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フランスの世界遺産と美しい景観~ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場・パリのセーヌ河岸・ストラスブールのグラン・ディル・アヴィニョン歴史地区・ミディ運河・コースとセヴェンヌの地中海農牧業の文化的景観・モン・サン・ミシェルとその湾~





フランス 世界遺産 美しい景観

フランスの世界遺産と美しい景観

「日本には、数多くの世界遺産が保有されているという印象を抱きがちですね。」
「はい。」

「実は、諸外国と比べるとかなり少ない方ですよ。」
「そうですね。」

「日本の世界遺産は、16カ所しかありませんよ。」
「少ないですね。」

「「16カ所あれば十分なのでは?」と思われるかも知れませんね。」
「はい。」

「イタリアなどは、40いくつもありますよ。」
「多いですね。」

「世界遺産保有数ランキング4位のフランスでさえ、37カ所も保有していますよ。」
「そうなんだ。」

「これは、その国の規模の差もありますね。」
「はい。」

「日本人の知っている世界遺産と世界中にある世界遺産には、数にもスケールにも大きな差がありますよ。」
「そうなんですか。」

「フランスの世界遺産と日本の世界遺産では、種類自体に歴然とした差がありますよ。」
「どんな差ですか?」

「日本の場合は姫路城や厳島神社、白川郷や原爆ドームなどの厳粛な雰囲気のあるスポットがほとんどですね。」
「そうですね。」

「フランスでは、どちらかと言うと真逆の雰囲気がありますよ。」
「詳しく教えてください。」

「フランスの場合には、ヴェルサイユ宮殿を筆頭に、モン・サン・ミシェルとその湾やパリのセーヌ河岸、ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場など、華やかで冒険性に溢れるスポットが多いですね。」
「そうですね。」

「セーヌ河岸と言えば、「パリのセーヌ河岸」は、フランスにあるユネスコ世界遺産のひとつである。首都パリを流れるセーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmほどが登録対象となっている。これには、中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内に架かる橋も含まれている。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「アリアンス広場と言えば、スタニスラス広場の数百メートル東に位置する比較的小さな広場である。中央に噴水がある。アリアンス(同盟)の名はロレーヌ公家とフランス王家の同盟に由来する。」

「カリエール広場と言えば、スタニスラス広場に面している凱旋門をはさんだ北側にある細長い広場である。そのまま北に向かうと、ロレーヌの官邸 (Palais du Gouverneur) に突き当たり、その隣には現在ロレーヌ歴史博物館となっているロレーヌ公宮殿がある。」

「ナンシーのスタニスラス広場と言えば、スタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、フランス・ロレーヌ地方の都市ナンシーの中心部にある3つの広場。整備されたのは18世紀のことであり、古典的な都市計画を偲ばせる広場として、3つまとめてユネスコの世界遺産に登録された。スタニスラス広場は、フランス王ルイ15世の義父に当たるロレーヌ公スタニスラスが、国王を称えてつくらせたもので、国王広場 (Place Royale) と名付けられた。」

「モン・サン・ミシェルと言えば、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院がある。モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。」

「ヴェルサイユ宮殿と言えば、1682年にフランス王ルイ14世(1638年 - 1715年、在位1643年 - 1715年)が建てたフランスの宮殿(建設当初は離宮)である。ベルサイユ宮殿とも表記される。パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。」

「日本の厳島神社のような「騒いではいけない」厳粛な空気はなく、ほとんどの場所が賑やかで華やかなスポットになっていますよ。」
「はい。」

「ここまで差があるということは、あまり知られていませんね。」
「そうですね。」

「ヨーロッパ諸国の世界遺産自体、あまり認知されていないところがありますね。」
「はい。」

「ヨーロッパ諸国の文化遺跡には、日本ではまず見られない装飾が見つかりますよ。」
「はい。」

「新鮮な文化に触れたい人は、是非行ってほしいと思います。」
「わかりました。」

「日本には文化遺産も自然遺産も少なく、複合遺産は一つもありませんよ。」
「そうですね。」

「しかし、フランスへ行けば、そのすべての種類の世界遺産を見つけることができますよ。」
「そうなんだ。」

「あまりヨーロッパの歴史に興味がない人も、ロレーヌ地方などの豊かな町並みを見ると思わず「どうしたらフランスでは、こんなに美しい文化をはぐくめるようになるんだろう?」という興味が湧くはずですよ。」
「はい。」

「ロレーヌ地方と言えば、ロレーヌ地域圏は、フランス北東部にあり、ドイツ国境に近い地域圏である。東にアルザス、西にシャンパーニュ=アルデンヌ、南にフランシュ=コンテが隣接している。」

「魅力いっぱいのスポットがたくさんあるので、日本の世界遺産を一通り見た方は、是非フランスを観光し、日本との違いを観察してみましょう。」
「わかりました。」

「日本はヴェルサイユ宮殿のような世界遺産がない代わりに、古くから街を綺麗に使ってきたという誇り高い歴史がありますね。」
「そうですね。」

「ヴェルサイユ宮殿の中身を網羅しようとすると、不潔な部分の文化も見ざるをえませんね。」
「そうなんですか。」

「日本の世界遺産の方は、実に清潔に発展してきましたよ。」
「はい。」

「これは日本が誇るべき美点の一つですね。」
「そうですね。」

「ヴェルサイユ宮殿やその周辺の世界遺産を観光する際は、「日本人だったらどういう風に利用しただろうか?」ということを考えると良いかも知れませんね。」
「はい。」

「ヴェルサイユ宮殿のあるパリからずっと東へ進んだところにあるロレーヌ地方も、豊富な世界遺産が保存されている地域ですね。」
「はい。」

「日本ではまず見られないミクスチャーな文化が見られるだけではなく、その地域で生まれ育ったエミールガレの美的感覚を育てた場所も発見できる地域ですよ。」
「そうなんだ。」

「エミールガレと言えば、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター、企業経営者である。」

「芸術に関心のある方は、是非ロレーヌ地方へ行ってみましょう。」
「わかりました。」

「フランスの北東部はルクセンブルク、スイス、ドイツなどの国々と接近しており、色々な文化が楽しめる場所になっていますよ。」
「はい。」

「「色々な国の文化に触れたいけれど、そんなに贅沢できないから困っている」という方にこそおススメできる地域ですよ。」
「はい。」

「少ない移動距離で一つでも多くの国文化に触れたいという方は、ナンシーあたりの地域から南下していく旅がおススメですね。」
「そうですね。」

「興味のある方は、是非フランスをめぐるツアーをチェックしましょう。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と美しい景観~ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場~

「フランスの世界遺産は、日本にある世界遺産とは大きく異なり、街そのものの美しさや華美で豪奢な建造物が世界遺産として認定されていますね。」
「はい。」

「日本という国は、どちらかといえば静かな美しさが印象的な町並みが続いていますね。」
「そうですね。」

「フランスの場合は、活気があってとにかく華やかですよ。」
「はい。」

「フランスの東部にはナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場などの三つの広場がありますよ。」
「はい。」

「アリアンス広場と言えば、スタニスラス広場の数百メートル東に位置する比較的小さな広場である。中央に噴水がある。アリアンス(同盟)の名はロレーヌ公家とフランス王家の同盟に由来する。」

「カリエール広場と言えば、スタニスラス広場に面している凱旋門をはさんだ北側にある細長い広場である。そのまま北に向かうと、ロレーヌの官邸 (Palais du Gouverneur) に突き当たり、その隣には現在ロレーヌ歴史博物館となっているロレーヌ公宮殿がある。」

「ナンシーのスタニスラス広場と言えば、スタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、フランス・ロレーヌ地方の都市ナンシーの中心部にある3つの広場。整備されたのは18世紀のことであり、古典的な都市計画を偲ばせる広場として、3つまとめてユネスコの世界遺産に登録された。スタニスラス広場は、フランス王ルイ15世の義父に当たるロレーヌ公スタニスラスが、国王を称えてつくらせたもので、国王広場(Place Royale) と名付けられた。」

「名前だけ見ると、普通の広場に思えるかも知れませんね。」
「そうですね。」

「実は、この三つの地域は世界遺産に認定されている超有名観光スポットですよ。」
「そうなんですか。」

「フランス人が長い休暇を利用して訪れることも多いこの地域は、日本人からも多大な人気を得ている観光スポットですよ。」
「はい。」

「特にナンシーのスタニスラフ広場などは、ガラス工芸を語る上では欠かせない天才職人・エミールガレの生まれ故郷ですよ。」
「はい。」

「エミールガレと言えば、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター、企業経営者である。」

「芸術に興味のある女性が、多く訪れる観光地になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場の中でも、このスタニスラス広場が最も人気がある広場かも知れませんよ。」
「はい。」

「スタニスラス広場は、1751年から1755年の4年間で築き上げた広場ですね。」
「はい。」

「元々は、ロレーヌ公・スタニスラスの命令で造られることになった広場でしたよ。」
「そうなんですか。」

「ロレーヌ公・スタニスラスと言えば、現在はフランスのロレーヌ地域圏となっているロレーヌ(ロートリンゲン)地方に存在したロレーヌ(ロートリンゲン)公国の君主である。フランスとドイツの間に位置し、歴史的にもフランス王国と神聖ローマ帝国との間で帰属の変遷があり、日本語での呼称はフランス語に基づくものとドイツ語に基づくものが混用されるほか、称号自体も時代によって定訳が(「大公」と「公」で)異なる。」

「2005年の大規模工事によって、現在はより王国らしい雰囲気(1755年当時に近い状態)に戻っていますよ。」
「はい。」

「それより少し前までは、もっと近代的な雰囲気でしたよ。」
「はい。」

「スタニスラス広場の中央には、ルイ15世の仏像がありますよ。」
「そうなんだ。」

「ルイ15世と言えば、ブルボン朝第4代のフランス国王(在位:1715年9月1日 - 1774年5月10日)。ナバラ国王としてはルイス4世。曾祖父ルイ14世の死によりわずか5歳で即位し、ルイ14世の甥に当たるオルレアン公フィリップ2世が摂政の座に就いて政務を取り仕切った。」

「記念写真を撮るなら、ルイ15世の象の前あたりがおススメですよ。」
「はい。」

「世界遺産はナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場の三つですね。」
「はい。」

「スタニスラス広場に特にピンと来るものがなければ、早々に他の広場を尋ねるのがベストですね。」
「わかりました。」

「フランスのこの辺りは、日本人のイメージとは少し違う世界遺産が保存されていますよ。」
「それはどんな世界遺産ですか?」

「どの世界遺産を尋ねても、新しい感動が得られるのではないでしょうか。」
「はい。」

「日本からフランスのナンシー地方周辺まで行くのはかなり時間がかかりますね。」
「そうですね。」

「最近では女性の一人旅も増えていますよ。」
「そうなんですか。」

「何かと戸惑うこともあるかも知れないので、不安な方はツアーに参加するのが一番安全かも知れませんよ。」
「そうですね。」

「夜はライトアップが美しいので、思わず一人歩きしたくなってしまうかも知れませんね。」
「はい。」

「危険なので、くれぐれも気をつけてくださいよ。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と美しい景観~パリのセーヌ河岸~

「フランスの首都・パリは、「観光都市」、「ファッションの街」、「芸術の街」と様々な形で表現されますね。」
「そうですね。」

「私たちが知るパリの主要地域は、1991年に「パリとセーヌ河岸」という名前で、世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」

「セーヌ河岸と言えば、「パリのセーヌ河岸」は、フランスにあるユネスコ世界遺産のひとつである。首都パリを流れるセーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmほどが登録対象となっている。これには、中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内に架かる橋も含まれている。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「多くの人は観光旅行でパリに行き、その美しい街並みや美味しい料理を堪能しますよ。」
「はい。」

「実は、フランスの偉大なる世界遺産をあちこちで目の当たりにしていますよ。」
「そうなんですか。」

「パリの歴史は、紀元前3世紀頃に始まりますよ。」
「はい。」

「この頃、ケルト系民族のパリシイ人がパリの地に住みつき、集落ルテティアを形成していましたよ。」
「はい。」

「集落ルテティアと言えば、現在フランスの首都であるパリは、起源が大変古く、紀元前4200年頃から人が住んでいた。紀元前250年頃から、パリシー族(Parisii)が住み始めた。彼らは、セーヌ川沿いのケルト人(Celtic Senones)の一派、すなわちガリア人(Galli)の一部族であった。パリという名称は、このパリシー族に由来する。セーヌ川の中州、シテ島に、パリシー族はルテティア(Lutetia)という集落を作っていた。ただし、パリシー族の集落は、シテ島とは別の、今日では沈んでしまった島であるとする説もある。」

「パリシイ人と言えば、パリシイ族とは、鉄器時代のケルト民族の1つである。紀元前3世紀中頃からローマ時代までガリア地方のセーヌ河岸に住んでいた。紀元前52年、パリシイ族はスエシオネス族と共にカエサルに対するウェルキンゲトリクスの反乱に協力した(ガリア戦争)。」

「ケルト系民族と言えば、ケルト人は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。古代ローマ人からはガリア人とも呼ばれていたが、「ケルト人」と「ガリア人」は必ずしも同義ではなく、ガリア地域に居住してガリア語またはゴール語を話した人々のみが「ガリア人」なのだとも考えられる。」

「この「パリシイ人」が、後に「パリ」という地名の語源になりますよ。」
「そうなんだ。」

「国家・フランスの成立は、10世紀終わりですよ。」
「はい。」

「この時代、パリ伯のユーグ・カペーがフランス王に推薦され、パリを首都にしたフランス王国を築き、パリの首都機能を強化していきましたよ。」
「はい。」

「ユーグ・カペーと言えば、フランスのカペー朝を開いた王である。ロベール家の人。その力量からロベール家の所領の多くを失ったが、彼の子孫はしだいに勢力を回復し、ヴァロワ朝・ブルボン朝にも血脈を繋いで、フランス革命とナポレオン戦争時代とを除いた7月王政まで、800年以上フランスの王権を保った。」

「パリ伯と言えば、カロリング朝フランク王国でパリ周辺を統治していた支配者の称号である。パリ伯ユーグ・カペーがフランス王へと推戴され、パリが王都となるに伴い、パリ伯の称号は失われたが、後にカペー家の後継を自認してフランス王となったオルレアン家によって復興された。文学作品ではシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にパリ伯という架空の人物が登場する。」

「更にフィリップ2世の時代には、パリの周りを囲うように、城塞が築かれましたよ。」
「そうなんだ。」

「フィリップ2世と言えば、フランス・カペー朝第7代の王(在位:1180年 - 1223年)である。ルイ7世と妃でシャンパーニュ伯ティボー2世の娘アデルの子。フランス最初の偉大な王と評価され、尊厳王(オーギュスト、Auguste)と呼ばれた。」

「11世紀には、セーヌ川左岸に、後のパリ大学の前進となる「パリ大司教聖堂付学校」が造営されましたよ。」
「はい。」

「セーヌ川と言えば、フランスを流れる河川である。流域も全体がフランスに属している。全長780kmは、フランスではロワール川に続いて第二の長さである。フランスの首都パリは、セーヌ川の中州のシテ島から発達した町である。シテ島の上流につづくサン・ルイ島、チュイルリー公園、コンコルド広場、エッフェル塔、シャイヨ宮、自由の女神像など、セーヌ川およびその河岸は、現在でもパリ市の観光の中心である。」

「パリ大司教聖堂付学校と言えば、パリ大学はノートルダムのパリ司教座教会付属神学校を起源としており、12世紀前半にアベラールという神学・哲学者を出して評判となった。歴代ローマ教皇の多くがこの学校の出身である。」

「パリ大学と言えば、フランス共和国の、パリ、クレテイユおよびヴェルサイユの3大学区にある13の大学の総称である。多くのノーベル賞受賞者を送り出している他、政治学、科学、物理学、神学などの分野で優秀な学者を多数輩出。また芸術の教育機関としても名高い。」

「その周辺は学園都市として発達し、セーヌ川右岸には中央市場が開かれましたよ。」
「はい。」

「この「左岸に大学の街、右岸に商人の街」という現在に至る町の構図は、この時代に築かれましたよ。」
「そうなんですか。」

「この時点では、現在私たちが目にするパリの光景からは程遠いものでしたよ。」
「はい。」

「フランスの首都・パリは、その後政治の中心をヴェルサイユに譲ることになりましたよ。」
「はい。」

「ヴェルサイユと言えば、フランスの北部に位置する都市で、イヴリーヌ県の県庁所在地である。ヴェルサイユ宮殿(世界遺産)の所在地として有名である。パリから約20南西に位置し、パリ中心部からはトランジリアンで最短約17分、RERで約45分であり、フランスの首都圏の一角を占める。このほか、ノートルダム地区と呼ばれる歴史的居住区がある。」

「更に1789年にはフランス革命が勃発し、戦火に紛れることになりましたよ。」
「そうなんだ。」

「フランス革命と言えば、18世紀にフランスで起きた市民革命である。1787年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデターまでが、一般に革命期とされている。革命によりフランスの王政と旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃され、近代的所有権が確立されるなど、全社会層が変革へ向かった。前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。」

「ヴェルサイユやパリだけでなく、革命の影響はフランス全域に波及し、至るところで戦乱状態に陥り、多くの町や建物が破壊されましたよ。」
「はい。」

「パリが本格的に復旧し、あの美しい街並みを形成するのは、19世紀に入ってからですよ。」
「そうなんだ。」

「フランスの首都・パリの都市整備を担当したのは、セーヌ県知事、ジョルジュ・オスマン(1809年~1891年)ですね。」
「はい。」

「セーヌ県知事、ジョルジュ・オスマン(1809年~1891年)と言えば、19世紀フランスの政治家である。1853年から1870年までセーヌ県知事の地位にあり、その在任中に皇帝ナポレオン3世とともにパリ市街の改造計画を推進した。この都市改造はフランスの近代化に大きく貢献し、現在のパリ市街の原型ともなっている。」

「オスマンは、ナポレオン3世の時代に県知事の地位にあり、ナポレオンと共に壮大な都市計画を遂行しましたよ。」
「はい。」

「ナポレオン3世と言えば、フランス第二共和制の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)である。本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトであり、皇帝に即位して「ナポレオン3世」を名乗る以前については一般にルイ・ナポレオンと呼ばれている。」

「ナポレオン3世在位当時、パリは不衛生な状態に悩まされていましたよ。」
「そうなんですか。」

「そこで、町に光を挿しこみやすくし、風通しをよくする計画を盛り込み、環境改善を図りましたよ。」
「はい。」

「その一環で、建物の高さ制限が設けられ、街並みの統一化も同時に図りましたよ。」
「はい。」

「その他にも、「凱旋門」の通称でお馴染みの「エトワール凱旋門」から、12本の道を放射線状に伸ばし、細かく交通整備ができるようにしましたよ。」
「そうなんだ。」

「エトワール凱旋門と言えば、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門である。パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。」

「こうしてオスマンの元で、衛生状態や交通の不便さが改善され、景観の美しい街並みを持つパリが誕生しましたよ。」
「はい。」

「世界遺産「パリのセーヌ河岸」に含まれるものは、私たちがよく知る建築物の殆どですね。」
「はい。」

「セーヌ河岸と言えば、「パリのセーヌ河岸」は、フランスにあるユネスコ世界遺産のひとつである。首都パリを流れるセーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmほどが登録対象となっている。これには、中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内に架かる橋も含まれている。」

「凱旋門、ルーヴル宮殿(現・ルーブル美術館)、オルセー美術館、エッフェル塔、シャンゼリゼ通り、ノートルダム寺院など、すべて「パリのセーヌ河岸」として登録された世界遺産ですよ。」
「たくさんありますね。」

「ノートルダム寺院と言えば、パリのノートルダム大聖堂(ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂である。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。」

「シャンゼリゼ通りと言えば、フランス・パリの市内北西部にある大通りである。パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り 」と言う表現が使われている。『オー・シャンゼリゼ』という流行歌のおかげで日本でも広く知られるようになった。」

「エッフェル塔と言えば、フランスの首都パリの象徴的な名所となっている塔である。パリ7区、シャン・ド・マルス公園の北西に位置する。フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された。」

「オルセー美術館と言えば、フランスのパリにある、19世紀美術専門の美術館である。印象派の画家の作品が数多く収蔵されていることで有名。オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。」

「ルーヴル宮殿(現・ルーブル美術館)と言えば、ルーヴル美術館は、パリのセーヌ川の右岸に位置し、13世紀末から19世紀中葉までのヨーロッパ絵画を約6000点保有しています。1793年にフランス共和国により設立され、ヨーロッパで最も古い美術館の1つに数えられます。不朽の名作、ダ・ビンチの「モナ・リザ」をはじめ、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケなど、著名な作品が数多くあります。」

「したがって、パリに行ったことのある人は、間違いなくどこかで、世界遺産にも認定された歴史的建築物を目にし、そのそばを通りすぎていますよ。」
「そうですね。」

「パリをただ「きれいな町」、「おしゃれな町」として認識するだけでなく、壮大な世界遺産の宝庫として見ると、パリの新しい魅力がより一層見えてくるに違いありませんよ。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と美しい景観~ストラスブールのグラン・ディル~

「フランス・アルザス地方の最東端、ドイツとの国境付近に、「ストラスブール」という町がありますね。」
「はい。」

「ストラスブールと言えば、フランス北東部の、ライン川左岸に位置する都市である。ライン川の対岸にはドイツの都市ケールが存在するが、シェンゲン協定によってパスポートチェック無しで自由に行き来できる為、現在では両者で1つの商業圏になっている。アルザス地域圏の首府であり、バ=ラン県の県庁所在地でもある。ライン川の河川港を抱える交通の要衝である。」

「フランス・アルザス地方と言えば、アルザス地域圏は、フランス北東部に存在する地域している。東はドイツとスイスに接する。地域圏圏である。西側の大部分をロレーヌ地域圏と接し、残りはフランシュ=コンテ地域圏と接内にはバ=ラン県とオー=ラン県二つの県を含む。地域圏最大の都市であるストラスブール(シュトラースブルク)を首府とする。アルザスはかつては神聖ローマ帝国の領地であり、17世紀から19世紀にかけて何度もフランスとドイツを行き来してきた。」

「中世には、ヨーロッパの交通の要所となり、貿易でも栄えた町ですよ。」
「はい。」

「この町の中で、旧市街地に当たる「グランディル」は、「ストラスブールのグランディル」という名称で、1988年に世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「旧市街地に当たる「グランディル」と言えば、フランス北東部、アルザス地方、バ‐ラン県の都市ストラスブールの旧市街である。市内を流れるライン川の支流イル川の中州にあたる。ゴシック様式のストラスブール大聖堂、16世紀に建てられたルネサンス様式のカメルゼル邸、ストラスブール司教の宮殿だったロアン宮などの歴史的建造物や、古い街並みが残るプチットフランスなどがある。」

「ストラスブールの起源は、紀元前12年に遡りますよ。」
「そんなに昔ですか?。」

「この頃、ローマ軍がストラスブールを駐屯地にしたことから、町の歴史は始まりましたよ。」
「はい。」

「本格的な繁栄の時代を迎えたのは、中世ですね。」
「はい。」

「ストラスブールは、パリと東ヨーロッパを結ぶ中間地点に位置し、交通の要所として非常に重要になりましたよ。」
「そうなんだ。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「「ストラスブール」は、「道の町」を意味する言葉ですよ。」
「はい。」

「ストラスブールでは様々な国の人々が往来し、貿易産業も盛んになりましたよ。」
「はい。」

「貿易の地として繁栄した理由は、陸上での利便性だけが理由になったのではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「ストラスブールにある「グランディル」は、「イル川」が二股に分かれてできたその間の区域のことですね。」
「はい。」

「イル川と言えば、フランス、アルザスの平野部を流れる川である。オー=ラン県、バ=ラン県を流れる、ライン川の主要な支流の1つである。イル川という名称はアルザスの語源となっている。」

「2本のイル川は、グランディルを過ぎると、再び1本の川を形成しますよ。」
「はい。」

「この「川に囲まれた地」という点は、船による物資輸送に大変好都合でしたね。」
「そうでしょうね。」

「「ストラスブールのグランディル」は、陸上だけでなく、船による交通の便も大変よかったのですよ。」
「はい。」

「このようにして、ストラスブールは様々な輸送手段を有する地として、繁栄の時代を築くことになりましたよ。」
「はい。」

「但し、ストラスブールの立地条件は、多くの戦乱に巻き込まれる一因にもなりましたよ。」
「そうなんですか。」

「特に、ドイツとフランスがストラスブールを巡って激しく争いましたよ。」
「はい。」

「ストラスブールは、ドイツになったりフランスになったりと、何回か帰属先が変わることを余儀なくされましたよ。」
「はい。」

「中世以前には、ここにローマも加わっていましたよ。」
「複雑ですね。」

「戦乱に巻き込まれるのは、第二次世界大戦が最後になりますね。」
「はい。」

「1940年、ストラスブールにドイツ軍が侵攻し、ストラスブールはドイツ領になりましたよ。」
「はい。」

「しかしその僅か4年後には、連合軍がストラスブールの地を奪回し、フランスに帰属することになりましたよ。」
「はい。」

「終戦以降、ストラスブールはフランスの一都市になっていますね。」
「はい。」

「フランス軍とドイツ軍の間でストラスブールは翻弄される運命を余儀なくされましたよ。」
「そうなんだ。」

「そのおかげで、ストラスブールでは、フランスとドイツの文化が融合し、独自の文化を形成するようになりましたよ。」
「なるほど。」

「現在でも、ストラスブールの地は、生粋のフランスの町ではなく、仏独の文化が融合した特色のある町として、人々に認識されていますよ。」
「わかりました。」

「ストラスブールは、フランスとドイツの特色を併せ持つ、独特の景観がありますよ。」
「はい。」

「それは、ストラスブールがドイツ国境に近く、かつマルティン・ルターによる宗教改革の舞台にもなったことなどが、一因として挙げられるでしょうね。」
「そうなんですか。」

「宗教改革と言えば、16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。ルターの贖宥状(しょくゆうじょう)批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。」

「マルティン・ルターと言えば、宗教改革の創始者である。聖アウグスチノ修道会に属するドイツ人神学教授として、ルターは「人の姿となられた神の言葉としてのイエス・キリストにのみ従う」ことによって、信仰と思想において宗教改革という転換をもたらした。キリスト教会の分裂(シスマ)はルターの本来の意図ではなかったが、彼の影響下で福音主義教会(ルター派教会)とアウクスブルク信仰告白が形成された。」

「「ストラスブールのグランディル」では、そんな複雑な歴史を垣間見られる多くの世界遺産を目にすることができますよ。」
「はい。」

「宗教改革の舞台となったのは、「サン・トーマ教会堂」ですね。」
「そうなんだ。」

「サン・トーマ教会堂と言えば、世界遺産ストラスブールのグラン・ディルにあるサン・トーマ教会堂は、宗教改革の中心となり、モーツァルトが演奏会を開いた教会堂です。」

「ここは、マルティン・ルターに賛同したマーティン・ビューサーが活動を開始した場所ですね。」
「はい。」

「マーティン・ビューサーと言えば、16世紀にヨーロッパ中を揺るがせた宗教改革の拠点となったストラスブールでマーティン・ビューサーが活動を開始したのがサン・トーマ教会堂である。」

「ビューサーは、サン・トーマ教会堂の参事会会長に就任すると、次々にルターを擁護する論文を発表しましたよ。」
「はい。」

「「サン・トーマ教会堂」は、パイプオルガンの音色の美しさも人々に知られていますね。」
「はい。」

「1778年には、モーツァルトがここで演奏会を開きましたよ。」
「そうなんですか。」

「モーツァルトと言えば、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、オーストリアの作曲家、演奏家である。古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人である。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを務めた。」

「宗教改革により、プロテスタントの活動拠点の一つとなった「サン・トーマ教会堂」は、その偉大な歴史の面影を現在でも見せてくれますよ。」
「はい。」

「「ストラスブールのグランディル」で最も象徴的な建物は、「ノートルダム大聖堂」ですね。」
「はい。」

「ノートルダム大聖堂と言えば、ノートルダム教会、ノートルダム寺院、ノートルダム大聖堂は、聖母マリアに捧げられ、名付けられた教会堂である。ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) はフランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指している。ノートルダムを冠した教会堂は世界各地のフランス語圏の都市に建てられてきた。」

「「ノートルダム大聖堂」は、11世紀に建てられたロマネスク様式の教会が起源ですよ。」
「そうなんですか。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。「ロマネスク」は「ローマ風の」という意。」

「13世紀、神聖ローマ帝国時代の大規模な改修工事により、ゴシック様式の立派な大聖堂に生まれ変わりましたよ。」
「はい。」

「ゴシック様式と言えば、美術史や美術評論において、西ヨーロッパの12世紀後半から15世紀にかけての建築や美術一般を示す用語である。最初は建築のみに使用された用語だが、次第にゴシック建築が建造された時代の装飾、彫刻、絵画などへとその適応範囲が広がった。」

「神聖ローマ帝国と言えば、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家である。1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」である。帝国の体制は皇帝の権力が諸侯によって弱められることにより、中世から近世にかけて変化した。最後の数世紀にはその体制は諸領域の連合体に近いものになっている。」

「この大改築に着手したのは、ストラスブールの大司教、ベルトルトですよ。」
「はい。」

「ストラスブールの大司教、ベルトルトと言えば、「ノートルダム大聖堂」は、11世紀に建てられたロマネスク様式の教会が起源で、13世紀、神聖ローマ帝国時代の大規模な改修工事により、ゴシック様式の立派な大聖堂に生まれ変わりました。この大改築に着手したのは、ストラスブールの大司教、ベルトルトです。ベルトルトはフランスから建築家を呼び寄せ、ロマネスク様式から流行りのゴシック様式に一新しました。」

「ゴシック様式はこの当時、新しい建築様式として流行していましたよ。」
「そうなんですか。」

「ベルトルトはフランスから建築家を呼び寄せ、ロマネスク様式から流行りのゴシック様式に一新しましたよ。」
「はい。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。「ロマネスク」は「ローマ風の」という意。」

「1275年に着工したノートルダム大聖堂は、120年もの歳月をかけて再建されましたよ。」
「はい。」

「ノートルダム大聖堂と言えば、ノートルダム教会、ノートルダム寺院、ノートルダム大聖堂は、聖母マリアに捧げられ、名付けられた教会堂である。ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) はフランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指している。ノートルダムを冠した教会堂は世界各地のフランス語圏の都市に建てられてきた。」

「その後19世紀初頭までは、ヨーロッパで最も大きなキリスト教の大聖堂として、その輝きを放ちましたよ。」
「そうなんだ。」

「「ノートルダム大聖堂」には、南側翼廊にある「最後の審判」が刻まれた8本の束ね柱、16花弁のバラをモチーフにした鮮やかな色彩を放つバラ窓、西側正面中央にひしめくように彫られた彫刻群など、随所にフランス最高峰の高い芸術性が見られますよ。」
「はい。」

「ヴォージュ山脈から採取した赤砂岩で造られた、アルザス地方独特の外観を持つ「ロアン邸館」も又一見の価値がありますよ。」
「そうなんだ。」

「ロアン邸館と言えば、ヴェルサイユ宮殿の贅を再現した豪華な館である。」

「ヴォージュ山脈と言えば、フランス北東部にある山脈である。アルザス・ロレーヌ両地方にまたがる。フランス・ドイツ国境のライン川に並行して北北東から南南西に連なる。東はライン川沿いのアルザス平原(ライン地溝帯)、西はロレーヌ台地である。」

「フランス・アルザス地方と言えば、アルザス地域圏は、フランス北東部に存在する地域圏である。西側の大部分をロレーヌ地域圏と接し、残りはフランシュ=コンテ地域圏と接している。東はドイツとスイスに接する。地域圏内にはバ=ラン県とオー=ラン県二つの県を含む。地域圏最大の都市であるストラスブール(シュトラースブルク)を首府とする。アルザスはかつては神聖ローマ帝国の領地であり、17世紀から19世紀にかけて何度もフランスとドイツを行き来してきた。」

「ここは、未来のフランス王妃、マリー・アントワネットがフランスに到着して最初の夜を過ごした館ですね。」
「はい。」

「フランス王妃、マリー・アントワネットと言えば、フランス国王ルイ16世の王妃である。フランス革命中の1793年に刑死した。」

「ヴェルサイユ宮殿を真似たアパルトマン形式の館は、「ミニ・ヴェルサイユ宮殿」さながらの豪奢な建築物ですね。」
「はい。」

「アパルトマン形式と言えば、アパート。特に、家具付きのアパート。自分で自炊ができるキッチンが付いている程度のアパルトマン形式のホテルなど。」

「ヴェルサイユ宮殿と言えば、1682年にフランス王ルイ14世(1638年 - 1715年、在位1643年 - 1715年)が建てたフランスの宮殿(建設当初は離宮)である。ベルサイユ宮殿とも表記される。パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。」

「「ストラスブールのグランディル」にある家屋は、「ハーフティンバー」と呼ばれる木骨組造りが特徴的ですよ。」
「そうなんだ。」

「「ハーフティンバー」と呼ばれる木骨組造りと言えば、西洋木造建築の一手法で、柱、梁、筋違(すじかい)、間柱、窓台など軸組みとなる部分を外観に現し、その間を煉瓦で充てんしたり、白いスタッコ塗りに仕上げたもの。北ヨーロッパ(ドイツ、フランス)中世に多く見られ、イギリスでは15~17世紀に住宅建築に多用された。真壁木造建築。」

「ハーフティンバーの家々は、ここでしか見られませんよ。」
「そうなんですか。」

「白壁にダークブラウンの骨組みが埋め込まれた外観は、可愛らしさがありますね。」
「はい。」

「家々は、壮大なストラスブールの歴史の違った一面を私たちに見せてくれますよ。」
「はい。」

「「ストラスブールのグランディル」には、多くの博物館がありますよ。」
「そうなんですか。」

「そこには、オリジナルの聖堂建築物の一部や、中世から受け継がれた様々なものが保存されていますよ。」
「はい。」

「博物館巡りをすると、より一層ストラスブールに親しむことができるでしょう。」
「わかりました。」

「フランスでありながら、どことなくドイツの面影を残す世界遺産「ストラスブールのグランディル」は、長い歴史と独特の文化のある場所ですよ。」
「はい。」

「ストラスブールは、私たちをフランスの壮大な中世の世界に誘ってくれるに違いありません。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と美しい景観~アヴィニョン歴史地区~

「南フランス・プロヴァンス地方の一都市、アヴィニョンは、かつてローマ・カトリックの教皇庁があった地ですね。」
「そうなんですか。」

「アヴィニョンと言えば、フランスの南東部に位置する都市で、ヴォクリューズ県の県庁所在地である。」

「南フランス・プロヴァンス地方と言えば、現代フランスの面積の南東部を占める地方で、東側は対イタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸までである。南は地中海に面し、よって、今日のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の大部分が重なる。」

「ローマ・カトリック教皇庁時代に多く残された遺跡周辺は、1995年、「アヴィニョン歴史地区」の名称で、世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「教皇庁は、カトリック教会が発足して以来、ずっとローマ(若しくはヴァチカン)にあると思っている方も多いと思いますね。」
「そうですね。」

「しかし、歴史上でただ一度、教皇庁、つまり「キリスト教の都」がアヴィニョンに遷都したことがありましたよ。」
「そうなんですか。」

「その時に建てられた建築物は現在まで受け継がれ、キリスト教の歴史を語るのに欠かせない場所になっていますよ。」
「はい。」

「カトリック教会総本山がアヴィニョンに移るきっかけは、1294年にローマ法王に選出されたイタリア人司教、ボニファティウス8世の権力乱用でしたよ。」
「はい。」

「ローマ法王に選出されたイタリア人司教、ボニファティウス8世と言えば、中世のローマ教皇(在位1294年 - 1303年)。フランス王およびコロンナ家と争い、最晩年に起こったアナーニ事件の直後に「憤死」した。学術・文化の保護者としても知られる。」

「ボニファティウス8世は、「国王の権威は教会に隷属するものである」という考えを、強固なまでに貫きましたよ。」
「そうなんですか。」

「ローマ法王に選出されたイタリア人司教、ボニファティウス8世と言えば、中世のローマ教皇(在位1294年 - 1303年)。フランス王およびコロンナ家と争い、最晩年に起こったアナーニ事件の直後に「憤死」した。学術・文化の保護者としても知られる。」

「そのため、フランス王とローマ教皇は、権力を巡り、激しい争いを繰り広げるようになりましたよ。」
「はい。」

「腐敗したローマ教皇に対して、フランス側は教会税の納税をストップしましたよ。」
「はい。」

「そのことでボニファティウス8世の怒りを買い、フィリップ4世は一方的に廃位を宣告されましたよ。」
「そうなんだ。」

「フィリップ4世と言えば、フランス王(在位:1285年 - 1314年)、およびナバラ王としてはフェリペ1世(在位:1284年 - 1305年)。整った顔立ちのため「端麗王」(le Bel、ル・ベル)と称される。」

「ローマ法王に選出されたイタリア人司教、ボニファティウス8世と言えば、中世のローマ教皇(在位1294年 - 1303年)。フランス王およびコロンナ家と争い、最晩年に起こったアナーニ事件の直後に「憤死」した。学術・文化の保護者としても知られる。」

「今度はフランスがボニファティウス8世をフランスに連行するために、ローマの地に大量の軍を送り込みましたよ。」
「はい。」

「その結果、ローマ教皇の連行に成功し、教皇庁の権威は失墜することになりましたよ。」
「はい。」

「その後、ローマ法王に選出されたのは、フランス人のクレメンス5世ですね。」
「そうなんだ。」

「ローマ法王に選出されたフランス人のクレメンス5世と言えば、14世紀初めのローマ教皇(在位:1305年 - 1314年)である。教皇庁をアヴィニョンに移転し、アヴィニョン捕囚の時代になった。」

「クレメンス5世は旧ボルドー大司教で、フィリップ4世の強い後押しでローマ法王に即位しましたよ。」
「はい。」

「ボルドー大司教と言えば、14世紀にペサックを支配していたのはボルドー大司教からローマ教皇となったクレメンス5世だった。」

「フィリップ4世と言えば、フランス王(在位:1285年 - 1314年)、およびナバラ王としてはフェリペ1世(在位:1284年 - 1305年)。整った顔立ちのため「端麗王」(le Bel、ル・ベル)と称される。」

「そして、即位4年後、クレメンス5世は、壮大な計画を実行に移しますよ。」
「何をしたのですか?。」

「ローマ法王に選出されたフランス人のクレメンス5世と言えば、14世紀初めのローマ教皇(在位:1305年 - 1314年)である。教皇庁をアヴィニョンに移転し、アヴィニョン捕囚の時代になった。」

「それは、教皇庁を、ローマからフランスのアヴィニョンに移す、というものですね。」
「それは大変なことですね。」

「それ以来約70年に渡り、後の「アヴィニョン歴史地区」を形成する、重要なカトリックの施設を建築し続けましたよ。」
「そうなんだ。」

「7人の法王が、アヴィニョンの地で実権を握りましたよ。」
「はい。」

「この7人の法王は、全てフランス人ですよ。」
「はい。」

「アヴィニョン教皇庁時代に終止符を打ったのは、グレゴリウス11世ですね。」
「そうなんですか。」

「グレゴリウス11世と言えば、14世紀後半の教皇(在位:1370年 - 1378年)である。フランス人で本名はピエール・ロジェ・ド・ボーフォール(Pierre Roger de Beaufort)。クレメンス6世の甥に当たる。アヴィニョンで即位するが、1377年にローマに帰還し、アヴィニョン捕囚は終わる。」

「グレゴリウス11世も又フランス人で、クレメンス6世の甥に当たる人物ですよ。」
「はい。」

「クレメンス6世と言えば、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位:1342年 - 1352年)である。フランス出身の貴族で、本名はピエール・ロジェ(Pierre Roger)。」

「1377年に、教皇庁を再びローマに戻しましたよ。」
「そうなんだ。」

「こうして、アヴィニョンの教皇庁時代は、幕を閉じましたよ。」
「はい。」

「「アヴィニョン歴史地区」には、クレメンス5世以降の教皇が居住していた「教皇宮殿」が現在も残されていますよ。」
「はい。」

「「教皇宮殿」は、クレメンス5世により1342年に完成しましたよ。」
「はい。」

「しかし、その外観と内装は至って質素なものでしたよ。」
「そうなんですか。」

「その後、クレメンス6世の時代になると、今度は豪奢な様式が付け加えられましたよ。」
「はい。」

「クレメンス6世が大貴族出身で、元から派手なものを好む傾向があったからですよ。」
「そうなんだ。」

「クレメンス5世が建てた、北側の「旧宮殿」と、クレメンス6世が建てた南側の「新宮殿」には、それぞれの教皇の正反対の嗜好や好みが垣間見られ、非常に対照的ですよ。」
「そうなんですか。」

「世界遺産「アヴィニョン歴史地区」には、カトリック総本山時代の遺跡が多く残され、観光客を魅了し続けていますよ。」
「はい。」

「歴史的建築物は、フランス革命時代に倒壊したものも多かったですよ。」
「そうなんだ。」

「フランス革命と言えば、18世紀にフランスで起きた市民革命である。1787年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデターまでが、一般に革命期とされている。革命によりフランスの王政と旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃され、近代的所有権が確立されるなど、全社会層が変革へ向かった。前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、 世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。」

「しかし、可能な限り、復旧作業が続けられましたよ。」
「はい。」

「アヴィニョン司教座のある聖堂として建設された「ノートルダム・デ・ドン大聖堂」、美しい英国式庭園のある「ドン岩壁公園」、14世紀からある時計台など、アヴィニョンは見所に溢れていますよ。」
「わかりました。」

「ドン岩壁公園と言えば、岩山の上に街を造り要塞化したアヴィニョンの最も高い岩の上にロシェ・デ・ドン公園Rocher des Domsがあります。直訳するとその名も「ドンの岩壁公園」です。」

「ノートルダム・デ・ドン大聖堂と言えば、 ノートルダム・デ・ドン大聖堂は、法王庁宮殿の北側に立つ。12世紀半ばに建造されたロマネスク様式の教会堂だが、何度となく改修されている。内部の礼拝室には、ゴシック様式で造られたヨハネス22世の墓がある。」





フランスの世界遺産と美しい景観~ミディ運河~

「ミディ運河は、ピレネー地方の大都市・トゥールーズから地中海に面するトー湖を結ぶ、全長240kmの運河ですね。」
「はい。」

「トゥールーズと言えば、フランスの南西部に位置するコミューンで、ミディ=ピレネー地域圏の首府、オート=ガロンヌ県の県庁所在地である。」

「ピレネー地方と言えば、ミディ=ピレネー地域圏は、フランス南部の地域圏である。西はアキテーヌ地域圏、東はラングドック=ルシヨン地域圏、北はオーヴェルニュ地域圏とリムーザン地域圏に接している。南にはピレネー山脈があり、スペインとの国境となっており、アンドラとも接している。州都はフランス第4の都市で航空産業が盛んなトゥールーズです。」

「ミディ運河と言えば、フランスのトゥールーズでガロンヌ川から分岐し、地中海に面したトー湖にいたる全長240km 、支流部分も含めた総延長では360kmに及ぶ運河である。19世紀に鉄道に取って代わられるまで、大西洋と地中海との間を船舶で結ぶ、大量輸送ルートであった。」

「この運河は、中世後期にフランスのワイン産業の発展に大きく貢献しましたよ。」
「そうなんだ。」

「1996年に、世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「鉄道が発達する以前は、水路が主な貨物の輸送手段でしたよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、立派な水路や河川を持つことは、国益を左右するとても重要なことでしたよ。」
「なるほど。」

「ミディ運河は、17世紀から19世紀にかけて、フランスの財政を潤す重要な役割を担いましたよ。」
「はい。」

「後に、世界遺産に認定されるという形で大きく評価されましたよ。」
「はい。」

「ミディ運河建設を発案したのは、ランドック州ベジエ出身の徴税使、ピエール=ポール・リケですね。」
「はい。」

「ベジエと言えば、フランス南西部に位置するラングドック=ルシヨン地域圏のエロー県の都市である。地中海に接している。人口は1982年現在で78,477人。ガリア人の町として建設されたのに始まり、ローマ都市として栄えた。4世紀から1802年までは司教座が置かれ、サン・ナゼール大聖堂は司教座聖堂であった。」

「ランドック州ベジエ出身の徴税使、ピエール=ポール・リケと言えば、ミディ運河建設を発案したのは、ランドック州ベジエ出身の徴税使、ピエール=ポール・リケである。フランスでは当時、ワインなどを効率的に運ぶ水路施設がなく、スペインの ジブラルタル海峡を通る遠回りの航路を取っていました。」

「フランスでは当時、ワインなどを効率的に運ぶ水路施設がありませんでしたよ。」
「そうなんですか。」

「スペインのジブラルタル海峡を通る、遠回りの航路を使っていましたね。」
「そうなんだ。」

「ジブラルタル海峡と言えば、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡である。北はスペイン(イベリア半島)およびジブラルタル、南はモロッコであり、西の大西洋と東の地中海をつなぐ出入り口として軍事上・海上交通上、きわめて重要な位置を占めてきた。」

「しかし、スペインとは常に対立関係にあり、又ジブラルタル海峡での通行税がスペインに没収されることもありましたよ。」
「はい。」

「大西洋から地中海を結ぶ、もっと効率の良い航路を造り出す必要がありましたよ。」
「そうなんだ。」

「そこで、リケの発案を国王ルイ14世が承認し、壮大な運河建設工事がスタートしましたよ。」
「はい。」

「ルイ14世と言えば、ブルボン朝第3代のフランス国王(在位:1643年5月14日 - 1715年9月1日)。ナバラ国王としてはルイス3世。ルイ13世の長子。妃はスペイン国王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ・ドートリッシュ(マリア・テレサ)。ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれた。」

「運河建設には、当時最先端の土木技術が至るところで駆使されましたよ。」
「はい。」

「約240kmを結ぶ水路には高低差がありましたよ。」
「そうでしょうね。」

「この高低差を克服し、まんべんなく水を行き渡らせるために、最も高度の高い地点にサン・フェオーレ貯水池を築きましたよ。」
「はい。」

「サン・フェオーレ貯水池と言えば、ミディ運河は、ピレネー地方の大都市・トゥールーズから地中海に面するトー湖を結ぶ、全長240kmの運河です。約240kmを結ぶ水路には高低差があり、この高低差を克服し、まんべんなく水を行き渡らせるために、最も高度の高い地点にサン・フェオーレ貯水池を築きました。」

「幾つかの人造湖や運河橋を造り、トンネルを掘り、「ロック」と呼ばれる閘門(こうもん:高低差のある水路間で船を上下させる装置)や103箇所の水門を設けましたよ。」
「そうなんだ。」

「このようにして、船の往来に不便のない水路を築き上げましたよ。」
「はい。」

「リケは、ミディ運河完成直前の1680年に亡くなりましたよ。」
「はい。」

「その後、息子が事業を引き継ぎ、翌年1681年に完成しましたよ。」
「はい。」

「その後、数回の改修工事を経て、1694年に最終的な完成にこぎつけましたよ。」
「そうなんだ。」

「フランス南部に新たに設けられた「ミディ運河」は、完成直後から水路として活躍しましたよ。」
「はい。」

「そのお陰で、フランスの産業全体が飛躍的な発展を遂げましたよ。」
「はい。」

「ミディ運河開通により、ジブラルタル海峡を経由していた時よりも交易航路は約3,000km短縮されましたよ。」
「そうなんだ。」

「ジブラルタルの通行税は削減され、ワイン産業はミディ運河によって最も潤いましたよ。」
「はい。」

「ミディ運河のある地点、ボルドーやサンテミリオン、そしてリケの故郷でもあるベジエのワイン産業は、この時代に発展しましたよ。」
「そうなんだ。」

「サンテミリオンと言えば、フランスの南西部に位置する町で、アキテーヌ地域圏、ジロンド県に属する。ボルドーワインで有名なボルドー近郊のワイン産地のひとつで、歴史地区は周辺の7つのコミューンの景観とともに、「サン=テミリオン地域」の名でユネスコの世界遺産に登録されている。」

「ボルドーと言えば、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。ボルドーワインの産地として世界的に有名。」

「後に、世界的に有名になりましたよ。」
「はい。」

「ミディ運河は19世紀の鉄道開通に伴い、航路としての役目を終了しましたよ。」
「はい。」

「現在では、クルージングなどを楽しむことができる観光スポットとなっていますよ。」
「そうなんですか。」

「リケは、ミディ運河が持つ景観の美しさも考慮して、運河の両岸に45,000本の木を植えましたよ。」
「はい。」

「それが、現在のクルージングを楽しむ観光客を益々惹きつける結果となっていますね。」
「はい。」

「建設工事で駆使した技術「閘門」の中で、特にフォンセランヌの7段ロックはミディ運河最大のハイライトになり、観光客をより一層楽しませていますよ。」
「はい。」

「フォンセランヌと言えば、総延長360kmの水路と、閘門(ロック)、水路橋、橋、トンネルなど328の構造物をもつミディ運河。標高のもっとも高い地点にサン・フェレオール貯水湖を築き、そこから引いた水をコントロールして、船を標高の高いところに通すためにフォンセランヌの7段の水門を設け、元々の自然の川を上に水の橋を通して立体交差にするなどしている。」

「ミディ運河は、ボルドーの他、歴史都市として名高いカルカッソンヌやキリスト教徒の巡礼路にあるトゥールーズも通っていますよ。」
「そうなんだ。」

「カルカッソンヌと言えば、フランス南部の都市、ラングドック=ルシヨン地域圏に属するオード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設されたことで有名である。」

「南仏の各都市から訪れることができる、非常にメジャーな観光スポットですね。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と美しい景観~コースとセヴェンヌの地中海農牧業の文化的景観~

「「コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観」は、2011年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「南フランスのランドック・ルーション地方からミディ・ピレネー地方にかけて広がる地域ですね。」
「はい。」

「ミディ・ピレネー地方と言えば、ミディ=ピレネー地域圏は、フランス南部の地域圏である。西はアキテーヌ地域圏、東はラングドック=ルシヨン地域圏、北はオーヴェルニュ地域圏とリムーザン地域圏に接している。南にはピレネー山脈があり、スペインとの国境となっており、アンドラとも接している。州都はフランス第4の都市で航空産業が盛んなトゥールーズ。」

「ピレネー地方と言えば、ミディ=ピレネー地域圏は、フランス南部の地域圏である。西はアキテーヌ地域圏、東はラングドック=ルシヨン地域圏、北はオーヴェルニュ地域圏とリムーザン地域圏に接している。南にはピレネー山脈があり、スペインとの国境となっており、アンドラとも接している。州都はフランス第4の都市で航空産業が盛んなトゥールーズです。」

「この地域は「コース地方」と「セヴェンヌ地方」からなっていますよ。」
「はい。」

「セヴェンヌ地方と言えば、セヴェンヌ地方は、コース地方の東側、山脈中央部の東西に延びる尾根が幾重にも重なる山地ないし丘陵地帯である。山地は大西洋側と地中海側の分水嶺になっている。」

「コース地方と言えば、フランス中央高原の、コース (Causse) と呼ばれる石灰岩台地が密集する地域である。高原部分の標高は900~1000メートル。侵食により深い谷が刻まれ、カルスト地形をなし、奇岩地帯となっている。羊の放牧がおこなわれており、羊乳チーズが有名である。」

「コースとセヴェンヌには、種々の動植物が生存し、美しく豊かな自然景観を形成していますよ。」
「そうなんですか。」

「「コース地方」は、標高800m~1200mの「カルスト台地」ですよ。」
「はい。」

「カルスト台地と言えば、カルスト地形とは、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形を含む)である。カルスト台地とは、カルスト地形の発達した台地である。」

「「カルスト」とは、水に溶解しやすい石灰岩などの成分が雨水によって浸食し、変化してできた地形のことで、世界各地で見られますね。」
「はい。」

「「コース地方」のカルストは、言わばそのフランスの代表格ですね。」
「そうなんですか。」

「「カルスト高原」のことをフランス語で「コース」といい、この単語がそのまま地方の名前として使われていますよ。」
「そうなんだ。」

「「セヴェンヌ地方」は、中央高地を形成する山脈で、最高地点はロゼール山の約1,700mですよ。」
「高いですね。」

「ロゼール山と言えば、最高峰のある北東部のロゼール山(1,699m)および南西部のエグワル山 (1,567m)は、花崗岩からなる。2つの山の間の鞍部から南東斜面の渓谷および丘陵地帯の地質は片岩である。」

「「セヴェンヌ地方」は、コース地方と地質が違い、主な成分は花崗岩です。」
「はい。」

「花崗岩と言えば、火成岩の一種。流紋岩に対応する成分の深成岩である。石材としては御影石(みかげいし)とも呼ばれる。」

「約300万年前から地形を形成していましたよ。」
「そんな昔からですか?」

「それ以降、地殻変動や様々な自然的要因により新しい岩が何層にも重なり、現在の山脈を形成していますよ。」
「はい。」

「「コース地方」と「セヴェンヌ地方」は、全く違った地質の地域が隣接した地域ですよ。」
「そうですね。」

「「コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観」は、多種多様な自然の光景が含まれることが想像できるでしょう。」
「はい。」

「「コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観」には、大きな国立公園が2つありますよ。」
「そうなんですか。」

「一つは、コース地方の大半を占める「グラン・コース地方自然公園」ですね。」
「はい。」

「グラン・コース地方自然公園と言えば、コース地方西部の大部分は、1995年指定の「グラン・コース地方自然公園」に指定されました。」

「もう一つは、コース地方のメジャン高原を含む「セヴェンヌ国立公園」ですね。」
「はい。」

「セヴェンヌ国立公園と言えば、32万ヘクタールに及ぶ『セヴェンヌ国立公園』は、1985年ユネスコの生物圏保存地域に登録された。」

「特に、セヴェンヌ国立公園の規模は壮大で、周辺地域も合わせると、総面積は3,200平方キロメートル以上になりますよ。」
「広いですね。」

「これは、東京都のおよそ1.5倍の広さですよ。」
「はい。」

「したがって、いかに広大な地域が自然公園として国に保護されているかがお分かりいただけると思います。」
「わかりました。」

「国立公園制定後、それまで減少傾向を辿っていた、多くの動植物が復活してきましたよ。」
「はい。」

「保護繁殖によるものだけでなく、自然に回復したものも数多くありますよ。」
「そうなんですか。」

「2011年に世界遺産に認定されてから、更に周辺地域の保護活動や観光客向けサービスの向上が期待されていますよ。」
「はい。」

「世界遺産「コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観」に該当する地域では、古くから牧畜が盛んに行われてきましたよ。」
「はい。」

「コース地方では主に羊、セヴェンヌ地方では山羊ですよ。」
「はい。」

「これらの牧畜は、その数の減少が見られますが、現在でも行われていますよ。」
「そうなんですか。」

「その光景がとてものどかで、人々の心に安らぎを与え、気持ちを和やかにしてくれますね。」
「はい。」

「フランスには、遺跡や歴史的建造物群などの多くの世界遺産が登録されていますね。」
「そうですね。」

「それぞれが、世界中から多くの観光客を惹きつけていますよ。」
「はい。」

「フランスののどかで牧歌的な一面が見られる「コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観」も又、旅の途中で是非立ち寄りたい所ですね。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と美しい景観~モン・サン・ミシェルとその湾~

「「モン・サン・ミシェルとその湾」は、1979年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「モン・サン・ミシェルと言えば、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院がある。モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。」

「フランス北西部のサン・マロ湾に浮かぶ孤島で、その孤島には「モン・サン・ミシェル」という、島と同じ名前を持つ修道院がありますよ。」
「はい。」

「「モン・サン・ミシェル」という、島と同じ名前を持つ修道院と言えば、モン・サン=ミシェルは、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院がある。モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。」

「フランス北西部のサン・マロ湾と言えば、フランス北西部,ノルマンディーのコタンタン半島西岸とブレア島付近までのブルターニュ半島北岸東部に抱かれ,イギリス海峡に臨む湾である。」

「かつて、フランス王が巡礼の地として頻繁に訪れましたよ。」
「そうなんだ。」

「現在では年間約300万人の巡礼者・観光客が訪れる、フランス屈指の観光スポットですよ。」
「なるほど。」

「「モン・サン・ミシェル」は、フランスで最も美しい修道院と言われていますよ。」
「はい。」

「フランスに数多くある修道院の中でも、最も有名で壮大な修道院ですよ。」
「そうなんですか。」

「「モン・サン・ミシェルとその湾」の歴史は、708年に遡りますよ。」
「はい。」

「この時、アヴランシュの司教だったオベールの夢に、大天使ミカエル(フランス語で「サン・ミシェル」)が現れ、オベールに「岩山に聖堂を建てよ」と命じましたよ。」
「はい。」

「司教だったオベールと言えば、言伝えによると、モン・サン・ミッシェルからほど近いアヴランシュの町の司教だったオベールの夢に大天使ミカエル(仏語でサン・ミッシェル)が現れ、「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じたということでした。」

「アヴランシュと言えば、フランス・バス・ノルマンディー地域圏のマンシュ県にある都市である。マンシュ県の南岸に位置する。モン・サン・ミシェルを見下ろす丘の上にある町である。」

「しかし、当初オベールは夢の内容を信じることはありませんでしたよ。」
「そうなんですか。」

「司教だったオベールと言えば、言伝えによると、モン・サン・ミッシェルからほど近いアヴランシュの町の司教だったオベールの夢に大天使ミカエル(仏語でサン・ミッシェル)が現れ、「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じたということでした。」

「聖堂建立を決意したのは、ミカエルが3度目に夢に出てきた時ですよ。」
「はい。」

「その時のミカエルはオベールの額に触り、聖堂建立を強く命じましたよ。」
「はい。」

「その額の感触が本物であると信じ、聖堂建設を決意しましたよ。」
「はい。」

「実際に聖堂を建立すると、陸続きだったモン・サン・ミシェルの地が一夜にして海で囲まれ、孤島になってしまったと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「その話より「天使が舞い降りた土地」として、それ以降モン・サン・ミシェルはキリスト教の聖地になりましたよ。」
「そうなんだ。」

「966年には、聖堂の大造営が行われましたよ。」
「はい。」

「オールが建てた小聖堂の上に「ノートルダム・スー・テール聖堂」が建立されましたよ。」
「はい。」

「ノートルダム・スー・テール聖堂と言えば、10世紀末には、ノルマンディー公リシャール1世がこの岩山にベネディクト会の修道院を建てました。またこの頃、最初にオーベルが建てた聖堂はノートルダム・スー・テール聖堂と名付けられる丸天井の地下礼拝堂に建て替えられました。」

「1212年~1228年には、修道院の居住スペース「ラ・メルヴェイユ」が建立されましたよ。」
「はい。」

「修道院の居住スペース「ラ・メルヴェイユ」と言えば、モン・サン・ミッシェルの北面に位置する3層のゴシック様式の建築棟の部分は、修道院の居住スペースとして13世紀に増築された部分です。その装飾の美しさから、「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)と呼ばれています。」

「それ以降、モン・サン・ミシェルは増築と倒壊を繰り返しながら、徐々に上へと伸びていきましたよ。」
「そうなんだ。」

「修道院が最初に危機的状態に陥ったのは、14世紀ですよ。」
「何があったんですか?」

「この時、フランスと英国の間で百年戦争が勃発し、修道院「モン・サン・ミシェル」は城塞として利用されましたよ。」
「はい。」

「フランスと英国の間の百年戦争と言えば、フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国の戦いである。現在のフランスとイギリスの国境線を決定した戦争である。」

「その頃から修道院として機能し続けることが困難になりましたよ。」
「はい。」

「16世紀に、一度修道院として復活を遂げましたよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、18世紀終わりのフランス革命では監獄に転用されましたよ。」
「はい。」

「フランス革命と言えば、18世紀にフランスで起きた市民革命である。1787年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデターまでが、一般に革命期とされている。革命によりフランスの王政と旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃され、近代的所有権が確立されるなど、全社会層が変革へ向かった。前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、 世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。」

「1863年まで、そこは「海のバスティーユ」と呼ばれるほど恐れられることになりましたよ。」
「はい。」

「海のバスティーユと言えば、18世紀になるとモンサンミッシェルは「海のバスティーユ監獄」と恐れられる監獄となります。国王は政治的犯罪者(政敵)や司教によって追放された司教や犯罪者を次々にモンサンミッシェルに送り込み、そのため修道士たちがこの囚人たちを管理しました。」

「このように、14世紀から18世紀終わりまで、修道士たちはモン・サン・ミシェルでのささやかな生活を諦めざるを得ない状況を余儀なくされましたよ。」
「大変ですね。」

「1879年には、フランス本土から堤防づたいに島に渡れるようになりましたよ。」
「はい。」

「モン・サン・ミシェルに本格的に修道士が戻ってきたのは、20世紀に入ってからですよ。」
「はい。」

「現存する修道院「モン・サン・ミシェル」は、15~16世紀に再建された、ゴシック様式のものですよ。」
「はい。」

「ゴシック様式と言えば、美術史や美術評論において、西ヨーロッパの12世紀後半から15世紀にかけての建築や美術一般を示す用語である。最初は建築のみに使用された用語だが、次第にゴシック建築が建造された時代の装飾、彫刻、絵画などへとその適応範囲が広がった。」

「700年代からの増改築と倒壊の歴史の末、「モン・サン・ミシェル」は、3つの階層からなる、ピラミッド型の複雑なものになりましたよ。」
「そうなんですか。」

「「モン・サン・ミシェルとその湾」は、まさにキリスト教巡礼者のための島ですよ。」
「はい。」

「最上階まで登るのにも長く複雑な階段を、時間をかけて登らなくてはなりませんよ。」
「そうなんですか。」

「聖なる「モン・サン・ミシェルとその湾」は、キリスト教徒たちにとってかけがいのない場所ですね。」
「そうですね。」

「現在も、毎年多くの巡礼者がここを訪れますよ。」
「はい。」

「世界遺産に登録されたことで、観光客も押し寄せてくるスポットになりましたよ。」
「はい。」

「「モン・サン・ミシェルとその湾」は、島全体がキリスト教世界であり、修道院や数多くの礼拝堂・聖堂を備えていますよ。」
「そうなんだ。」

「一説によると、フランスの中で最も観光客の数が多い場所と言われていますよ。」
「そうなんですか。」

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