススメですね。」
「はい。」

「サフランボルにある歴史的建造物は、13~17世紀のものが中心ですよ。」
「そうなんだ。」

「まずは、街を一望できるフドゥルルックの丘に登りましょう。」
「わかりました。」

「フドゥルルックの丘と言えば、トルコ北部の小都市サフランボルの市街南東部にある丘である。世界遺産(文化遺産)に登録された伝統的な家並みを望む展望地として知られる。19世紀半ばに建てられたハッサンパシャ廟がある。」

「モスクやハマム(トルコ式浴場)などの姿を見ることができますよ。」
「はい。」

「ハマム(トルコ式浴場)と言えば、ハンマームは、中東全域に広く見られる伝統的な公衆浴場のことである。 語源は「温める」「熱する」を意味するアラビア語の動詞「ハンマ」に由来する。トルコ語では「ハマム (もしくはハマーム)」という。美的な外観と排水・熱効率が計算された内部の構造は建築学の視点から高く評価されている。」

「街の中心には、キャラバンサライ(隊商宿)がありますよ。」
「はい。」

「キャラバンサライ(隊商宿)と言えば、ペルシア語で「隊商宿」の意味である。隊商のための取り引きや宿泊施設を指す。バザールやスークに隣接して建てられた。アラビア語では、ハーン、カイサリーヤ、フンドゥクとも呼ばれた。」

「サフランボルは、13世紀以降、交易で栄えた街ですよ。」
「そうなんだ。」

「いくつものキャラバンサライがあり、現在はホテルになっているものもありますよ。」
「はい。」

「他にも、17世紀のキョプリュリュモスクや18世紀のイゼットメフメットパシャモスクと図書館なども、是非行って見たい所ですね。」
「わかりました。」

「アラスタ・バザールで、ショッピングを楽しむこともできますよ。」
「はい。」

「アラスタ・バザールと言えば、 ブルーモスクの東側にあるアラスタ・バザールは、問屋街です。一本の通りの両側に、絨毯屋や宝飾店、民芸品店、スパイス屋、Tシャツ屋、雑貨屋などが並びます。」

「サフランボルの地理と観光についてですが、トルコで最も美しい街「サフランボル市街」は、首都アンカラからはバスで約3時間、又はイスタンブールから約6時間ですよ。」
「はい。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「トルコの首都アンカラと言えば、トルコ共和国の首都である。人口約358万人(2003年)を抱える同国第2の都市で、アンカラ県の県都でもある。アナトリア半島中央部に位置する。」

「バスは新市街から、世界遺産となっている旧市街へ向かいますよ。」
「はい。」

「新市街にも旧市街にもホテルがありますので、好みで選んでくださいね。」
「わかりました。」

「サフランボル観光の見所は旧市街に集中していますが、1日あれば観光には十分ですよ。」
「そうなんだ。」

「もし、日程に余裕があるのなら、黒海沿岸地方に向かうのも良いでしょう。」
「はい。」

「港街ソンダルダックへは、車で2時間程度ですよ。」
「はい。」

「港街ソンダルダックと言えば、黒海沿岸の港街ソンダルダックへは車で2時間程度です。」

「黒海沿岸には、ローマ帝国時代の遺跡が残るバルトゥンや木製のステッキで有名なデウレックなどがあり、黒海の風光明媚な景色も楽しめますよ。」
「わかりました。」

「木製のステッキで有名なデウレックと言えば、黒海沿岸には、ローマ帝国時代の遺跡が残るバルトゥンや木製のステッキで有名なデウレックなどがあり、黒海の風光明媚な景色も楽しめます。」

「ローマ帝国時代の遺跡が残るバルトゥンと言えば、黒海沿岸には、ローマ帝国時代の遺跡が残るバルトゥンや木製のステッキで有名なデウレックなどがあり、黒海の風光明媚な景色も楽しめます。」





トルコの世界遺産や自然および世界複合遺産~エディルネのセリミエ・モスクの建造物群~

「ギリシアとブルガリアの国境近くの街「エディルネ」は、トルコでも歴史ある美しい古都として知られていますよ。」
「はい。」

「ギリシアとブルガリアの国境近くの街「エディルネ」と言えば、トルコの都市である。トルコの最西端、ヨーロッパ側の東トラキア地方の国境地帯に横たわるエディルネ県の県都で、市街中心部からギリシャ国境まで5km、ブルガリア国境まで10kmの国境の町である。2000年の人口は約12万人。」

「18 世紀には、ヨーロッパの七大都市の一つとされていましたよ。」
「そうなんですか。」

「現在も、街全体が博物館のように、貴重な建築物に溢れていますよ。」
「はい。」

「中でも16 世紀に作られたモスクは、イスラム建築の最高峰と言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「2011 年には、「エディルネのセリミエ・モスクの建造物群」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「はい。」

「セリミエ・モスクと言えば、オスマン帝国時代に建設されたモスクの1つで、トルコのエディルネにある。皇帝セリム2世の命で、建築家ミマール・スィナンが1568年から1574年に建設した。スィナン自身が最高傑作としており、イスラーム建築の最高到達点の1つとされている。」

「オスマン・トルコの首都「エディルネ」についてですが、エディルネは、古い街ですよ。」
「はい。」

「ローマ帝国時代には、既に古代都市ハドリアノポリスとして知られていましたよ。」
「そうなんだ。」

「古代都市ハドリアノポリスと言えば、エディルネはローマ帝国がトラキア支配の要とした古代都市ハドリアノポリス(アドリアノープル)の後身であり、トルコ語名のエディルネはハドリアノポリスがトルコ語化したエドレネボルの転訛である。」

「現在の名称であるエディルネは、トルコ語ですよ。」
「そうなんですか。」

「14世紀にオスマン・トルコ帝国に征服され、コンスタンティノーブル(現イスタンブール)を攻略する約100年間は、この地に宮廷が置かれ、首都として繁栄しましたよ。」
「はい。」

「東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都コンスタンティノーブルと言えば、歴史学上での呼称はビザンツ帝国と呼ばれ、首都はコンスタンティノープル(現イスタンブール)である。コンスタンティノープルは分裂前の330年、コンスタンティヌス1世(大帝。位306-337)時代に遷都された。」

「オスマン・トルコ帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。」

「イスタンブールと言えば、イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地である。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多い。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。」

「その後、コンスタンティノーブルに首都が動かされても、エディルネには宮殿が残され、副都として繁栄は続きましたよ。」
「そうなんだ。」

「近代まで、歴代皇帝に愛されたエディルネは、現在も多くのモスクが残されていますよ。」
「はい。」

「その一つが、街の中心に立つ、世界遺産となった「セリミエ・モスク」ですよ。」
「わかりました。」

「世界遺産「エディルネのセリミエ・モスクの建造物群」の見所についてですが、「エディルネのセリミエ・モスクの建造物群」は、モスク(イスラム礼拝堂)を中心として、図書館や学校、公衆浴場、市場、病院、墓地などが集まった複合施設ですよ。」
「はい。」

「スルタン・セリム2 世の時代に、1568 年から6 年の歳月をかけて建設されましたよ。」
「はい。」

「スルタン・セリム2 世と言えば、オスマン帝国の第11皇帝(スルタン)(在位1566年 - 1574年)。軍事活動への関心を持たずに大臣たちに権限を委ねた最初のスルタンであり、もっぱら放蕩と飲酒に耽っていた。そのため、「酒飲み」「酔っ払い」の渾名で呼ばれる。」

「トルコ最高の建築家とされるミナール・シナンの手によるもので、シナン自ら最高傑作と称しましたよ。」
「そうなんですか。」

「夢枕獏の『シナン』(2004 年/中央公論新社刊)と言えば、シナンのモスクは、大ドームと細長いミナレット(礼拝時刻を告知する塔)を持つオスマン建築様式の完成型と考えられています。エディルネのモスクも、巨大なドームを囲むように4 基のミナレットが配された美しい外観をしています。この偉大な建築家については、夢枕獏が『シナン』(2004 年/中央公論新社刊)として、その生涯を小説にしています。」

「トルコ最高の建築家とされるミナール・シナンと言えば、コジャ・ミマール・スィナン(1489年4月15日? - 1588年7月17日(4月9日説あり))は、オスマン帝国の建築家である。トルコ最高の建築家とされ、生涯で建築作品は477以上といわれる。彼の名に冠される「ミマール(ミーマール)」とは、「建築家」を意味する。彼の作品は多岐にわたるが、特にモスクの建設において、大ドームを発展させるとともに、鉛筆型の細長いミナレットを特色とする、オスマン建築特有の様式を完成させたとされる。」

「シナンのモスクは、大ドームと細長いミナレット(礼拝時刻を告知する塔)を持つオスマン建築様式の完成型と考えられていますよ。」
「そうなんだ。」

「エディルネのモスクも、巨大なドームを囲むように4 基のミナレットが配された美しい外観をしていますよ。」
「はい。」

「この偉大な建築家については、夢枕獏が『シナン』(2004 年/中央公論新社刊)として、その生涯を小説にしていますよ。」
「そうなんだ。」

「小説家の夢枕獏と言えば、夢枕 獏(ゆめまくら ばく、1951年1月1日 - )は、神奈川県小田原市生まれの日本の小説家、エッセイスト、写真家である。本名は米山 峰夫(よねやま みねお)。神奈川県立山北高校、東海大学文学部日本文学科卒業。男性。」

「観光前に読んでおくと、モスク見学が一層楽しいものになるでしょう。」
「わかりました。」

「エディルネの地理と観光についてですが、エディルネは、イスタンブールから車で約2 時間半、トルコ西端、バルカン半島のブルガリアとギリシアの国境付近の街ですよ。」
「はい。」

「東ヨーロッパのバルカン半島と言えば、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分(マケドニア共和国、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)からなる地域である。」

「オスマン・トルコの古都として栄えましたよ。」
「はい。」

「見所は、「エディルネのセリミエ・モスクの建造物群」だけではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「セリミエ・モスクは、街の中心にある丘にそびえていますよ。」
「はい。」

「エスキ・モスクは更に古く、15世紀初頭に作られたオスマン様式の最古のものですよ。」
「そうなんですか。」

「他にも15 世紀中頃のチュ・シェレフェリモスクも、セリミエ・モスクが完成するまで、最も高いミナレットでしたよ。」
「はい。」

「15世紀中頃のチュ・シェレフェリモスクと言えば、15世紀中頃のチュ・シェレフェリモスクも、セリミエ・モスクが完成するまで、最も高いミナレットでした。」

「モスクの他にも、考古学博物館やブルガリア正教会の「聖ゲオルギウス教会」などもおススメですよ。」
「わかりました。」

「ブルガリア正教会の「聖ゲオルギウス教会」と言えば、ブルガリアの首都ソフィアの中心部にある教会である。ローマ帝国時代の4世紀に創建。内部には10世紀から14世紀にかけてのフレスコ画があり、周囲には浴場跡をはじめとする古代ローマの遺跡がある。」

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