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メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~古代都市パレンケと国立公園・メキシコシティ歴史地区とソチミルコ・オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡・プエブラ歴史地区・グアナフアト歴史地区と鉱山・古代都市チチェン・イッツァ・モレリア歴史地区・古代都市エル・タヒン~





メキシコ 世界遺産 マヤ文明 古代都市遺跡

メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡

「2011年に話題になっていたキーワードの一つに、「マヤ文明」がありますね。」
「そうですね。」

「マヤ文明と言えば、マヤ文明とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。1つは、一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。」

「このキーワードが流行した所以は、「世界の終わり」を予言する遺跡がマヤ文明の中に含まれていたから、というところに理由がありましたね。」
「はい。」

「2011年と言えば3月11日に震災が起こり、日本のみならず世界各国で自然災害が多発していた一年ですね。」
「そうですね。」

「その流れから、ますます「東京大震災が来るのではないか」、「世界が終わってしまうのではないか」という不安が囁かれるようになりましたね。」
「はい。」

「2012年にはマヤ文明に未だかつて計測したこともない数の観光客が訪れていますよ。」
「そうなんですか。」

「さて、ここまでマヤ文明についての小話をしましたね。」
「はい。」

「皆さんは、このマヤ文明がどこの国の文明かご存じでしょうか?」
「メキシコですね。」

「大体の方は、「メキシコ」という国名がサッと出ると思われますよ。」
「はい。」

「海外の文明に今まで興味がなかった人などは、あまり知る機会がなかったのではないかと思われますね。」
「はい。」

「メキシコは、マヤ文明にまつわる数多くの世界遺産が保存されている国ですよ。」
「そうですね。」

「都市伝説ブームなどがあった時に、初めてその存在を知った方も多いと思われますよ。」
「はい。」

「メキシコという国は、世間で知られている数の倍以上も、太古から伝わるミステリアスなスポットが存在していますよ。」
「そうなんですか。」

「たとえば、この国には文化遺産だけを数えても、「古代都市パレンケと国立公園」、「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡」、「古代都市チチェン・イッツァ」など、他の国ではまず見られないような遺跡がしっかりとした形で残っていますよ。」
「いろいろありますね。」

「オアハカ歴史地区と言えば、オアハカ歴史地区とモンテ-アルバンの古代遺跡は、1987年に登録された世界遺産(文化遺産)で、メキシコ南部にある歴史地区と古代都市遺跡を指す。オアハカは、メキシコ・シティ南東の高原にある歴史地区で、正式名はオアハカデファレス。1486年にアステカ帝国の要塞となり、1521年にスペイン軍に征服された。その後、メキシコ・シティに倣った植民都市の建設が始まり、碁盤目状に道路が配された、瀟洒 (しょうしゃ)なコロニアル・シティができあがった。町にはスペイン統治時代の16~18世紀の美しい町並み、メキシコ特有のバロック様式の至宝で、内部の装飾が黄金に輝くサント・ドミンゴ聖堂、大聖堂、修道院などの建物が残っている。」

「チチェン・イッツァと言えば、チチェン・イッツァ(スペイン語:Chichen Itza)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡である。ユカタン半島のユカタン州州都メリダの東、約120キロメートルにある「後古典期マヤ」の遺跡で総面積は約1.5平方マイル。半島のつけ根の密林にあるティカルは「古典期マヤ」の遺跡。現在、高速道路により分断されているが、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がはっきりと違いを見せている。」

「モンテ・アルバンと言えば、モンテ=アルバン(Monte Alban)は、メキシコ、オアハカ州のオアハカ盆地中央、オアハカ市街の西方10km、盆地の「底面」からの比高差400mにある山の頂上を平らにして築かれたサポテカ文化の中心をなす祭祀センターである。紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄した。後古典期には、ミシュテカ族に支配された。メソアメリカ文明を考える上で非常に重要な考古遺跡であって、1987年に世界遺産にも登録されている。遺跡全体のひろがりは42km2に及ぶが、中央広場をかこむ東西200m、南北300mの範囲に主な神殿や、天体観測所(建造物J)、球戯場などがある。」

「パレンケ(Palenque)と言えば、パレンケ(Palenque)は、メキシコにあるマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構としての宮殿を中心とする、『マヤ遺跡の典型』といわれる建物群を密林のなかに配置している。」

「「カリフォルニア湾の島嶼および保護地区群」などの自然遺産にも、恵まれていますよ。」
「はい。」

「カリフォルニア湾と言えば、カリフォルニア湾(Golfo de California)は、メキシコ北西部、北米大陸とバハ・カリフォルニア半島との間の南北方向に伸びる細長い湾である。コルテス海(米:Sea of Cortez)とも呼ばれる。2005年に、UNESCOの世界遺産に「カリフォルニア湾の島々と自然保護区」の名前で登録された。」

「メキシコという国は、日本で認知されている以上の神秘に包まれている国ですよ。」
「そうなんですか。」

「しかも、最近では「マヤ文明の秘密をもっと知りたい!」という人が急増していますよ。」
「そうなんだ。」

「世界各国から熱狂的な人気を浴びる、観光スポットにもなっていますよ。」
「はい。」

「「マヤ文明って他の世界遺産と違ってミステリアス過ぎてなんかとっつきにくいかも…」と思われている方も多いと思われますよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、流行に便乗して観光してみると、新たな世界が開けるかも知れませんよ。」
「はい。」

「アメリカの方へ行く機会のある方は、是非マヤ文明の方も一緒にチェックしてほしいと思います。」
「わかりました。」

「マヤ文明がどのような世界遺産であるかは、意外なほど知られていませんよ。」
「そうなんだ。」

「マヤ文明は、一カ所に固まっている訳ではなく、マヤ文明に関連するものが色々な所に散らばっている形になっていますよ。」
「はい。」

「「マヤ文明の世界遺産って、一カ所に一つだけあるものなんでしょ?」と考えている人がいるようですが、それは誤りですよ。」
「そうですね。」

「マヤ文明に関連する世界遺産は、様々な形で様々な場所に保存してありますよ。」
「はい。」

「自分が一番行きたいと思う世界遺産を訪ねてください。」
「わかりました。」

「もちろん「行ってみたいし興味津々だけど、マヤ文明についての詳しいことはまったく分からない!」という方も、ガイドの方と一緒に周れば安心ですよ。」
「そうなんだ。」

「初心者の方は、初心者向けのツアーに参加しつつ、日本語を話せるガイドさんと一緒に周りながらマヤ文明の神秘に触れてください。」
「わかりました。」

「メキシコにある世界遺産は、マヤ文明ばかりではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「他にも様々な世界遺産があるので、そちらも是非チェックしましょう。」
「はい。」

「もちろん、世界遺産だけではなく、主要都市も点在していますよ。」
「はい。」

「世界遺産を観光しつつ、美味しいレストランで豪華なディナーを食べるということもできますよ。」
「そうなんだ。」

「ショッピングスポットも、たくさんありますよ。」
「はい。」

「お買い物が好きな方は、是非都市として発達している所を訪問してみましょう。」
「わかりました。」

「メリダ辺りの都市へ行けば、周辺に主要な世界遺産もある上、何かと移動するのがスムーズなのでおススメですよ。」
「はい。」

「ユカタン州の州都メリダと言えば、メリダ (Merida) は、メキシコにある都市で、ユカタン州の州都である。人口は830,732人(2010年)。近年、メリダの人口は周辺の村からの人口流入により上昇を続けており、市の一番外側を走る外周道路(anillo perferico)を越えて宅地造成がなされている。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~古代都市パレンケと国立公園~

「「2012年の世界終末論の予言を聞いて以来、マヤ文明のことが気になっているけれど、どういう遺跡がどんな所にあるのかも知らない」そんな人が、かなり多いようですね。」
「そうなんだ。」

「マヤ文明と言えば、マヤ文明とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。1つは、一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。」

「マヤ文明の世界遺産の中でも、最も主要であると言われている「古代都市パレンケと国立公園」をご紹介します。」
「お願いします。」

「パレンケ(Palenque)と言えば、パレンケ(Palenque)は、メキシコにあるマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構としての宮殿を中心とする、『マヤ遺跡の典型』といわれる建物群を密林のなかに配置している。」

「マヤ文明は一カ所に固まっている訳ではなく、「チチェン・イツァー」、「カラクラム遺跡」、「ソチカルコの古代遺跡地帯」など、いくつかの地域に点在していますよ。」
「そうなんですか。」

「ソチカルコと言えば、ソチカルコの古代遺跡地帯は、1999年年に登録されたメキシコの世界遺産(文化遺産)で、モレロス州の州都クエルナバカ近郊にある都市遺跡である。ソチカルコは、650~900年頃、テオティワカンなどが衰退した後に、トルテカ文明の政治、宗教、商業の中心地として繁栄した。遺跡からは、ピラミッド型神殿や邸宅などの建物跡、石碑などが発掘されている。トルテカ人は龍に似た羽毛のある蛇(ケツァルコアトル)を水と農耕の神として崇めたことから、神殿の壁面には、ケツァルコアトルがのたうっている装飾が彫られている。遺構全体には、テオティワカンやマヤ文明、モンテ・アルバンなど、周辺文化の要素が混在しており、後のアステカ文明にも大きな影響を与えたとされる。そうした重要な文化遺産であることが評価され、世界遺産に登録された。」

「カラクラム遺跡と言えば、カンペチェ州、カラクムルの古代マヤ都市は、カンペチェ州のカラクムルにあります。メキシコ南部のユカタン半島南部、熱帯雨林の中にあって、最大のマヤ遺跡であるカラクムルの遺跡群は、いまでも発掘が続く謎めいた古代遺跡です。カラクムルの古代マヤ都市が、一番栄えたのが、6世紀頃でした、そして10世紀末に放棄されるまで、ピラミッド、宮殿、球戯場など、110以上を超える建造物が建てられました。カラクムルの古代マヤ都市の目玉ともいえるピラミッドはキレイに修復されており、またその石碑の数とレリーフには感嘆せざるをえません。」

「しかも、そのすべての遺産は、むしろ一つ一つが明確な個性・意味を備えていますよ。」
「はい。」

「中でも、「古代都市パレンケと国立公園」は、最も美しいとされている世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「あまりマヤ文明を知らない人でも、楽しめるでしょう。」
「はい。」

「この古代都市パレンケと国立公園という世界遺産は、メキシコの東部エリアに存在する古代遺跡ですよ。」
「はい。」

「パレンケ(Palenque)とは、マヤ文明の古代都市遺跡のことを指していますよ。」
「そうなんだ。」

「整備に整備を重ねた末に、今は国立公園という形で公開されるようになっていますよ。」
「はい。」

「しかし、もちろん観光客が入ることができるようになっている部分は、8パーセントほどに過ぎませんよ。」
「そうなんですか。」

「すべてを見ようと思っても、現段階では不可能ですよ。」
「そうなんだ。」

「この古代都市パレンケと国立公園は、「ユカタン半島」と呼ばれる地域の付け根になっているエリアに現存していますよ。」
「はい。」

「ユカタン半島と言えば、ユカタン半島(Peninsula de Yucatan)は、メキシコ、グアテマラ、ベリーズにまたがり、メキシコ湾とカリブ海との間に突き出ている半島である。」

「このユカタン半島の先端部分には、同じくマヤ文明の世界遺産である「チチェン・イツァー」が保存されていますよ。」
「はい。」

「どちらもマヤ文明を語る上では、欠かせない世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「「いつかメキシコのマヤ文明を見に行きたい!」と考えている人は、最低でもこの二カ所の周辺情報は把握するようにしましょう。」
「わかりました。」

「そして、この世界遺産の40パーセントは、まだ研究が進んでいないまったくの未開の地になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「まだまだ秘密が解けるのは、当分先だと言われている世界遺産ですよ。」
「はい。」

「ミステリーが好きな方は、是非古代文明の謎に挑戦してください。」
「わかりました。」

「もしかしたら、思わぬところから謎が解けるかも知れませんよ。」
「はい。」

「ガイドさんによって説明の仕方や案内の仕方もずいぶん違うようですよ。」
「はい。」

「行く前にしっかりとそのようなことも調べてから、参加することをおススメします。」
「わかりました。」

「事前に周辺のことを調べてから参加しないと、ガイドさんの話についていけませんよ。」
「はい。」

「熱帯雨林の中にある世界遺産なので、虫が苦手な方は虫よけスプレーが必須ですよ。」
「はい。」

「色々と注意する点の多い世界遺産ですよ。」
「そうなんだ。」

「行く前に、観光した人のクチコミ情報などをチェックしておきましょう。」
「わかりました。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~メキシコシティ歴史地区とソチミルコ~

「世界遺産巡りをしたいと思って、近場から訪問して来た人も、時には長い休みをとって中米、南米などの未知の世界を訪ねてみてはいかがでしょうか。」
「わかりました。」

「きっと、想像もつかない世界が広がっているはずですよ。」
「そうなんですか。」

「特に、歴史も古く、その先住民族の文化的知識の高さで世界的に有名な場所が、メキシコですよ。」
「はい。」

「世界遺産だけではなく、観光地としても見所がありますよ。」
「そうなんだ。」

「グルメがあり、お土産よし、物価は安いと、観光客にとっては良いところ、美味しいどころ取りの観光地としても評判が高いですよ。」
「はい。」

「しかも、メキシコの首都のメキシコシティは、「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」として、すでに世界遺産登録がある立派な都市ですよ。」
「そうなんだ。」

「メキシコシティ歴史地区と言えば、メキシコ-シティ歴史地区とソチミルコは、1987年に登録されたメキシコの世界遺産(文化遺産)である。メキシコ・シティの中央広場(ソカロ)を中心にスペイン植民地時代の建築物が立ち並ぶ地域と、メキシコ・シティの南約20kmにある水郷ソチミルコを指す。16世紀初め、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人は、直ちに植民地の首都の建設を始めた。240m四方の中央広場には、250年もの歳月をかけて改築された大聖堂をはじめ、国立宮殿、アラメダ公園などの遺産が残っている。1978年、電気工事中に大聖堂裏で一枚岩の円盤が発見され、その後の発掘で大神殿が姿を現した。ここは、かつてアステカ帝国の都として栄えた場所で、しかも湖上に浮かんでいた。スペイン人は、湖を埋め立て、アステカの建造物を破壊した上に建物を建てた。」

「ソチミルコという水路と言えば、メキシコシティーの中心部から南に15kmほど行ったメキシコシティー郊外に、ソチミルコという世界遺産に登録されている水路地帯があります。メキシコシティーはスペインに征服される前のアステカ時代、大きな湖でした。その中心部、今のソカロ地区あたりは湖に浮かぶ島で、アステカ帝国の首都、テノチティトランがありました。湖は侵略したスペイン人によって埋め立てられましたが、今ソチミルコに残る水路はかつての湖の名残りだといわれています。」

「メキシコの首都のメキシコシティと言えば、メキシコシティ(西: Ciudad de Mexico)は、メキシコ合衆国の首都である。ラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。国名と同一名称のため「市」に相当する単語を付けて呼ばれるのが通例となっており、メキシコ合衆国の公用語であるスペイン語では「シウダ・デ・メヒコ」(Ciudad de Mexico) と発音される。日本で主に用いられるメキシコシティ (Mexico City) は英語名で、日本では他にメキシコ市と呼ばれる場合もある。」

「その場所についたそばから、観光、思い思いの冒険が始まると言う訳ですよ。」
「はい。」

「アステカ王国の首都であった歴史と、ラテンアメリカ有数の経済、近代都市としての側面がありますよ。」
「はい。」

「アステカ王国と言えば、アステカとは、1428年頃から1521年まで北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家である。自らをメシーカと称した。言語は古典ナワトル語(英語版)(ナワトル語)。チチメカ人の一派であるアステカ族(またはメシカ人ともいう)の建てた王国で、アステカ 文明を成立させた。メキシコ高原のテスココ湖に浮かぶ島に建設したテノチティトランを都とし、周辺の部族を次々と征服して支配領域を広げ、一個の都市帝国をつくった。」

「中央広場、つまりソカロの「メキシコシティ歴史地区」と、その郊外にある「ソチミルコ」、という水路のことを総じて「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」と呼んでいますよ。」
「そうなんですか。」

「中央広場のソカロと言えば、ソカロは、メキシコの首都メキシコシティにある、政治的・宗教的中心地である。アステカの都だったテノチティトランの時代から現在まで、メキシコシティの重要なエリアとなっている。一辺が200mを超える、ほぼ正方形の空間を、北にカテドラル、東に国立宮殿(大統領官邸)、南に連邦区庁舎、西にはホテルと、重厚な建物が取り囲んでいる。中心には、独立記念塔を建設するための台石が置かれている。「ソカロ」は「中央広場」という意味。」

「これは、アステカ王国のティノチテトランの中心部と重なりますよ。」
「はい。」

「アステカ王国のティノチテトランと言えば、テノチティトランは、アステカの首都である。最盛期には人口30万人であったと伝えられる。テスココ湖の島上に建設された。現在のメキシコシティに相当する。テノチティトランはナワトル語で「石のように硬いサボテン」を意味する。16世紀初頭、スペイン人のコンキスタドール、エルナン・コルテスによってアステカが征服されたのち、1520年代に破壊された。」

「中央広場の北側には「メトロポリタン・カテドラル」、東側には「国立宮殿」、北東には「テンプロ・マヨール」、南は「連邦区庁舎」があるという、メキシコシティの観光のまさに中心地と言って良い場所ですよ。」
「はい。」

「中央広場の北東の「テンプロ・マヨール」と言えば、湖の真ん中に島から構築されたメキシコの町は、運河やチナンパスと呼ばれる人工の島のネットワークと共に成長して行きました。このようにして中央広場のテンプロマヨールが出来上がりました。その上にスペイン人たちはカテドラルを建設し、古く印象的なプレヒスパニックの神殿は何世紀もの間失われていました。20世紀の70年代の終り、電気ケーブルの会社の従業員たちが偶然建造物にいきあたり、その後考古学者達によりそこが長年探されていた神殿であったことが明らかになりました。」

「中央広場の東側の「国立宮殿」と言えば、「国立宮殿」は、メキシコの首都メキシコシティにある中世建築物である。1987年、世界遺産に登録されたメキシコシティ歴史地区とソチミルコの、ソカロと呼ばれる中央広場の東側の一区画を占める壮大な建物である。この宮殿の最大の見どころは、正面入り口奥の1階から2階にかけて描かれた大壁画。この壁画は、メキシコの著名な壁画家、ディエゴ・リベラが10年をかけた大作である。ほかに、大統領の国務室や大蔵省、メキシコ近代化の父と仰がれるベニート・フアレスの記念室などがある。」

「中央広場の北側の「メトロポリタン・カテドラル」と言えば、メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂は、メキシコの首都メキシコシティにあるカトリック教会の大聖堂である。Catedral Metropolitana de la Asuncion de Mariaとも呼ばれる。スペインの建築家Claudio de ArciniegaとJuan Miguel de Agueroがデザインした。ルネサンス、バロック、新古典主義様式が採用されている。1513年に建設が始められた。」

「そして、中央広場にはメキシコの象徴とも言える国旗がはためいていますよ。」
「はい。」

「メキシコは、暑い南国的なイメージがあると思いますよ。」
「そうですね。」

「しかし、このメキシコシティは標高が2240メートル以上の所にある都市ですよ。」
「標高が高い場所ですね。」

「もちろん朝晩、冷える時間もありますよ。」
「そうなんだ。」

「そして、元々メキシコシティは、テスココ湖の湖上に作られた都市ですよ。」
「そうなんですか。」

「テスココ湖と言えば、テスココ湖(スペイン語:Lago de Texcoco)は、かつてメキシコ中央高原にあった「ひょうたん」型ないしタツノオトシゴのような形状をした南北約65kmにわたる大きな湖 (海抜2242m) であった。現在は、南北20km、東西10数kmが残っている(ただし衛星写真によれば、埋め立ては更に進行し、2007年5月現在、5km×2km程度の長方形の区画を残すのみである)。」

「水との縁が非常に深いですよ。」
「はい。」

「「メキシコシティ歴史地区」には、ランドマーク的なラテンアメリカ・タワーも拝めますよ。」
「はい。」

「ラテンアメリカ・タワーと言えば、メキシコシティ中心部にはラテンアメリカタワーという高さ183m(電波塔含む)建造物があります。ラテンアメリカタワーは、1965年に完成しました。当時の最新耐震構造で造られ、1985年に起きたメキシコ大地震にも耐え抜きました。」

「そして、「ソチミルコ」は、メキシコシティの中心部から28キロほど離れていますよ。」
「そうなんだ。」

「古き良き、のんびりしたメキシコの姿を知るのにはよい所ですよ。」
「はい。」

「ソチミルコの運河でトラヒネラという小舟に乗り、同じように小舟で行商をしている人とのやり取りや、マリアッチと呼ばれる楽団との出会いは、なんとも言えず味があり、素顔のメキシコを知る格好の機会ですよ。」
「そうなんだ。」

「マリアッチと呼ばれる楽団と言えば、マリアッチは、メキシコの民俗的ないし大衆的な楽団である。バイオリン、ギター、ビウェラ (小型ギターの一種)、ギタロン(低温リズムを受け持つ大型ギター)、トランペットにより編成され、随時ほかの楽器が加わることもある。語源についてはフランス語のマリアージュ (婚礼)からなまったものとも、インディオ系の言葉ともいうが不詳。メキシコ中部のハリスコ州に興ったといわれ、伝統的なレパートリーには〈ソン・ハリシエンセson jalisciense〉と呼ばれる同地方の民俗的舞曲が多い。」

「ソチミルコの運河のトラヒネラという小舟と言えば、ソチミルコの運河を行くトラヒネラと呼ばれる小舟はかつてメキシコ盆地内の重要な交通手段であったが、現在では観光資源となり多くの観光客を乗せている。」

「美術好きなら、途中フリーダ・カーロなどの絵画を収蔵する「ドローレス・オルメド・パティニョ美術館」にも立ち寄れますよ。」
「はい。」

「ドローレス・オルメド・パティニョ美術館と言えば、ドローレス・オルメド・パティニョ美術館は、ソチミルコ周辺の文化施設のうち最大の美術館である。富豪ドローレス夫人の広大な私邸を美術館に改造したもので、熱帯植物が茂る広い庭園内には孔雀が優雅に戯れている。ここではリベラが壁画制作の合間に描いた作品などが多数展示されている。メキシコの大衆工芸品を常設するコーナーや、広い邸内の一角には喫茶スペースある。」

「画家のフリーダ・カーロと言えば、マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderon、1907年7月6日 -1954年7月13日)は、メキシコの画家である。インディヘニスモの代表的美術作家。 メキシコの現代絵画を代表する画家であり、民族芸術の第一人者としても数えられる。」

「「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」は、見所が一杯ですよ。」
「わかりました。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡~

「考古学や史跡好きなら、中米、南米には多くの謎がありますよ。」
「そうなんですか。」

「しかも、古代から相当高度な天文学や数学を駆使していた民族が存在していましたよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産巡りの中でも、特に興味を引かれる土地だと思いますよ。」
「はい。」

「「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡」などは、まさに中南米考古学ファンにはおススメの世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「オアハカ歴史地区と言えば、オアハカ歴史地区とモンテ-アルバンの古代遺跡は、1987年に登録された世界遺産(文化遺産)で、メキシコ南部にある歴史地区と古代都市遺跡を指す。オアハカは、メキシコ・シティ南東の高原にある歴史地区で、正式名はオアハカデファレス。1486年にアステカ帝国の要塞となり、1521年にスペイン軍に征服された。その後、メキシコ・シティに倣った植民都市の建設が始まり、碁盤目状に道路が配された、瀟洒 (しょうしゃ)なコロニアル・シティができあがった。町にはスペイン統治時代の16~18世紀の美しい町並み、メキシコ特有のバロック様式の至宝で、内部の装飾が黄金に輝くサント・ドミンゴ聖堂、大聖堂、修道院などの建物が残っている。」

「モンテ・アルバンと言えば、モンテ=アルバン(Monte Alban)は、メキシコ、オアハカ州のオアハカ盆地中央、オアハカ市街の西方10km、盆地の「底面」からの比高差400mにある山の頂上を平らにして築かれたサポテカ文化の中心をなす祭祀センターである。紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄した。後古典期には、ミシュテカ族に支配された。メソアメリカ文明を考える上で非常に重要な考古遺跡であって、1987年に世界遺産にも登録されている。遺跡全体のひろがりは42km2に及ぶが、中央広場をかこむ東西200m、南北300mの範囲に主な神殿や、天体観測所(建造物J)、球戯場などがある。」

「「オアハカ歴史地区」は、「メキシコシティ歴史地区」と同じように、その都市自体が世界遺産登録されていますよ。」
「はい。」

「メキシコシティ歴史地区と言えば、メキシコ-シティ歴史地区とソチミルコは、1987年に登録されたメキシコの世界遺産(文化遺産)である。メキシコ・シティの中央広場(ソカロ)を中心にスペイン植民地時代の建築物が立ち並ぶ地域と、メキシコ・シティの南約20kmにある水郷ソチミルコを指す。16世紀初め、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人は、直ちに植民地の首都の建設を始めた。240m四方の中央広場には、250年もの歳月をかけて改築された大聖堂をはじめ、国立宮殿、アラメダ公園などの遺産が残っている。1978年、電気工事中に大聖堂裏で一枚岩の円盤が発見され、その後の発掘で大神殿が姿を現した。ここは、かつてアステカ帝国の都として栄えた場所で、しかも湖上に浮かんでいた。スペイン人は、湖を埋め立て、アステカの建造物を破壊した上に建物を建てた。」

「メキシコシティと同じように、人口が多く、また標高も1550メートルとかなり高地にある都市ですよ。」
「はい。」

「メキシコの首都のメキシコシティと言えば、メキシコシティ(西: Ciudad de Mexico)は、メキシコ合衆国の首都である。ラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。国名と同一名称のため「市」に相当する単語を付けて呼ばれるのが通例となっており、メキシコ合衆国の公用語であるスペイン語では「シウダ・デ・メヒコ」(Ciudad de Mexico) と発音される。日本で主に用いられるメキシコシティ (Mexico City) は英語名で、日本では他にメキシコ市と呼ばれる場合もある。」

「街中は、コロニアル様式の歴史地区と、サポテカ、ミシュテカ、アステカなどの先住民族文化で賑わう街ですよ。」
「そうなんだ。」

「アステカと言えば、アステカ(Azteca、古典ナワトル語(英語版): Aztecah)とは、1428年頃から1521年まで北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家である。自らをメシーカ(古典ナワトル語(英語版):mexihcah)と称した。言語は古典ナワトル語(英語版)(ナワトル語)。」

「ミシュテカと言えば、ミシュテカ(Mixteca)はメソアメリカの先住民で、メキシコのオアハカ州、ゲレーロ州、プエブラ州を合わせてラ・ミステカとして知られる地方に住む。ミシュテカ諸語はオト・マンゲ語族の中の大きな分派である。ミシュテカという単語はナワトル語のミシュテカパン(Mixtecapan)、すなわち「雲の人々の地」に由来する。ミシュテカ語が話されていた地域は「ミシュテカ」として知られる。ミシュテカ人は自らのことを彼らの言葉でSa'an Davi、Da'an Daviと呼び、彼らの言葉の地域変種ではTu'un Savi、nuu savi、nuu djau、nuu davi、naa saviと呼んでいた。」

「サポテカと言えば、オアハカ州は、サポテカをはじめとするインディオの人口がこの国で最も多い地域で、母語のほかにスペイン語をも常用する人を含めると約72万人にのぼる。オアハカ市は、オアハカ谷の伝統的農業地帯の中心地で、工業は小規模な農産加工業に限られるが、色彩豊かなやきもの、サラペ(毛布)、レボッソ(肩かけ)、金銀細工など、インディオの伝統的工芸品の宝庫である。」

「コロニアル様式と言えば、コロニアル様式は、建築・工芸様式の一つである。17~18世紀のイギリス・スペイン・オランダの植民地に見られ、特に植民地時代のアメリカで発達した。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがある。アメリカなどではおもに木造で、板を横に張った壁が特徴的。日本でも明治期以降、長崎や神戸などの外国人居留地の住宅で用いられ、のちの住宅建築に大きな影響を与えた。」

「観光の目玉として、1ヶ月続くゲラゲッツアのお祭りも見逃せないですよ。」
「そうなんですか。」

「1ヶ月続くゲラゲッツアのお祭りと言えば、ゲラゲッツア祭は、メキシコでもっとも有名なお祭りのひとつで、毎年オアハカで盛大に開催されます。収穫の神に感謝する感謝祭の意味合いを持ち、オアハカ州各地の民族から選出された男女が華やかな民族衣装を身につけて、その地方の踊りを披露します。国内外から大勢の見物客が集まり街中が華やかな雰囲気に包まれ、夜には花火も打ち上げられます。2011年は7月15~20日と22~27日に開催されました。」

「メキシコシティ等の大都会とは違い、「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡」を観光する人は、この土地の先住民族がメルカド(市場)などでのんびり過ごす様を見ることができますよ。」
「はい。」

「メルカド(市場)と言えば、メルカドは日本語でいうと、市場という意味です。メルカドはメキシコ国内至る所にあり、各地域に1箇所は確実に健在しています。面白いのはメルカドごとに、そのメルカドの特色がありその買う品物によってメキシコ人はメルカドを選ぶということです。」

「治安もいいので、夜出歩いても比較的安全ですよ。」
「それはいいですね。」

「他にもミトラ遺跡、トゥーレの木というギネスで最も太い木として登録されている木、イエルベ・エル・アグアなど、オアハカの周囲には見所が沢山ありますよ。」
「はい。」

「イエルベ・エル・アグアと言えば、オアハカ市街から50km、ミトラ近郊の渓谷にあるのが、イエルベ・エル・アグアである。高濃度のミネラル成分を含んだ水が、岩を溶かし、数千年かけて炭酸カルシウム化したことにより、まるで石の滝のように見えます。その姿はまさに自然が作り上げた彫刻。滝の高さは約30mで、その最上部には、天然のプールができていて、水温25度ほどのきれいな水が流れています。」

「トゥーレの木(というギネスで最も太い木として登録されている木)と言えば、トゥーレの木(Arbol del Tule)とは、メキシコ合衆国南部のオアハカ州のSanta Maria del Tuleの町、その中心に位置する教会敷地内に立つ巨樹である。州都オアハカ市から9kmほど東、ミトラ遺跡へと続く道の脇にある。」

「ミトラ遺跡と言えば、ミトラ遺跡は、メキシコ南部の都市オアハカにある遺跡である。タラコルラ河谷にある後古典期のサポテカ文化の遺跡で、リオグランデデミトラ川をまたぐ岩場の斜面と丘陵の北側に位置する。ミトラの市街地は、「円柱の建物群」をはじめとする、5つの長方形の中庭を囲む細長い建物群で形成されていて、遺跡南側の中庭を囲む建物の下から、伸展葬による貴族の十字型の墓が発見された。建物の構造は、内部が泥と石、外面は切り取られてから加工された火山岩で覆い、漆喰を塗っている。」

「オアハカと言えば、オアハカ (Oaxaca) またはオアハカ・デ・フアレス(Oaxaca de Juarez)はメキシコの都市である。オアハカ州の州都であり、州名と同じ名前の都市としては、国内で最大の人口を持つ。南シエラマドレ山脈の中の標高1,550メートルの高地に位置している。人口は約519,660人(2005年)。市内歴史地区と共に世界遺産に登録されたモンテ=アルバンは市の郊外に位置している。名称の由来は、ナワトル語のウァシャカク(Huaxacac)がスペイン語風に訛ったものであり、後に加えられたデ・フアレスは、初めて先住民族から大統領に選出された同州出身の国民的英雄ベニート・フアレスにちなむ。」

「時間が許す限り、ちょっと足を伸ばして観光してみましょう。」
「わかりました。」

「きっと新たな発見があるはずですよ。」
「そうなんだ。」

「「モンテ・アルバンの考古遺跡」は、「オアハカ歴史地区」から西に10キロほどの、盆地の中にありますよ。」
「はい。」

「山の頂上を平にして建てられたと思える、古代の祭祀を行なう神聖な場所でしたよ。」
「はい。」

「この遺跡は、サポテカ文化、ミシュテカ族によるなんと紀元前500年くらいから紀元800年までの長きに渡って統治されていたようですよ。」
「そうなんですか。」

「ミシュテカ族と言えば、ミシュテカ族は、メキシコ、オアハカ州の北部と西部に住む農耕民である。高地、低地、海岸平野の3グループに分れるが、それぞれトウモロコシを中心とする焼畑農耕を営む。人口約 48万と推定される。 10世紀以来オアハカ一帯に強大な勢力をもつ高文化を生み、発達した成層社会国家を築いた。」

「サポテカ文化と言えば、サポテカ文化は、3~10世紀にかけてメキシコ南部オアハカ渓谷にあるモンテアルバンを中心として栄えたサポテカ族の文化である。地理的にもメキシコ中央高原とマヤ地帯の中間に位置し,テオティワカン文化とマヤ文明の影響を受けていた。」

「遺跡の広がりは、全体で42キロもありますよ。」
「はい。」

「その中に、神殿や当時重要な位置を占めていた天体観測所は祭祀の時期を見るのに必要だったのでしょう。」
「はい。」

「球技場などもあり、様々なイベントや祭祀がここで行なわれていたことを知る石彫群が太古の昔を偲ばせますよ。」
「そうなんだ。」

「「モンテ・アルバンの考古遺跡」は、石の彫刻の豊かな、そして人々の色々な動きや表情を遺跡から探しあてることも一つの楽しみですよ。」
「はい。」

「美味しい郷土料理に舌鼓をうち、のどかな盆地に目をやれば、古代この都市に住んだ人々の息づかいが聞こえてきそうですよ。」
「はい。」

「「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡」で、先住民族の世界にタイムスリップしてはいかがでしょう。」
「わかりました。」

「きっと、考古学ファンならずとも楽しめること請け合いですよ。」
「そうなんだ。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~プエブラ歴史地区~

「メキシコは、先住民族文化の趣と、スペイン植民地時代のコロニアル風の街の風景が同居する、一種不思議な雰囲気の国ですよ。」
「そうなんですか。」

「したがって、街の景観や建物自体を歴史地区として世界遺産登録される場所が多いとも言えますね。」
「はい。」

「この「プエブラ歴史地区」も、メキシコにあるプエブラ州の州都で、街そのものが世界遺産に登録されているものの一つですよ。」
「そうなんですか。」

「プエブラ歴史地区と言えば、プエブラ歴史地区は、1987年に登録された世界遺産(文化遺産)で、メキシコ中央部、マリンチェ火山の麓に位置する。プエブラは、プエブラ州の州都で、正式名称は、プエブラ・デ・サラゴサ(Puebla de Zaragoza)。1531年にキリスト教のフランシスコ会の宣教団が町を建設した。豊かな高原地帯に位置することから、農業経済の中心、またメキシコ・シティとメキシコ湾岸のベラクルスを結ぶ交通の要衝として発展した。中央広場に建つ大聖堂は、1649年に完成し、内部は縞メノウや大理石、金の縁飾りなどで装飾されている。サント・ドミンゴ聖堂の中に、黄金の内部装飾で知られるロサリオ礼拝堂がある。町には、外観が赤茶色の装飾タイルと白漆喰の「砂糖菓子の家」など、色彩豊かな装飾が施されている建物が数多く残っている。」

「メキシコにあるプエブラ州と言えば、プエブラ州(Estado de Puebla)は、メキシコの州である。州都はプエブラ。州の領域は33,902平方キロメートルで、メキシコで21番目に大きい。同州は217の自治体を含む。」

「陶器の街としても有名な「プエブラ歴史地区」は、メキシコシティと同様、標高2100メートルの高地に位置する街ですよ。」
「はい。」

「メキシコの首都のメキシコシティと言えば、メキシコシティ(西: Ciudad de Mexico)は、メキシコ合衆国の首都である。ラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。国名と同一名称のため「市」に相当する単語を付けて呼ばれるのが通例となっており、メキシコ合衆国の公用語であるスペイン語では「シウダ・デ・メヒコ」(Ciudad de Mexico) と発音される。日本で主に用いられるメキシコシティ (Mexico City) は英語名で、日本では他にメキシコ市と呼ばれる場合もある。」

「プエブラの土地で育まれた良質の土によって、この地区の多くの建物がタイルで彩られ、「プエブラ歴史地区」をより魅力的にしていますよ。」
「はい。」

「メキシコにあるプエブラ州の州都プエブラと言えば、プエブラ (Puebla) はメキシコのプエブラ州の州都である。人口148万5千人(2005年)。「プエブラ歴史地区」は、世界遺産(文化遺産)に登録されている。陶器(タラベラ)の町としても有名である。」

「観光の見所としては、サン・フランシスコ聖堂、サント・ドミンゴ聖堂なども有名ですよ。」
「そうなんですか。」

「プエブラ歴史地区のサント・ドミンゴ聖堂と言えば、22金の金箔で覆われたロサリオ礼拝堂で有名なサント・ドミンゴ教会は1690年完成しました。」

「プエブラ歴史地区のサン・フランシスコ聖堂と言えば、プエブラ歴史地区にはサン・フランシスコ教会、サン・アグスティン教会、サンタ・クルス修道院などスペイン植民地時代の趣のある建物が密集しています。この街の歴史は旧く1531年7月25日にサン・フランシスコ聖堂を中心として、農業と鉱山のコロニアル都市グアナフォトとの中継都市として建設が始まったのだそうです。」

「教会の屋根が鮮やかな色彩なのは、スペイン南部からの移民が多く入植し、タラベラ焼きが広く普及したせいでしょう。」
「そうなんだ。」

「タラベラ焼きと言えば、「タラベラ焼き」とは、もとはメキシコの植民地時代にスペインからもたらされた焼き物で、プエブラを中心に生産されています。細かい絵付けと、叩くとキンキンと金属音に近い音が鳴る、堅い焼きが特徴です。」

「ややイスラムの影響が伺えますよ。」
「はい。」

「プエブラ風バロックの傑作を、心行くまで堪能してください。」
「わかりました。」

「プエブラ風バロックと言えば、プエブラ(正称はプエブラ・デ・サラゴサ)は、70以上の教会を有する植民都市である。サント・ドミンゴ教会のロサリオ礼拝堂やトナンシントラのサンタ・マリア教会などは、インディヘナ文化とカトリック文化が結びついたバロッカ・ポブラナ(プエブラ風バロック)の傑作といわれる。」

「観光は、宗教関係の名所だけではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「荘厳で豪華な歴史的建造物などの他に、ちょっと立ち寄ってみたい「砂糖菓子の家」もありますよ。」
「はい。」

「「砂糖菓子の家」と言えば、「砂糖菓子の家」は、外観がまさに白いお砂糖のお菓子の家のような建物で、中は博物館になっています。ソカロ広場から3ブロックほど東に行ったところにあります。元々は、18世紀に建てられた副王の迎賓館でした。赤色のタイルと白色の装飾の組み合わせが砂糖菓子のように見えるから、こんな名前がついたそうです。」

「その装飾と色彩の妙に感心するはずですよ。」
「はい。」

「メキシコシティからバスに乗って、2時間程で行けますよ。」
「そうなんだ。」

「比較的アクセスもよく、陶器や建築、そしてスペイン統治時の歴史遺産を楽しみたい方には、ぴったりの世界遺産ですよ。」
「はい。」

「「プエブラ歴史地区」は、スペイン人がメキシコに入植し始めてから、インディへナ文化とカトリック文化の融合を体現することができますよ。」
「はい。」

「カトリック文化と言えば、メキシコは、国民の9割がカトリック教徒という、カトリックの大国です。メキシコには、黒い聖母が出現したとも言われています。その聖母を後に人々は「グアタルーペの聖母」と呼ぶようになり、今ではメキシコ・カトリックのシンボル的存在となっています。」

「インディへナ文化と言えば、「オアハカはスペイン文化とインディヘナ文化が融合した魅力溢れる土地」などとガイドブックにはよく書かれてあります。しかし、圧倒的にインディヘナ文化が色濃く残る土地で、スパニッシュ文化はコロニアル都市である中心街の建築や風景を除いてあまり感じない。」

「プエブラは、工業の街としての側面もありますよ。」
「そうなんですか。」

「ガラスやテキスタイルの産地としても知られていますよ。」
「はい。」

「物作りや工芸品関係の美術館も多いですよ。」
「そうなんだ。」

「そのようなものに感心がある方は、尚のこと楽しみが増えるでしょう。」
「はい。」

「「プエブラ歴史地区」は、その趣から一瞬現代からタイムスリップしたような錯覚に襲われますよ。」
「そうなんですか。」

「したがって、この土地と街全体を訪問、観光してまわる価値があるでしょう。」
「わかりました。」

「お土産にもタラベラ焼だけではなく、様々なカラフルなメキシコの工芸品が揃っていますよ。」
「はい。」

「お土産選びには、きっと困りませんよ。」
「それはいいですね。」

「沢山の思い出と写真、そして安くてかわいい小物などを持って充実した気分で帰途につけること請け合いですよ。」
「はい。」

「穏やかな時の流れと、メキシコらしいのんびりした雰囲気を楽しんでみましょう。」
「わかりました。」

「あくせくとしたメキシコシティとは、また違った魅力がありますよ。」
「そうなんだ。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~グアナフアト歴史地区と鉱山~

「歴史遺産の中でも、鉱山が登録されている場所はそう多くはないと思いますね。」
「そうですね。」

「メキシコにある「グアナフアト歴史地区と鉱山」は、スペイン植民地時代の名残のコロニアル風建築を観光として楽しめる他、グアナフアトの豊かな「銀山」を見ることができますよ。」
「そうなんだ。」

「グアナフアト歴史地区と言えば、メキシコにある「グアナフアト歴史地区と鉱山」は、スペイン植民地時代の名残のコロニアル風建築を観光として楽しめる他、グアナフアトの豊かな「銀山」を見ることができます。18世紀には、この銀山の産出する銀が、世界の銀生産の4分の1を占めていたこともあるくらいだそうです。」

「グアナフアトと言えば、グアナフアト(スペイン語:Guanajuato)は、メキシコ・グアナフアト州の州都である。人口約78,000人(2003年現在)。メキシコでも豊かな銀山に恵まれ、スペイン植民地時代の美しいコロニアル建築で有名である。歴史的な市街地と近辺の銀山はユネスコの世界遺産に登録されている。」

「18世紀には、この銀山の産出する銀が、世界の銀生産の4分の1を占めていたこともあるくらいですよ。」
「それは凄いですね。」

「街の行事として、10月に行なわれる、国際セルバンテス祭など観光の目玉もありますよ。」
「そうなんですか。」

「10月に行なわれる国際セルバンテス祭と言えば、グアナフアト歴史地区の街の行事として、10月に行なわれる、国際セルバンテス祭はグアナファトで開かれるメキシコ最大の国際的なイベントです。」

「きっと、訪問して後悔のない場所だと思いますよ。」
「はい。」

「もちろん、この「グアナフアト歴史地区」も、約標高2000メートル程の高地にあるのは、メキシコならお約束のようなものですよ。」
「そうなんだ。」

「標高が高いだけに、朝晩は冷えるので気をつけないといけませんね。」
「はい。」

「メキシコは暑いばかりではなく、特に自然遺産がある所は、気候の変動が激しいですよ。」
「そうなんですか。」

「古くから洪水が多発した地区のせいか、地下の道路網の整備がされていますよ。」
「はい。」

「今は、地下の道路網がこのグアナフアトの特徴と言えるくらいですよ。」
「はい。」

「元々、銀山の坑道として使われていたものを道路に整備したものもあるそうですよ。」
「そうなんですか。」

「「グアナフアト歴史地区と銀山」の世界遺産がセットになっている理由は、この街の建築物の豪華さ、又、時に過剰な程の装飾が見られるのは、銀の特需で潤った鉱山主が競って豪邸を建て、その上協会にも莫大な寄進を行なったからですよ。」
「そうなんだ。」

「バレンシアーナ聖堂などは、その歴史的名残を今に伝えていますよ。」
「はい。」

「バレンシアーナ聖堂と言えば、グアナフアト歴史地区の北西に位置する銀鉱山バレンシアーナには、かつて世界最大の銀の産出量を誇っていた鉱山があり、鉱山主が建てたのがバレンシアーナ聖堂である。

「メキシコにあるコロニアル地区の中で、最も美しい建物が並ぶ都市として、この「グアナフアト歴史地区と銀山」は、賞賛されることが多いですよ。」
「そうなんだ。」

「メキシコの歴史上、重要な位置を占める街でもありますよ。」
「はい。」

「メキシコ独立戦争で、反乱軍が初めて勝利したのがここ、グアナフアトでしたよ。」
「はい。」

「メキシコ独立戦争と言えば、メキシコ独立革命、またはメキシコ独立戦争(1810年 - 1821年、スペイン語: Independencia de Mexico、英語: The Mexican War of Independence)は、スペイン領植民地であったメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の独立に向けた長い戦争である。1810年9月16日に始まった当初は植民支配者に対する農民反乱として始まったが、最終的には政教分離や自由主義を掲げ独立を望むリベラル派(liberales)と、カトリックおよび君主制の権威の尊重や身分制・集権制の保持を主張し独立を望まなかった保守派(conservadores)が手を組む意外な展開となり、メキシコ独立へと至った。」

「今は、グアナフアト大学など学問中心の学芸都市としての側面を持つグアナフアトですよ。」
「はい。」

「グアナフアト大学と言えば、ラテンアメリカ最古の大学のひとつであるグアナフアト大学は18世紀、子供たちのためのイエズス会の神学校としてその扉を開きました。州最初の教育施設であり、最初の名前はサンティシマトリニダ養護施設です。後にその名前を何回も変えた後、1828年に州の施設となりました。さらにその後、グアナフアト国立学校に名前を変え、1945年には大学となり最終的にグアナフアト大学と呼ばれるようになりました。」

「メキシコの歴史上、欠かすことができない役割を昔も今も担っていますよ。」
「そうなんだ。」

「歴史的佇まいと、大学都市の伝統がこの街には息づいていますよ。」
「はい。」

「銀鉱山の栄えがなくなった今も、上手に都市としての役割の転換をはかり、見事に観光、大学の街として世界的に有名なのも、この「グアナフアト歴史地区と銀山」の強みとも言えますね。」
「はい。」

「小高い丘の上から見たこの街の景観は、かなり洗練されていますよ。」
「そうなんですか。」

「それだけで、どこかヨーロッパの古都を思わせる佇まいですよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産として、登録されるのも納得ですね。」
「なるほど。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~古代都市チチェン・イッツァ~

「「古代都市チチェン・イッツア」は、メキシコの世界遺産として名高く、又メキシコのピラミッドとして知名度は抜群ですね。」
「そうなんですか。」

「この「古代都市チチェン・イッツア」は、ユカタン州の州都メリダの東にありますよ。」
「はい。」

「ユカタン州と言えば、ユカタン州(Estado de Yucatan)は、メキシコの州である。メキシコの東部、ユカタン半島の北部に位置する。州都はメリダ。面積38,402km2、2010年センサスで人口は1,953,027人で、42%がメリダ自治体に住んでいる。古典期終末の9世紀から後古典期の前半の13世紀頃にかけてマヤ文明が繁栄し、世界遺産登録されたチチェン・イッツァ、ウシュマルなどプウク式の優美な遺跡が残されている。」

「ユカタン州の州都メリダと言えば、メリダ (Merida) は、メキシコにある都市で、ユカタン州の州都である。人口は830,732人(2010年)。近年、メリダの人口は周辺の村からの人口流入により上昇を続けており、市の一番外側を走る外周道路(anillo perferico)を越えて宅地造成がなされている。」

「リゾート地としても有名なカンクンからも観光バスが多数出ていますので、一緒に楽しむことができますよ。」
「はい。」

「リゾート地としても有名なカンクンと言えば、カンクン (Cancun) は、メキシコ合衆国の南東部、カリブ海沿岸のキンタナ・ロー州にある都市の名前である。マヤ語で"カン"は蛇、"クン"は巣という意味で蛇の巣という意味である。メキシコ南東部のカリブ海沿岸、ユカタン半島の先端に位置する観光都市で、1970年代にメキシコ政府の先導でリゾート地として開発された。現在は年間で300万人を超える観光客やセレブが訪れる、世界的に知名度が高いリゾート地となった。」

「ビーチリゾートや自然を堪能できますよ。」
「そうなんだ。」

「遺跡好き、歴史好きにはこたえられない観光ルートですよ。」
「そうなんですか。」

「メキシコのマヤ文明と言えば、高度の数学的知識と天文学で知られ、マヤ歴なども一時流行しましたね。」
「はい。」

「マヤ歴と言えば、マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。1つは、一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。」

「マヤ文明と言えば、マヤ文明とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。1つは、一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。」

「ピラミッドや建築物は、気象条件とその地形が計算されつくした上に建てられていますよ。」
「そうなんだ。」

「マヤ文化の最高神である蛇、ククルカンが祀られたカスティーヨは、春分の日、秋分の日に太陽が沈む時刻になると、北面の蛇の頭部の彫刻と共に、そのピラミッドの階段を通して完全な蛇の全身が写し出されるという、暦のピラミッドにもなっていますよ。」
「そうらしいですね。」

「マヤ文化と言えば、マヤ文化は、中央アメリカ、ユカタン半島からグアテマラ、エルサルバドルの太平洋岸までの地域に展開したメソアメリカの文化の一つである。オルメカ文化やサポテカ文化から継承し発展させた独特の文字体系、天文暦数、宗教体系、そしてマヤ自身の発明による持送り式アーチ工法による建築などがマヤMaya文化の特徴である。とくに古典期においてそれらの特徴は頂点を極めた。たとえば、マヤ暦は精密そのものとなり、歴史的事件や定期的な天体観測記録を正確な日付をもって石碑に刻み建立する習慣は、よほどの変動がない限り絶やすことがなかった。」

「マヤ文化の最高神である蛇、ククルカンと言えば、チチェン・イッツァを代表するピラミッド、エル・カスティーヨは、高さ24メートルと巨大なものです。エル・カスティーヨとはスペイン語で「城」または「城壁」という意味です。マヤの最高神ククルカンを祭る建物で、「ククルカンの神殿」「ククルカンの ピラミッド」とも呼ばれています。 ククルカンは、羽根のある蛇の姿をした神です。」

「マヤ文化の最高神である蛇、ククルカンが祀られたカスティーヨと言えば、マヤ文化の最高神である蛇、ククルカンが祀られたカスティーヨは、春分の日、秋分の日に太陽が沈む時刻になると、北面の蛇の頭部の彫刻とともに、そのピラミッドの階段を通して完全な蛇の全身が写し出されるという、暦のピラミッドにもなっています。」

「階段数は、丁度マヤ歴の365段ありますよ。」
「はい。」

「これは新・世界7不思議に数えられるほど、当時の人々が暦を完全に把握していたことを物語る、世界遺産としてもかなり価値の高いものですよ。」
「そうなんだ。」

「新・世界7不思議と言えば、新・世界七不思議(英語:New Seven Wonders of the World)は、世界中からの投票によって決められた、現代版の世界の七不思議である。スイスに本拠を置く「新世界七不思議財団」(New7Wonders Foundation)によって発表された。2007年に選出が行われ、2011年には第2弾の新・世界七不思議 自然版の選出が行われた。
(1)チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)、
(2)イエス・キリスト像(ブラジル)、
(3)③万里の長城(中国)、
(4)マチュ・ピチュ(ペルー)、
(5)ペトラ(ヨルダン)、
(6)コロッセオ(イタリア)、
(7)タージ・マハル(インド)」

「当然、その敷地内には天文台もありますよ。」
「はい。」

「「古代都市チチェン・イッツア」は、多くの石の彫刻、競技場でも知られていますよ。」
「はい。」

「競技で勝った者が、神の生け贄、つまり選ばれしものとして殉じたとも言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「その祭祀の風景が、石に彫刻として描かれていますよ。」
「はい。」

「当時の人々の暮らしぶりや価値観などを知る事が出来ますよ。」
「そうなんだ。」

「「セノーテ」と呼ばれる、聖なる泉がありますよ。」
「はい。」

「「セノーテ」と呼ばれる、聖なる泉と言えば、中米で栄えたマヤ文明。石のピラミッドを築き、精緻な暦を作ったマヤの人々は、セノーテと呼ばれる聖なる泉と洞窟に、雨の神チャクが宿っていると信じていた。今でもメキシコのユカタン半島では、農民たちが供物を捧げて神に祈り、雨乞いの儀式を行う。」

「そこで豊作を祈ったり、また人を泉に放り込んで、吉兆を占ったとも言われますよ。」
「はい。」

「古代都市には謎が多いですね。」
「そうですね。」

「その中でも、今の暦や天文学、もしくは数学や建築学をほとんど現在と変わらない程度に把握していたことは、それだけマヤの人々が進んだ文明を持っていたと言うことですね。」
「そうなんだ。」

「中米、南米には謎めいた遺跡が多いですね。」
「はい。」

「その筆頭にもなるのが、この「古代都市チチェン・イッツア」ですよ。」
「そうなんですか。」

「「古代都市チチェン・イッツア」へはアクセスも良いですよ。」
「はい。」

「そして、メキシコ、カンクン観光の目玉として広く世界に知られていますよ。」
「はい。」

「国際的リゾート地に近いことで、この「古代都市チチェン・イッツア」には、かなりの人が訪れますよ。」
「そうなんだ。」

「特に、春分、秋分の両日は、人で埋め尽くされてしまいますよ。」
「はい。」

「農耕や戦争の為に、天文学が必須であったのは確かですね。」
「はい。」

「コンピュータのない時代に、そこまで正確に暦を把握していた事実には驚かされますね。」
「そうですね。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~モレリア歴史地区~

「「モレリア歴史地区」は、メキシコのミチョアカン州の州都のモレリアにありますよ。」
「はい。」

「モレリア歴史地区と言えば、モレリア歴史地区は、1991年に登録されたメキシコの世界遺産(文化遺産)で、同国中西部のミチョアカン州に位置する。モレリアは、1541年、ヌエバ・エスパーニア(スペイン領メキシコ)の初代副王アントニオ・デ・メンドサの命により建設され、農産物取引などの交易や政治の中心として発展した。町は、中央広場を中心に碁盤目状に道路が配され、大聖堂、新大陸で2番目に古い歴史を持つサン・ニコラス神学校(現ミチョアカン州立大学)、253のアーチを持つ石造の水道橋、旧総督邸など、歴史的建造物が数多く残っている。」

「メキシコのミチョアカン州と言えば、ミチョアカン州(Estado de Michoacan)は、メキシコ中西部にある州である。名称は、ナワトル語で「猟師の地」を意味するミチャマクワン(michamacuan)に由来する。ゲレーロ州の北西、コリマ州とハリスコ州の東南東に位置する。 州都はモレリア。2010年センサスで州の人口は4,348,485人。」

「メキシコのミチョアカン州の州都モレリアと言えば、モレリア市(スペイン語:Morelia)は、メキシコ・ミチョアカン州の州都である。人口約620,000人。メキシコ独立運動に参加したホセ・マリア・モレーロスの名から採られた。市内には、モレーロスの生家や博物館があり、メキシコ国内から多くの観光客が訪れる。」

「スペイン植民地時代の旧市街地が、世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんだ。」

「メキシコ中部に位置するこのモレリアは、バリャドリードと呼ばれ、交通の要塞として栄えましたよ。」
「はい。」

「バリャドリードと言えば、バリャドリッドはスペインの都市である。カスティーリャ・イ・レオン州の州都で、バリャドリッド県の県都である。一時期、カスティーリャ王国、スペイン王国の王宮がおかれた。バリャドリード、バリャドリー、バリャドリッ、バジャドリード、バジャドリー、バジャドリッなどとも表記される。人口は約32万人。」

「都市計画のもと、宗教、文化の中核都市として美しく整備された街並は、それだけで歴史や文化を感じさせますよ。」
「はい。」

「今でも、200以上の貴重な建造物が残されていますよ。」
「そうなんだ。」

「それぞれの建造物に、歴史や個性があって興味深いですよ。」
「はい。」

「この街のモレリアという名前の由来は、メキシコ独立の英雄、ホセ・マリア・モレーロスからきていますよ。」
「そうなんだ。」

「メキシコ独立の英雄、ホセ・マリア・モレーロスと言えば、ホセ・マリア・テクロ・モレーロス・イ・パボン(西:Jose Maria Teclo Morelos y Pavon、1765年9月30日 -1815年12月22日) は、メキシコのローマ・カトリック教会の神父であり、メキシコ独立革命 (メキシコ独立戦争)における独立派の一人である。1811年のミゲル・イダルゴ神父処刑後に、彼の主導権を引き継いだ。後にスペイン軍に捕えられ、1815年に処刑された。」

「メキシコシティからバスで5~6時間程かかりますが、訪問の価値はありますよ。」
「はい。」

「メキシコの首都のメキシコシティと言えば、メキシコシティ(西: Ciudad de Mexico)は、メキシコ合衆国の首都である。ラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。国名と同一名称のため「市」に相当する単語を付けて呼ばれるのが通例となっており、メキシコ合衆国の公用語であるスペイン語では「シウダ・デ・メヒコ」(Ciudad de Mexico) と発音される。日本で主に用いられるメキシコシティ (Mexico City) は英語名で、日本では他にメキシコ市と呼ばれる場合もある。」

「メキシコの国内からも、観光客が多い街としても知られていますよ。」
「はい。」

「メキシコ人にとっても、人気観光スポットなのでしょう。」
「そうなんだ。」

「世界遺産的価値をみると、「モレリア歴史地区」には、溶岩から造られたピンク色の建造物が沢山立ち並んでいますよ。」

「石畳と同様、その部分がかなり人目を引きます。」
「そうなんですか。」

「メキシコに限らず、コロニアル風の建造物には、色がカラフルなものが目立ちますよ。」
「はい。」

「この「モレリア歴史地区」でも、かなり鮮やかな、又、少しスペイン、もしくはイスラムの影響を感じさせる佇まいに目を奪われますよ。」
「はい。」

「プラテレスコ様式の大聖堂、またアメリカ大陸でも歴史上、二番目に建てられたというコレヒオ・サン・ニコラス神学校、旧総督邸など見所は沢山ありますよ。」
「そうなんだ。」

「旧総督邸と言えば、サンタフェの旧市街の中心であるプラザ、その北側に旧総督邸があります。スペイン人 によるメキシコ北部の植民が始まった1610年に建てられた、アメリカに現存する最古の 公共建築物です。」

「アメリカ大陸でも歴史上、二番目に建てられたというコレヒオ・サン・ニコラス神学校と言えば、「モレリア歴史地区」には、溶岩からつくられたピンク色の建造物が沢山立ち並んでおり、石畳と同様、その部分がかなり人目を引きます。プラテレスコ様式の大聖堂、またアメリカ大陸でも歴史上、二番目に建てられたというコレヒオ・サン・ニコラス神学校、旧総督邸など見所は沢山あります。」

「プラテレスコ様式(の大聖堂)と言えば、プラテレスコ様式は別名銀細工士様式と呼ばれ、浅浮彫の植物模様やメダイヨン(円形や楕円形の模様)が特徴である。」

「「モレリア歴史地区」は、スペイン統治時代の名残がそこかしこに見られますよ。」
「はい。」

「現地の文化と融合し、一種不思議な感覚にとらわれる街ですよ。」
「そうなんですか。」

「「モレリア歴史地区」は、メキシコ人の誇りとその数奇な歴史がちりばめられていますよ。」
「はい。」

「混血がすすんでいるせいか、メキシコ人自身は、すでにスペイン人を嫌ったり、否定する人はあまりいないと言いますよ。」
「そうなんだ。」

「スペインとその統治した植民地との関係を知るために、この「モレリア歴史地区」を歴訪することは意味がありますよ。」
「はい。」

「美しい街並の中には、そのような歴史の息づかいを感じられるスポットがありますよ。」
「そうなんですか。」

「一休みしながら、のんびりとこの世界遺産の街を観光してはいかがでしょうか。」
「わかりました。」

「モレーロスの生家や、博物館に行ってみるのもおススメですよ。」
「はい。」

「夜になってライトアップされた建築物を眺めるのも、幻想的ですよ。」
「はい。」

「旅の思い出、そして写真撮影にはうってつけだと思いますよ。」
「そうなんだ。」

「自分でお気に入りの場所を探してみるのも面白そうですよ。」
「わかりました。」





メキシコの世界遺産とマヤ文明や古代都市遺跡~古代都市エル・タヒン~

「メキシコと言えば、考古遺跡の本場ですね。」
「そうですね。」

「歴史遺産好き、考古学好きにはたまらない観光名所が沢山ありますよ。」
「そうなんだ。」

「この「古代都市エル・タヒン」も、きっと訪問して良かったと思う世界遺産の一つに数えられるでしょう。」
「はい。」

「エル・タヒンと言えば、エル・タヒン (El Tajin)は、古典期後期 (A.D.600-900) から後古典期前期 (A.D.900-1200) まで繁栄した祭祀センターであり、世界遺産に登録されている考古遺跡の一つである。ベラクルス州、パパンテカ山塊 (Sierra Papanteca) の脇、パパントラの町の南西8kmにある、二つの渓谷の間の北緯20°38′35″、西経97°22′39″の地点に位置する。エル・タヒンという名称は、タヒンと呼ばれる12人の老人がこの遺跡に住んでおり、彼らは雷雨の神であるという地元のトトナカ族の神話伝承に由来している。」

「「古代都市エル・タヒン」は、メキシコのベラクルス州、パパントラの町の南西にありますよ。」
「はい。」

「メキシコのベラクルス州と言えば、ベラクルス州 (Veracruz de Ignacio de la Llave) は、メキシコ合衆国の31の州の一つで、メキシコ湾の西岸、タマウリーパス州の南隣、タバスコ州の北西、北緯17°10' から22°38'、西経93°55' から98°38'に位置する南北方向に細長い州である。面積は、 72,815平方kmで、メキシコで11番目であり、2010年センサスで州の人口は7,638,378人。メキシコで3番目に人口の多い州である。」

「メキシコのベラクルス州のパパントラの町と言えば、パパントラの町は、正式名称はパパントラデオラルテ Papantla de Olarte。メキシコ中部、ベラクルス州中北部の都市である。メキシコ市の東北東約 230km、メキシコ湾岸の海岸平野中の丘陵地帯にあり、標高約 300m。」

「この遺跡の名前の由来は、タヒンという12人の老人、雷雨の神々がこの遺跡に住んでいたからという言い伝えに由来していますよ。」
「そうなんだ。」

「タヒンと呼ばれる12人の老人と言えば、エル・タヒンという名称は、タヒンと呼ばれる12人の老人がこの遺跡に住んでおり、彼らは雷雨の神であるという地元のトトナカ族の神話伝承に由来している。」

「紀元前600年頃から使われていたとされる、祭祀を司る建造物でしたよ。」
「はい。」

「テオティワカン文化の影響も受け、7世紀から11世紀頃が全盛期でしたよ。」
「はい。」

「テオティワカン文化と言えば、テオティワカン文化は、メソアメリカ史上最大の都市テオティワカンTeotihuacanを中心に、前2世紀から6世紀ころまで、各地に大きな影響を与えた文化である。前2世紀ころ、メキシコ盆地南部のシトレ火山が噴火し、その溶岩はクイクイルコCuicuilcoの町を覆ってしまった。クイクイルコの破滅はメキシコ盆地の社会の再編成を促し、その結果、現在のメキシコ市の北東50kmにあるテオティワカンの地が選ばれて、計画された大都市の建設が始まったのである。」

「トトナカ族、ワステカ族によって建てられたものと推察されていますよ。」
「そうなんだ。」

「ワステカ族と言えば、ワステカ族は、メキシコ東部、ベラクルス州およびサンルイスポトシ州に住むマヤ語系の一民族である。人口約15万と推定される。他のマヤ族とは地理的に離れ、言語的近縁関係も薄く孤立した存在である。かつては独自のワステカ文化を生み出した。」

「トトナカ族と言えば、トトナカ族は、メキシコ東部、プエブラ州からベラクルス州にかけて居住する農耕民である。かつてはエルタヒン遺跡に代表される高度のベラクルス文化を生み出した。 H.コルテスのアステカ帝国征服に際し積極的に協力し、平和的にスペインの支配下となった数少い民族の一つ。」

「この「古代都市エル・タヒン」は、雨、風の神を祀った壁龕のピラミッドですよ。」
「はい。」

「これは壁龕の総数が365個になるところや、遊技場がその観光名物ですよ。」
「はい。」

「その他にも、興味深い遺跡を見つけることができますよ。」
「そうなんですか。」

「メキシコシティの北東200キロに位置して、観光のアクセスはあまり良いとは言えませんよ。」
「そうなんだ。」

「メキシコの首都のメキシコシティと言えば、メキシコシティ(西: Ciudad de Mexico)は、メキシコ合衆国の首都である。ラテンアメリカを代表する世界都市の一つ。国名と同一名称のため「市」に相当する単語を付けて呼ばれるのが通例となっており、メキシコ合衆国の公用語であるスペイン語では「シウダ・デ・メヒコ」(Ciudad de Mexico) と発音される。日本で主に用いられるメキシコシティ (Mexico City) は英語名で、日本では他にメキシコ市と呼ばれる場合もある。」

「あまり遺跡自体が傷んでいないことが、なによりもこの「古代都市エル・タヒン」のいいところですよ。」
「はい。」

「世界遺産としての登録がされると、それだけ観光地としてクローズアップされ、徐々に破壊が進むのですが、ここは今のところそうしたことは、免れているようですよ。」
「はい。」

「「古代都市エル・タヒン」は、独自の特徴を持つ建造物や、古代球技の発祥地という側面も持っていますよ。」
「そうなんだ。」

「かなり個性的な遺跡であることは、間違いありませんよ。」
「はい。」

「あまりにも観光地化された遺跡に食傷気味の方は、是非この「古代都市エル・タヒン」を訪問、観光することをおススメします。」
「わかりました。」

「熱帯植物が覆う丘陵地にありますよ。」
「そうなんですか。」

「メキシコの奥地を探検してみたい人にも、向いているかも知れませんね。」
「はい。」

「敷地面積959万平方メートルのエル・タヒンの古代都市は、かなり見応えがありますよ。」
「そうなんだ。」

「その気候もあいまって、観光時にはバテてしまわないように、しっかりと準備をして行くといいでしょう。」
「わかりました。」

「風や雨の神、稲妻を表すタヒン、という名前に象徴されるように、今でもこの地域はハリケーンや稲妻が多いですよ。」
「はい。」

「天気予報などに十分注意して、訪問予定をたてておきましょう。」
「はい。」

「長旅になるので、観光する日の前は無理をしないで、ゆっくり休んでから出掛けるようにしましょう。」
「わかりました。」

「メキシコの他の歴史遺産との比較も結構楽しいでしょう。」
「そうなんだ。」

「民族によって違いはありますが、特徴としては、この地域の先住民は正確な暦を用いていたことは確かなようですね。」
「わかりました。」

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