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中東諸国のアジアの世界遺産~オマーンの灌漑システムのアフラジ・バハラ城塞・バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群・サウジアラビアのアル=ヒジュルの考古遺跡マダイン・サーレハ・バーレーンのバーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都・ヨルダンのペトラ・アムラ城・ウム・アル=ラサス~





中東諸国 アジア 世界遺産

中東諸国のアジアの世界遺産

「一般的には、日本からシナイ半島までの広大なエリアが、アジアとなっていますね。」
「そうですね。」

「シナイ半島と言えば、西アジアのアラビア半島とアフリカ大陸北東部の間にある半島である。北は地中海、南は紅海、東はアカバ湾、西はスエズ湾にそれぞれ面している。現在エジプト領で、南部沿岸地方は観光開発が行われ、世界的に有名な高級リゾート地となっている。」

「シナイ半島とは、アフリカ大陸とインドの間に突き出している半島ですね。」
「はい。」

「サウジアラビア、バーレーン、ヨルダン、オマーン・スルタンなどがありますね。」
「はい。」

「あまり馴染みの無い国であり、サッカーのワールドカップ予選で激突する以外には、日常的に意識する回数の少ない国々ですね。」
「そうですね。」

「中東アジアの世界遺産は、全て砂漠の延長にあるのですが、中東アジアの国々に、足を運んだ経験はありますか?」
「いいえ、ありません。」

「恐らく9割以上の日本人が、シナイ半島、中東アジアの国々へ渡航した経験はないと思います。」
「そうでしょうね。」

「イメージも知識も乏しいので、世界地図を目の前に出されても、どこにどの国があるのか、正答できない日本人の方が多いはずですね。」
「そうだと思います。」

「中東アジアの世界遺産は、どのような感じでしょうか?」
「詳しく教えてください。」

「全ての世界遺産が、砂漠の延長と考えられますね。」
「そうでしょうね。」

「半島の大半が、砂漠で成り立っていますね。」
「はい。」

「その土地の色が、世界遺産に認定された建造物の基本的な色を構成していますよ。」
「どういうことですか。」

「中東アジアに散在する世界遺産はほとんど全て、砂漠の土で作られた、砂漠の色をした建造物ですよ。」
「そうなんだ。」

「本来、建造物はその土地にある材料でしか造れないのですが、世界の建造物は、周辺の土地にある材料で作られていましたよ。」
「はい。」

「ジャングルの熱帯雨林で作られる建造物と、砂漠の町で作られる建造物を比べると、それらの材料は、当然違っていますよ。」
「そうでしょうね。」

「今でこそ、世界の物流と技術が発達したため、砂漠の真ん中に鉄筋コンクリートとガラスの高層建築物を建てられるようになりましたよ。」
「なるほど。」

「昔は、自分たちの足で歩き回れる範囲内にある材料を使って建築物を作りましたよ。」
「はい。」

「その結果当然、中東アジアの国々の建築物は砂、土、石を集めた建築になりましたよ。」
「なるほど。」

「逆を言えば、その地域性が色濃く反映された建築物にこそ、世界遺産としての価値が生まれますよ。」
「はい。」

「世界が均一化しつつある現在だからこそ、その土地固有の価値が、世界遺産として高い評価を受けますね。」
「わかりました。」

「シナイ半島にあるアジア各国の世界遺産をチェックしてみよう。シナイ半島を構成するアジア各国の世界遺産をチェックしてください。」
「わかりました。」

「例えば、最近ワールドカップアジア予選で激突したオマーンの世界遺産、バハラ城塞、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、全て乾いた土の色をしていますよ。」
「はい。」

「アル=アインと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「アル=フトゥムと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「バットと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「バハラ城塞と言えば、アフダル山の麓に位置する四つの歴史的城塞の一つである。建造されたのは13世紀から14世紀にかけてのことで、当時のバハラはBanu Nebhanの一族のもとでオアシス都市としての繁栄を享受していた。バハラの街には、オアシス、市場(スークSuq)、ヤシの木立などがあり、都市自体が約 12 km の城壁に囲まれている。この町は陶磁器でも知られている。」

「中東アジアの大国サウジアラビアの世界遺産を見てください。」
「はい。」

「アル=ヒジュルの考古遺跡、まさに砂漠の岩石をくりぬいた形で出来上がっていますよ。」
「そうなんだ。」

「アル=ヒジュルと言えば、マダイン・サーレハは、現サウジアラビア領内に存在していた古代都市である。マダイン・サーレハは「サーリフ(Saleh)の町」を意味し、アル=ヒジュル(岩だらけの場所)とも呼ばれた。」

「中東アジアの一角をなし、ペルシャ湾に面した小国バーレーンの世界遺産には、バーレーン要塞がありますよ。」
「はい。」

「バーレーン要塞と言えば、バーレーンに残る遺跡である。紀元前3千年紀から16世紀に至るまで、時代ごとに新たな建造物が積み重ねられてきたテルである。2005年の第29回世界遺産委員会でバーレーン初の世界遺産リスト登録物件となった。」

「ペルシャ湾と言えば、ペルシア湾は、ペルシャ湾とも呼び、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾である。」

「こちらも例外なく、乾いた砂地の上に作られていますよ。」
「なるほど。」

「イスラエルの東に位置し、アジアの最も西にあるヨルダンには、ペトラ、アムラ城、ウム・アル=ラサスという世界遺産がありますよ。」
「はい。」

「ウム・アル=ラサスと言えば、ヨルダンにある遺跡である。ラサス地域の遺跡とも訳される。2004年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。ウム・アル=ラサスは、ローマ帝国の占領時からイスラム教の王朝が支配した3世紀末から9世紀に都市を形成していたと考えられる。最初は、ローマ軍の軍事基地であったといわれている。」

「アムラ城と言えば、アムラ城、もしくはカスル・アムラは、ヨルダンにある浴場施設を中心としたウマイヤ朝時代の城館遺跡である。クサイル・アムラともいう。1985年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「ペトラと言えば、ヨルダンにある遺跡である。死海とアカバ湾の間にある渓谷にある。死海から約80km南に位置する。またペトラとは、ギリシャ語で崖を意味する。1985年12月6日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「どれも古代遺跡ですが、例外なく乾いた土の色、砂漠の色をしていますよ。」
「そうなんだ。」

「中東アジアの世界遺産は、厳しい環境の砂漠周辺で生き抜くために、人々が築き上げた英知の結晶ですね。」
「わかりました。」

「中東アジア、シナイ半島の世界遺産ツアーに出かけよう。世界中に、世界遺産は色々とありますね。」
「そうですね。」

「日本にもありますね。」
「はい。」

「お隣の中国、韓国はもちろん、北朝鮮にすらあるんですよ。」
「そうですね。」

「まずは自分の国、あるいは周辺のアジア各国にある世界遺産が優先されると思いますね。」
「はい。」

「行き場所に迷ったら、中東のアジア、シナイ半島の世界遺産へ出かけましょう。」
「わかりました。」

「タイミングがないなら、例えばサッカー日本代表がアジア予選をアウェーで戦う際に、一緒に付いて応援に出かけてはいかがですか?」
「それはチャンスですね。」

「ヨルダン、バーレーン、サウジ、オマーンなどに観戦ツアーが組まれていますよ。」
「はい。」

「その時に世界遺産をセットで回れるツアーもあるので、その機会を利用して訪れると良いでしょう。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~オマーンの灌漑システムのアフラジ~

「東南アジアにあらゆる種類の世界遺産があることは、お分かり頂けたと思います。」
「はい。」

「まだまだ東南アジアには、不思議な世界遺産が点在していますよ。」
「どういうものがあるんですか?」

「中でも、「オマーンの灌漑システム、アフラジ」は、非常にユニークな種類の世界遺産ですね。」
「そうなんですか。」

「アフラジと言えば、オマーンのアフラジ灌漑施設は、ダヒリア地方とシャルキーヤ・バテイナ地方に跨る灌漑施設である。考古学的に、紀元前2500年前からこの地に灌漑施設があったとされている。」

「この世界遺産は、数ある世界遺産の中でも非常に珍しい世界遺産ですね。」
「どんなものですか?」

「おそらく、色々な国を観光してきた人でも思わず「灌漑システムって何?」と、はてなマークを浮かべてしまうのではないかと思われますよ。」
「そうなんだ。」

「「オマーンの灌漑システム、アフラジ」とは、オマーンにある地下用水路を利用した給水システムですよ。」
「はい。」

「「灌漑(かんがい)」というのは、簡単に言うと、海や川などから人の生活している住居まで水を引く為のシステムですね。」
「はい。」

「世界各国で使われてきたシステムのことを指していますよ。」
「そうなんだ。」

「灌漑は、オマーンにとって立派な生活必需品ですよ。」
「はい。」

「オマーンでは、この灌漑システムのことを「ファラジ」と呼んでいますよ。」
「はい。」

「ファラジと言えば、オマーンにある地下水路を利用する灌漑システムである。オマーン国内には生活用水や農業用水の供給のために3000以上のファラジが存在する。そのうち5つはユネスコの世界遺産に登録されている。」

「古くから、人々の生活をささえてきたシステムとして敬っていますよ。」
「そうなんだ」

「そんなファラジを包括したものが、この世界遺産、「オマーンの灌漑システム、アフラジ」ですよ。」
「はい。」

「ただ、水道のようなものが整備されているスポットというわけではありませんよ。」
「どういうことですか?」

「およそ三千以上ものファラジが、その辺り一帯に保存されていますよ。」
「多いなあ。」

「圧巻のスポットになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「世界中にある世界遺産は、だいたい大聖堂(カテドラル)のようなものであったり、政治的な意味をもつ要塞であったり、巨大なお墓であったりしますね。」
「そうですね。」

「生活用水をくみ上げてきた世界遺産というのは、地味に感じられるかも知れませんね。」
「はい。」

「実際見てみると、かなり綺麗で壮大ですよ。」
「そうなんですか。」

「オマーン旅行をする予定のある方は、是非観光してほしいと思います。」
「わかりました。」

「紀元前から使われていたとされるシステムなので、歴史情緒が感じられますよ。」
「はい。」

「かつての生活の様子を知りたい方にも、かなりおススメですよ。」
「わかりました。」

「グレートバリアリーフのような海もなく、万里の長城のようなスケールもありませんよ。」
「はい。」

「ミクロの目線で見る世界遺産も、たまには良いのではないでしょうか。」
「そうですね。」

「「どこを水源としているファラジなのか」、「どのようにして変化してきたのか」ということを考えながら見学すると、より深く世界遺産の謎に迫ることができますよ。」

「はい。」

「ミステリアスなものが好きな方も、是非観光しましょう。」
「わかりました。」

「この世界遺産の他にも、オマーンには面白いスポットがたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」

「色々な場所を観光して、オマーンの魅力に触れてくださいね。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~オマーンのバハラ城塞~

「「バハラ城塞」は、オマーン北東のアフダル山の麓にある城塞跡ですよ。」
「はい。」

「オマーン北東のアフダル山と言えば、オマーン湾に面するバティナ海岸平野の内陸側を,北西から南東に走るハジャル山脈の中央部(最高峰は3101m)をさす。アフダルはアラビア語で〈緑〉を意味する。」

「バハラ城塞と言えば、アフダル山の麓に位置する四つの歴史的城塞の一つである。建造されたのは13世紀から14世紀にかけてのことで、当時のバハラはBanu Nebhanの一族のもとでオアシス都市としての繁栄を享受していた。バハラの街には、オアシス、市場(スークSuq)、ヤシの木立などがあり、都市自体が約 12 km の城壁に囲まれている。この町は陶磁器でも知られている。」

「オマーンという国は、城や城塞が数多く存在していることで有名ですね。」
「そうなんですか。」

「100を超えるそれらの中の頂点とも言えるのが、「バハラ城塞」ですね。」
「そうなんだ。」

「城内には、132本の塔があると言われていますよ。」
「多いなあ。」

「1987年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「雨が続くと、壁がぼろぼろと崩れ落ちるなど危機的状況にありましたよ。」
「そうなんだ。」

「オマーン政府は城塞を非公開にした上で、大金をつぎ込み修復作業を行いましたよ。」
「はい。」

「1993年から6年間続いた修復工事により、現在では綺麗な姿で一般公開されていますよ。」
「それはいいですね。」

「オマーンの首都マスカットから、南西に200キロの位置にありますよ。」
「はい。」

「オマーンの首都マスカットと言えば、西アジア、オマーンにある都市で、同国の首都である。オマーン湾にのぞむオマーン最大の港湾都市で、政治、経済、文化、教育の中心。」

「「バハラ城塞」は、13世紀から14世紀にかけて、アラブ系のアズド族によって造営されましたよ。」
「はい。」

「アラブ系のアズド族と言えば、オマーン諸部族の先祖と言われている。」

「街全体を囲むように、12キロに及ぶ城壁が巡らされている巨大な城塞ですよ。」
「そうなんですか。」

「街には、市場やナツメ椰子などが生えたオアシスがありますよ。」
「はい。」

「ナツメ椰子と言えば、ヤシ科の常緑高木である。果実(デーツ、Date)は北アフリカや中東では主要な食品の1つであり、この地域を中心に広く栽培が行われている。」

「かつての繁栄ぶりを窺わせますね。」
「はい。」

「バハラは、アフダル山脈の地下水の恵みをうけたオアシス都市でしたよ。」
「そうなんだ。」

「アフダル山脈と言えば、オマーンにはアフダル山脈(アフダルはアラビア語で「緑」)という3000m級の高い山脈が走っている。」

「「バハラ城塞」には、日干し煉瓦とヤシの幹が建材として使用されていますよ。」
「はい。」

「焼き煉瓦とは異なり、白っぽいクリーム色をしていますよ。」
「はい。」

「中東の乾いた空気によくマッチしていて、たいへん素敵な外観になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「円筒形や角柱形の塔がいくつも建っており、いかにも城塞といった趣ですよ。」
「はい。」

「点在する高い塔は、外敵の侵入がないかどうかを監視するためと言われていますよ。」
「なるほど。」

「城塞のすぐ近くには、金曜礼拝用のモスクがあり、一般公開されていますよ。」
「はい。」

「この建物も、大規模な改修を受けていますよ。」
「はい。」

「肝心のメヘラーブ(メッカの方角を示すための壁の窪み)だけは、14世紀のものが保存されており、ここも合わせて訪れたい人気スポットの一つですね。」
「そうなんだ。」

「メヘラーブ(メッカの方角を示すための壁の窪み)と言えば、「バハラ城塞」は、オマーン北東のアフダル山の麓にある城塞跡です。城塞のすぐ近くには金曜礼拝用のモスクがあり、一般公開されています。この建物も大規模な改修を受けていますが、肝心のメヘラーブ(メッカの方角を示すための壁の窪み)だけは14世紀のものが保存されています。」

「「バハラ城塞」が建つアフダル山の麓には、他にも、イズキ城塞・ニズワ城塞・ルスタク城塞の3つが存在していますよ。」
「はい。」

「ルスタク城塞と言えば、バハラ城塞は、近隣のイズキ(Izki)、ニズワ(Nizwa)、少し北に離れたルスタク(Rustaq)の各城塞とともに、ハワーリジュ派の中心拠点となっていた。」

「ニズワ城塞と言えば、オマーンの代表的な城塞の一つであるニズワ・フォートはアル・ヤルービ朝時代の17世紀に12年の歳月をかけて築かれている。この城塞には敵の侵入を防ぐための狭い通路、ナツメヤシの煮えたぎらせた油をかける天井の穴、牢獄などがある。」

「イズキ城塞と言えば、バハラ城塞は、近隣のイズキ(Izki)、ニズワ(Nizwa)、少し北に離れたルスタク(Rustaq)の各城塞とともに、ハワーリジュ派の中心拠点となっていた。」

「オマーン北東のアフダル山と言えば、/word/%E9%80%9A%E5%B8%B8オマーン湾に面するバティナ海岸平野の内陸側を,北西から南東に走るハジャル山脈の中央部(最高峰は3101m)をさす。アフダルはアラビア語で〈緑〉を意味する。」

「さすがはオマーンですね。」
「はい。」

「さらに、バハラ郊外の砂漠の中には、バララブ・ビン・スルタンの宮殿として1671年に建造されたジャブリン城がありますよ。」
「そうなんだ。」

「ジャブリン城と言えば、オマーンの首都マスカットの南西約200km、荒野の町・バハラァの郊外に位置する要塞である。1600年代に建設された美しい天井の壁画や木製の碑銘に彩られた城で、オマーン建築の傑作の一つといわれている。」

「バララブ・ビン・スルタンと言えば、バハラ郊外の砂漠の中には、バララブ・ビン・スルタンの宮殿として1671年に建造されたジャブリン城があります。こちらも立派な外観と館内装飾を有しており、また城から眺められる景色も素晴らしいです。」

「こちらも立派な外観と館内装飾を有しており、城から眺められる景色も素晴らしいですよ。」
「はい。」

「「バハラ城塞」は、オマーンにある世界遺産の中で、間違いなく最も人気の高いスポットでしょう。」
「わかりました。」

「以前は観光に行ったのに、修復工事のための足場が組まれていて中に入れず残念な思いをした人も多いでしょう。」
「そうなんだ。」

「現在では、修復工事が完了し、ユネスコの危機遺産リストからも除外されていますよ。」
「はい。」

「かつてオアシス都市として繁栄を誇った「バハラ城塞」を堪能してはいかがでしょう。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~オマーンのバット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群~

「「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」は、オマーンに点在する古代遺産群ですね。」
「はい。」

「アル=アインと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「アル=フトゥムと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「バットと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「バットのネクロポリス(共同墓地)、アル=フトゥムの塔、アル=アインのネクロポリス、この三遺跡を合せて一つの世界遺産として1988年ユネスコに登録されましたよ。」
「はい。」

「アル=アインのネクロポリスと言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「アル=フトゥムの塔と言えば、バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群は、オマーンにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つである。アフダル山脈(英語版)に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。」

「元々は、「バットのネクロポリス」として、オマーンが推薦していましたよ。」
「そうなんだ。」

「審議の結果、現在のように周囲の二つの遺跡とまとめて登録になりましたよ。」
「はい。」

「「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」があるマガン地方には、かつてマガン国という国家があったとされていますね。」
「そうなんですか。」

「マガン国と言えば、アフダル山地には紀元前2500年以上前からとされる銅山があり、かつてこの地にあったマガン国はメソポタミアとの交易で栄えた。」

「「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」があるマガン地方と言えば、バットの遺跡などが残るマガン(Magan)地方は、紀元前3千年紀には、遠く離れたメソポタミアの地にまで銅を輸出していたとされる。当時のマガン地方の実態は未解明の部分が多く、1972年に発掘が始まったバットの遺跡の調査は、その解明に寄与するものと期待された。」

「しかし、その民族や由来など詳しいことは、ほとんどわかっていませんよ。」
「はい。」

「確かなことは、遺跡が残るアフダル山脈では紀元前2500年頃から銅の採掘が営まれていたこと、そして交易によって銅を遠くメソポタミアまで輸出していたらしいですよ。」
「はい。」

「アフダル山脈と言えば、オマーンにはアフダル山脈(アフダルはアラビア語で「緑」)という3000m級の高い山脈が走っている。」

「華々しいメソポタミア文明に銅を供給することで、陰からその発展を支えていたと言えるでしょう。」
「そうなんだ。」

「メソポタミア文明と言えば、メソポタミアとは「川の間の地」という言葉であり、ティグリス川とユーフラテス川の流域で発生した文明である。また、この地を「肥沃な三日月地帯」と言い表すこともある。」

「大規模で立派な古代遺跡を期待して、「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」に足を運んでしまうと、少々肩透かしを食らうでしょう。」
「そうなんですか。」

「現在、これらの遺跡に残されているのは、石を積んで造られた小屋のようなものや、跡形もなく崩れ去ったかつての集落跡など、こじんまりとしたものが多いからです。」
「なるほど。」

「世界遺産に登録された「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」は、考古学的に見て、極めて価値のある遺跡ですね。」
「はい。」

「外から見ると、蜂の巣のように見える小屋が並んだ古代のネクロポリス跡は、葬送儀礼の変遷を考える上で貴重な資料となりえますよ。」
「そうなんですか。」

「バットの遺跡からは、6メートルほどの高さの塔が五つほど発掘されましたよ。」
「それは何ですか?」

「いったいこれが何なのかは、まだ解明されていませんよ。」
「そうなんですか。」

「今後の発掘調査による成果が、期待されていますよ。」
「はい。」

「これから又、新しい何かが出てくるかも知れない、発掘途上の遺跡ですね。」
「そうなんだ。」

「未だ謎の多い「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」ですよ。」
「はい。」

「これだけを見るために、オマーンまで行く人はあまりいないと思いますね。」
「そうですね。」

「同じくオマーンにある世界遺産「バハラ城塞」からそれほど遠くない位置にありますよ。」
「はい。」

「バハラ城塞と言えば、アフダル山の麓に位置する四つの歴史的城塞の一つである。建造されたのは13世紀から14世紀にかけてのことで、当時のバハラはBanu Nebhanの一族のもとでオアシス都市としての繁栄を享受していた。バハラの街には、オアシス、市場(スークSuq)、ヤシの木立などがあり、都市自体が約 12 km の城壁に囲まれている。この町は陶磁器でも知られている。」

「そちらの観光のついでに寄ってみるといいと思いますよ。」
「はい。」

「オマーンのゆったりとした空気の中、散歩のつもりで見て回ってはいかがでしょう。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~サウジアラビアのアル=ヒジュルの考古遺跡マダイン・サーレハ~

「「アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)」は、サウジアラビアの北西部、砂漠の中に位置する古代遺跡ですよ。」
「はい。」

「マダイン・サーレハと言えば、現サウジアラビア領内に存在していた古代都市である。マダイン・サーレハは「サーリフの町」を意味し、アル=ヒジュル(岩だらけの場所)とも呼ばれた。」

「アル=ヒジュルと言えば、マダイン・サーレハは、現サウジアラビア領内に存在していた古代都市である。マダイン・サーレハは「サーリフ(Saleh)の町」を意味し、アル=ヒジュル(岩だらけの場所)とも呼ばれた。」

「現在、サウジアラビア唯一の世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「アル=ヒジュルは、「岩だらけの場所」を、別名のマダイン・サーレハは「サーリフの町」を意味していますよ。」
「はい。」

「2008年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「「アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)」には、紀元前1世紀~紀元1世紀に作られた建造物が残されていますよ。」
「そうなんだ。」

「当時、この地にはナバテア人が定住していましたよ。」
「はい。」

「ナバテア人と言えば、ナバテア人は元来北アラビアを起源とする遊牧民族であり、羊の放牧や盗賊稼業、貿易などを行いながら、当時エドム人が居住していたペトラを拠点に生活していた。」

「ヨルダンのペトラと並んで、かつての“ナバテア王国”を伝える考古学的にも重要な遺跡ですよ。」
「そうなんだ。」

「ナバテア王国と言えば、ナバテア王国は紀元前2世紀前半頃にペトラ(現在のヨルダン西部)を中心に栄えたナバテア人の王国である。」

「ペトラと言えば、ヨルダンにある遺跡である。死海とアカバ湾の間にある渓谷にある。死海から約80km南に位置する。またペトラとは、ギリシャ語で崖を意味する。1985年12月6日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「ナバテア人の起源については諸説ありますが、未だ確かなことは言えないようですね。」
「そうなんですか。」

「遺跡の中でとりわけよく保存されているのが、外壁に装飾が施された墓ですね。」
「はい。」

「砂漠に点在する巨岩を掘って内部を空洞とし、入口に当たる部分は平らにした上でレリーフ彫刻で装飾されていますよ。」
「そうなんだ。」

「レリーフ彫刻と言えば、レリーフは、美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」

「「アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)」では、100以上の墓が見つかっていますよ。」
「多いですね。」

「巧みに手を加えられた外装とは対照的に、内部は質素な作りのものが多いですよ。」
「はい。」

「岩山をくりぬいて作られた空間には一種独特の雰囲気があり、墓ということもあいまって思わず畏怖の念を覚えずにはいられませんね。」
「そうなんだ。」

「サウジアラビア初の世界遺産であり、多くの観光客が古代遺跡を見に訪れる「アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)」ですよ。」
「はい。」

「現地では、いわくつきの不吉な場所として怖れられていますよ。」
「そうでしょうな。」

「これは、イスラム教の聖典『コーラン』の中のあるエピソードに由来していますよ。」
「どういうことですか?」

「記述によると、かつてこの地に住んでいたタムード人に神アッラーがラクダを与えましたよ。」
「はい。」

「タムード人と言えば、サウジアラビアに存在する唯一の世界遺産、マダイン・サーレは、南の都と言われています。 作られた時代や作った民族については諸説あり、ナバティア人の都と言われることもあれば、その前から存在したタムード人の都であったという説も。装飾の施された墓石群が特徴的で、過去に遡る碑文も発見されています。」

「その時、使徒であるサーレハという人物は、ラクダを大切に飼うようにと言いますよ。」
「はい。」

「タムード人たちは、彼の言葉に反してラクダを殺してしまいます。」
「それからどうなったんですか?」

「怒ったアッラーは、サーレハとその従者以外のタムード人を滅ぼしたということですよ。」
「本当ですか?」

「熱心なムスリムであるサウジアラビアの人々にとって、「アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)」は、過去にアッラーの怒りに触れて罰を受けた呪われた場所ですね。」
「そうなんだ。」

「「アル=ヒジュルの考古遺跡 (マダイン・サーレハ)」は、古代遺跡好きにはたまらない世界遺産でしょう。」
「わかりました。」

「サウジアラビアにわざわざ旅行しに行く人は、少ないかも知れませんね。」
「そうですね。」

「中東を訪れた際に、ちょいと足を伸ばしてみるのもいいかも知れませんよ。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~バーレーンのバーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都~

「「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」は、バーレーン北部に位置する遺跡群ですよ。」
「はい。」

「バーレーン要塞と言えば、バーレーンに残る遺跡である。紀元前3千年紀から16世紀に至るまで、時代ごとに新たな建造物が積み重ねられてきたテルである。2005年の第29回世界遺産委員会でバーレーン初の世界遺産リスト登録物件となった。」

「発掘調査の途中でまだ不明な点が多いにもかかわらず、考古学的に極めて重要であることは確かとされ、2005年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「2011年時点で、バーレーンにおける唯一の世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」は、よく“テル(遺丘)”という言葉で説明されますよ。」
「どういう意味ですか?」

「テルというのは、特定の場所に何度も繰り返し建物などが建てられることによって、丘状に盛り上がった土地を指しますよ。」
「そうなんだ。」

「古い遺跡が、下に埋まった層のような状態になりますね。」
「はい。」

「「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」に関しても、何千年もの長きにわたって繰り返し建造物が建てられましたよ。」
「はい。」

「そのため、この一か所に様々な時代・文化・様式の建造物が蓄積されていますよ。」
「そうなんですか。」

「考古学的にたいへん貴重な歴史資料になっていますよ。」
「はい。」

「「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」に残る遺跡の最下層は、紀元前3000年まで遡るとも言われていますよ。」
「そんなに古いんですか?」

「伝説の地名“ディルムン”の都だったのではないかと考えられていますよ。」
「はい。」

「ディルムンは、メソポタミア文明とインダス文明の中継地点として交易が行われていたとされる地ですよ。」
「はい。」

「インダス文明と言えば、パキスタン・インド・アフガニスタンのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明である。崩壊の原因となったという説のあった川の名前にちなんでインダス文明、最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明とよばれる。」

「メソポタミア文明と言えば、メソポタミアとは「川の間の地」という言葉であり、ティグリス川とユーフラテス川の流域で発生した文明である。また、この地を「肥沃な三日月地帯」と言い表すこともある。」

「シュメール神話においては、世界が生まれたとされる場所に、その名前がつけられていますよ。」
「そうなんですか。」

「シュメール神話と言えば、シュメール神話は、世界で一番、古い神話である。一般的な知名度では、「ギリシャ神話」や「旧約聖書」の方が断然上なのだが、古さではシュメール神話が大幅に上回っている。それだけでなく、ギリシャ神話や旧約聖書には、シュメール神話と似たエピソードがとにかく多い。」

「現在、我々が目にすることができるのは、16世紀にバーレーン島を占領したポルトガル軍が造営した要塞跡ですよ。」
「はい。」

「バーレーン島と言えば、バーレーン王国、通称バーレーンは、中東・西アジアの国家である。首都はマナーマ。ペルシア湾のバーレーン島(英語版)を主島として大小33の島(ムハッラク島など)から成る君主制の島国である。バーレーン島北部にはオアシスがあり、そこからエデンの園はバーレーンにあったのではないかと言う人もいる。」

「そのため、この要塞は“ポルトガル要塞”とも呼ばれていますよ。」
「はい。」

「その一つ下の層には、14世紀にアラブ人が作った要塞跡が埋まっていますよ。」
「そうなんだ。」

「「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」には、ディルムンの古代様式、サーサーン朝様式、イスラーム様式、ポルトガル様式など、過去の遺跡が幾重にも重なっていますよ。」
「はい。」

「イスラーム様式と言えば、7世紀以降、イスラム教文化の進展とともにモスク(礼拝所)などを中心として形成された様式である。」

「ディルムンの古代様式と言えば、ディルムンは、紀元前3000年のほぼ人類最初の商都である。世界遺産「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」には、ディルムンの古代様式、ササン朝、イスラーム、ポルトガル等々、過去が幾重にも重なっている。」

「「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」は、砂地にあり、眩しいほど白い砂の上にどっしりと腰を下ろしていますよ。」
「はい。」

「要塞自体も、太陽のもとで白く目に美しい外観になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「さすがに要塞だけあって、生半可な攻撃ではびくともしないような重量感を感じさせる堅牢な建物ですね。」
「はい。」

「夜になるとライトアップされますよ。」
「はい。」

「バーレーンのだだっ広い夜空のもとで、神秘的な姿を浮かばせますよ。」
「いいですね。」

「砂地にあるといっても、砂漠のど真ん中にあるわけではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「すぐ近くに近代的な都市があるため、気軽に遺跡を訪れることができますよ。」
「それは便利ですね。」

「バーレーン初の世界遺産「バーレーン要塞-ディルムンの古代の港と首都」は、気の遠くなるような歴史が積み重なった場所ですよ。」
「はい。」

「古代文明に思いを馳せてみるのも面白いかも知れませんね。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~ヨルダンのペトラ~

「「ペトラ」は、ヨルダン西南部にある古代遺跡ですね。」
「はい。」

「ペトラと言えば、ヨルダンにある遺跡である。死海とアカバ湾の間にある渓谷にある。死海から約80km南に位置する。またペトラとは、ギリシャ語で崖を意味する。1985年12月6日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「北の死海と南のアカバ湾をつなぐ、ヨルダン渓谷に造営された古代都市ですよ。」
「はい。」

「ヨルダン渓谷と言えば、南に海への出口アカバ港があり,約17kmのサンゴ礁の海岸線がある。地勢は西部山地,ヨルダン渓谷,東部砂漠に大別され,国土の80%以上が砂漠または半砂漠である。西部山地には標高600~1000m級の二つの山脈がヨルダン川に平行に走っており,その谷間は世界で最も低い大地溝帯を形成し,海面下200~300mの低地,ヨルダン渓谷となる。」

「アカバ湾と言えば、紅海の北奥、シナイ半島の東側にある、南北に細長く伸びる湾である。チラン海峡より北側にある。両岸はエジプトとサウジアラビアであるが、最奥部にはイスラエルのエイラト、ヨルダンのアカバの各港があり、4ヶ国の国境が集中している。イスラエルではエイラト湾とよばれている。」

「死海と言えば、アラビア半島北西部に位置する塩湖である。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。歴史的に様々な名前で呼ばれたが、現在の英語名 (The Dead Sea) はアラビア語名に由来する。」

「ペトラという名は、ギリシア語で「崖」を意味していますよ。」
「そうなんだ。」

「1985年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「中東にある世界遺産の中でも、とりわけ有名な遺跡ですね。」
「そうなんですか。」

「テレビなどで、一度は目にしたことがあるかも知れませんね。」
「そうなんだ。」

「「ペトラ」の特徴はなんといっても、その特異なロケーションにありますよ。」
「どういうことですか?」

「岩礁地帯であるヨルダン渓谷には、基本的に岩しかありませんよ。」
「はい。」

「地面は、ほとんどが乾燥しきった砂に覆われていますよ。」
「はい。」

「土が少ないため、植物の姿もあまり見られませんね。」
「そうなんだ。」

「ひたすら岩場の間を歩いていくことになりますよ。」
「はい。」

「有名な“シーク”と呼ばれる道になると、左右を100メートル弱の高さの岩場に挟まれた細い道になりますよ。」
「はい。」

「有名な“シーク”と呼ばれる道と言えば、ヨルダンで最も有名な遺跡ペトラは、紀元前6世紀頃アラビア半島から移住してきた古代ナバタイ人の都市遺跡です。遺跡の入り口からは徒歩もしくは馬にて1.2km程の道を進み、800mにわたるシークと呼ばれる岩の裂け目にできた道を通じてペトラ遺跡に到着します。」

「まるで切り通しのような所を通っていきますよ。」
「はい。」

「このような特異な環境と中東の要所に囲まれるような立地から、中東交易の拠点の役割を果たしましたよ。」
「そうなんだ。」

「紀元前1世紀頃から、ナバテア人の都として大いに繁栄しましたよ。」
「はい。」

「ナバテア人と言えば、ナバテア人は元来北アラビアを起源とする遊牧民族であり、羊の放牧や盗賊稼業、貿易などを行いながら、当時エドム人が居住していたペトラを拠点に生活していた。」

「その後、古代ローマの支配下に入りましたよ。」
「はい。」

「「ペトラ」には、ナバテア王国の遺跡だけではなく、ローマ劇場などのローマ風建築も残されていますよ。」
「そうなんだ。」

「ナバテア王国と言えば、ナバテア王国は紀元前2世紀前半頃にペトラ(現在のヨルダン西部)を中心に栄えたナバテア人の王国である。」

「ペトラと言えば、ヨルダンにある遺跡である。死海とアカバ湾の間にある渓谷にある。死海から約80km南に位置する。またペトラとは、ギリシャ語で崖を意味する。1985年12月6日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「「ペトラ」には、非常に数多くの遺跡が残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「見所には事欠きませんよ。」
「はい。」

「「ペトラ」の顔とでもいうべき建造物が、“エル・カズネ(宝物殿)”ですね。」
「はい。」

「エル・カズネ(宝物殿)と言えば、古代ヨルダンの都市ペトラにおける最も精緻な建築物の一つである。この古代都市の、エド・ディル(修道院)を含むその他ほとんどの建築物と同様に、この建造物もまた砂岩の岩肌を彫って造られたものである。エル・カズネは古代ギリシア建築の影響を受けており、貴重な観光地になっている。」

「断崖絶壁に挟まれた道の途中にあり、垂直に切り立った岩壁を掘って作られていますよ。」
「そうなんだ。」

「「新・世界七不思議」に選出されただけあって、その出来栄えは目を疑うほどですよ。」
「そうなんですか。」

「縦長の長方形にくり抜かれた岩壁の中に、神殿の入り口を思わせるレリーフが極めて立体的に彫り出されていますよ。」
「はい。」

「あまりにも精巧に作られ、とても平板な岩を彫って作ったものとは思えませんよ。」
「そうなんだ。」

「建築された神殿が、岩壁からひょっこり顔を出しているように見えますよ。」
「はい。」

「これが何千年も昔に造られたと思うと、当時の技術水準の高さが伝わってきて感嘆してしまいますね。」
「はい。」

「他にも、岩場を掘って作られたいくつもの墓や、凱旋門、石畳の道や水路、神殿、ダムなど、「ペトラ」には、様々な遺跡が存在していますよ。」
「いろいろありますね。」

「驚くべきは、そのすべてが岩で作られていることですよ。」
「そうなんだ。」

「岩のテーマパークとでも言えそうな世界遺産「ペトラ」は、世界中から観光客が訪れる人気スポットですね。」
「はい。」

「是非一度は見ておきたい世界遺産の一つであることは、間違いありませんね。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~ヨルダンのアムラ城~

「「アムラ城」は、ヨルダンの中央部に位置する遺跡ですよ。」
「はい。」

「アムラ城と言えば、アムラ城、もしくはカスル・アムラは、ヨルダンにある浴場施設を中心としたウマイヤ朝時代の城館遺跡である。クサイル・アムラともいう。1985年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「ウマイヤ朝時代に造営された城の跡ですよ。」
「はい。」

「ウマイヤ朝と言えば、イスラム史上最初の世襲イスラム王朝(661年 - 750年)。サラセン帝国(ただしサラセン帝国はかつてのヨーロッパでの呼称)、大食(唐での呼称)、またはカリフ帝国やアラブ帝国と呼ばれる体制の王朝のひとつであり、イスラム帝国のひとつでもある。イスラームの預言者ムハンマドと父祖を同じくするクライシュ族の名門で、メッカの指導層であったウマイヤ家による世襲王朝である。」

「ヨルダン国内にある砂漠の城の中で、最も美しいものと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「現地の紙幣にも「アムラ城」の絵が使われていますよ。」
「はい。」

「1985年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「「アムラ城」は、8世紀にウマイヤ朝の王ワリード1世によって造営されたと考えられていますよ。」
「そうなんだ。」

「ウマイヤ朝の王ワリード1世と言えば、8世紀に入るとすぐにウマイヤ家カリフとしてワリード1世が即位しました。彼は東はソグディアナから西北インドのシンド地方まで征服し、西へはジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に達しました。」

「征服地を統治するためという、大義名分のもとで作られましたよ。」
「はい。」

「本当の目的は、王族たちが国民に隠れて享楽するために造られた離宮であるというのが定説ですね。」
「そうなんですか。」

「イスラームの戒律は厳格ですね。」
「そうですね。」

「王族といえども、堂々と快楽をむさぼるわけにはいきませんね。」
「はい。」

「ウマイヤ朝の首都ダマスカスから離れた、この城館を隠れ蓑にしていたのでしょう。」
「そうなんですか。」

「ウマイヤ朝の首都ダマスカスと言えば、紀元前10世紀にはアラム人の王国の首都があった。ダマスカスはローマ時代においてはギリシャ・ローマ文化の重要な中心であった。、その後、ムアーウィアはダマスカス(シリア)を首都にウマイヤ朝をおこし、ウマイヤ朝の首都として栄えた。」

「王族のわがままを伝えるエピソードですね。」
「そうですね。」

「「アムラ城」の建物は、煉瓦で作られたこじんまりとした外観をしていますよ。」
「はい。」

「低い屋根の上にドームが乗っかっていますよ。」
「はい。」

「建物の中に入ると、まずは謁見室として使われていたと思しきホールがありますよ。」
「はい。」

「壁や天井には、彩り鮮やかなフレスコ画が描かれていますよ。」
「はい。」

「フレスコ画と言えば、フレスコは絵画技法のひとつである。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。」

「ラクダや裸婦や人々の生活姿などが確認できますよ。」
「そうなんだ。」

「左右の壁に描かれた四人の人物は、ビザンツ皇帝カエサル・西ゴート王ロドリーゴ・サーサーン朝皇帝ホスロー・エチオピア王ネグス、の四支配者と考えられていますよ。」
「はい。」

「エチオピア王ネグスと言えば、アムラ城は、ヨルダンの首都アンマンの東、約80kmにある。外観は、ドーム型の屋根になっている。館内には、天体図や砂漠の動物、裸婦などのフレスコ技法で描かれた壁画が残っている。特に「謁見室」に描かれたフレスコ画には4人の支配者と思しき人物が描かれており、ギリシア語とアラビア語による銘文により、左右の一方にビザンツ皇帝(カエサル)、西ゴート王国末期の王ロドリーゴ、もう一方にはサーサーン朝皇帝ホスロー、エチオピア王ネグスと確認できる。」

「サーサーン朝皇帝ホスローと言えば、ホスロー1世(? - 579年)は、サーサーン朝ペルシア帝国の第21代君主(シャーハーン・シャー、在位:531年 - 579年)。先代カワード1世(英語版)の息子。王族同士の内戦を終息させた父カワードの政策を受継ぎ、メソポタミアをはじめ領土内の耕地開発を行って国力を増強させ、ソグド、突厥、アフガニスタンなど中央アジア方面や東ローマ帝国などへの対外遠征も積極的に行った。」

「西ゴート王ロドリーゴと言えば、ロドリーゴ (西ゴート王)の言い換えや別の言い方は、ロデリック (西ゴート王) である。ゴート族最後の王として有名である。」

「ビザンツ皇帝カエサルと言えば、古代ローマ帝国において皇帝を意味する言葉は、「インペラートル」「カエサル」「プリンケプス」の三種類が存在した。東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)では「皇帝」の称号は、王朝の交代はあったものの、1453年に東ローマ帝国が滅びるまで代々受け継がれた。」

「城内の奥には、サウナ室と浴場がありますよ。」
「はい。」

「「アムラ城」では、これらの浴場施設が最も有名ですね。」
「そうなんですか。」

「サウナ室のドーム型天井には、北半球の星座図が描かれており、見ていて飽きませんね。」
「はい。」

「数千年もの昔に、王族たちもサウナを楽しみながら、これらの天井画を眺めたことでしょう。」
「そうですね。」

「建物の横には、深さ40メートルの井戸が掘られてありますよ。」
「はい。」

「ここから水を汲んで、使っていたようですね。」
「はい。」

「「アムラ城」に残されているフレスコ画の様式からは、後期ヘレニズム文化の影響が窺え、美術的にも重要な価値がありますね。」
「そうなんだ。」

「後期ヘレニズム文化と言えば、ヘレニズム時代にはギリシア人が盛んに東方に移住したため、ギリシア文化が広く普及し、東西文化が融合し、新しい文化が生まれた。これをヘレニズム文化と呼ぶ。」

「近年フレスコ画が修復されたばかりですよ。」
「はい。」

「フレスコ画と言えば、フレスコは絵画技法のひとつである。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。」

「青と黄の鮮やかな彩色を鑑賞することができますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産の中では、小ぶりな印象を受ける「アムラ城」ですね。」
「はい。」

「アムラ城と言えば、アムラ城、もしくはカスル・アムラは、ヨルダンにある浴場施設を中心としたウマイヤ朝時代の城館遺跡である。クサイル・アムラともいう。1985年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。」

「建物の簡素で美しい佇まいや保存状態のいいフレスコ画など、城自体が一つの芸術品であると言っても過言ではありませんね。」
「そうなんだ。」

「派手さや華々しさはなくとも、魅力的な世界遺産ですね。」
「はい。」

「ヨルダンに赴いたついでにでも、観光することをおススメします。」
「わかりました。」





中東諸国のアジアの世界遺産~ヨルダンのウム・アル=ラサス~

「「ウム・アル=ラサス」は、ヨルダン西部、ラサス地域に位置している古代都市の遺跡ですよ。」
「はい。」

「ヨルダン西部、ラサス地域と言えば、ヨルダンのラサス地域には、3世紀末のローマ時代から9世紀のイスラム時代初期までの都市遺跡である。」

「ウム・アル=ラサスと言えば、ヨルダンにある遺跡である。ラサス地域の遺跡とも訳される。2004年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。ウム・アル=ラサスは、ローマ帝国の占領時からイスラム教の王朝が支配した3世紀末から9世紀に都市を形成していたと考えられる。最初は、ローマ軍の軍事基地であったといわれている。」

「未だ発掘の途上であり、遺跡の大部分は土の中に眠ったままだと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「2004年にユネスコに登録された新しい世界遺産ですね。」
「はい。」

「ヨルダンで三つ目の世界遺産ですよ。」
「はい。」

「「ウム・アル=ラサス」がある地は、3世紀末から9世紀にわたるローマ帝国の支配下の時代に、都市が造営された場所であると考えられていますね。」
「そうなんだ。」

「元々は、ローマ軍がこの地に軍事基地を造ったことに始まり、それからキリスト教会などが作られるようになり、都市として発展していったようですね。」
「はい。」

「現在、我々が、「ウム・アル=ラサス」を訪れてみることができるのは、いくつかのローマ帝国キリスト教会の遺跡だけですね。」
「そうなんですか。」

「冒頭に書いたように、未だ発掘作業が進んでいない遺跡ですね。」
「はい。」

「しかし、観光するほどのものがないというわけではありませんよ。」
「はい。」

「「ウム・アル=ラサス」に残された教会遺跡の中で、最も代表的なものが“聖スティーヴン教会”ですね。」
「そうなんだ。」

「聖スティーヴン教会と言えば、イギリスのロンドン・コールマン通りにある教会である。1666年のロンドン大火で焼失した時にはクリストファー・レンによって再建されたが、第二次世界大戦で破壊されて以降は再建されていない。」

「この教会には、正方形の塔なども残されていますよ。」
「はい。」

「床に描かれたモザイク画が、最大の見所ですよ。」
「そうなんですか。」

「モザイク画と言えば、モザイクは、小片を寄せあわせ埋め込んで、絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法である。石、陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施される。」

「モザイク床が残されている場所には、木造のプレハブ小屋が建てられていますよ。」
「はい。」

「モザイク床と言えば、北部の通称ウマイヤ朝建物に2部屋目のモザイク床が出てきた。」

「風雨から厳重に守っていますよ。」
「そうなんだ。」

「古代都市の瓦礫があちこちに転がる荒野の中、ぽつんと建った真新しい小屋には、正直どこか場違いな印象を受けてしまいますよ。」
「はい。」

「しかし、このことからも「ウム・アル=ラサス」において、このモザイク画がいかに重要なものであるかが窺えますね。」
「はい。」

「肝腎のモザイク画自体は、極めて精巧にできていますよ。」
「はい。」

「思わず見とれてしまうほどの出来栄えですよ。」
「そうなんだ。」

「幾何学的に配置された絵柄の中に、様々なモチーフが細かい筆致で描かれていますよ。」
「はい。」

「最も大きなモザイク画には、魚などの生き物、ナイル川を渡る船舶、城、都市名が書き込まれた門などが確認できますよ。」
「はい。」

「これだけ芸術性の高いモザイク床のある教会ですよ。」
「いいですね。」

「かつての“聖スティーヴン教会”は、どれほど美しい建造物だったのでしょうか。」
「そうですね。」

「聖スティーヴン教会と言えば、イギリスのロンドン・コールマン通りにある教会である。1666年のロンドン大火で焼失した時にはクリストファー・レンによって再建されたが、第二次世界大戦で破壊されて以降は再建されていない。」

「残念ながら、「ウム・アル=ラサス」にある遺跡のほとんどは、瓦礫と化していたり、土に埋まっていたりしますよ。」
「そうなんだ。」

「あちらこちらに半壊状態の遺構が残っていますよ。」
「はい。」

「歩き回っていると、様々な発見がありますよ。」
「はい。」

「遺跡に詳しいガイドがいると、それらがいったい何の跡なのかがわかって、面白みが格段に増すと思いますよ。」
「そうなんだ。」

「「ウム・アル=ラサス」へは、ヨルダンの首都アンマンから車で一時間ほどで着きますよ。」
「割と近いですね。」

「ヨルダンの首都アンマンと言えば、ヨルダン・ハシミテ王国の首都である。ヨルダンの政治・経済の中心都市となっており、中東でも有数の世界都市である。」

「ヨルダンを観光に来た際にでも、気軽に立ち寄ってみることができる世界遺産ですよ。」
「わかりました。」

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