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アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ベニ・ハンマードの城塞・タッシリ・ナジェール・ティパサ・ジェミラ・ティムガッド・ムサブの谷・アルジェのカスバ~





アルジェリア 世界遺産 アフリカ最大国

アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力

「皆さんは、アルジェリアに行ったことはありますか?」
「いいえ、ありません。」

「アルジェリアには、サハラ砂漠やアトラス山脈など、まばゆいばかりの大自然が広がっていますよ。」
「はい。」

「アトラス山脈と言えば、アフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びる褶曲山脈である。名称はギリシア神話の巨神アトラスにちなんでいる。3,000m級の高地(モロッコ)では雪が降る。スキー・リゾート地として開発されている場所も存在する。」

「サハラ砂漠と言えば、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5,600km、南北1,700kmに渡り面積は約1,000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「アフリカ大陸の中で、最も広い国土を持ち、山々の様相もかなりダイナミックですよ。」
「そうなんですか。」

「地中海を越えた先に、スペインやフランスなどの情熱的な国々がありますね。」
「そうですね。」

「文化的にも似ている部分が多く、活気のある雰囲気が色濃くただよっている国ですね。」
「はい。」

「アルジェリアは、あまりアジアの人々にはなじみのない国ですね。」
「そうですね。」

「しかし、いざ行ってみると、面白いものや美しいものが、たくさん見つかりますよ。」
「はい。」

「日本ではまずお目にかかれない不思議なものが、数多く保存されていますよ。」
「そうなんですか。」

「アルジェリアの文化を知るために、まず世界遺産のラインナップをご紹介します。」
「お願いします。」

「アルジェリアに6カ所の文化遺産と、1カ所の複合遺産がありますよ(自然遺産は0カ所)。」
「そうなんだ。」

「文化遺産として保存されているのは、標高1000m以上の地点にあるムシラの世界遺産「ベニ・ハンマードの城塞」や、白亜紀に形成された標高300~800メートルの高原「ムザブの谷」、アラビアの言葉で“美しいもの”を意味するスポット「ジェミラ」などですよ。」
「はい。」

「ジェミラと言えば、アルジェリアの北東の岸に近い山村である。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を指す。それ以前のラテン語での名称はクイクルムだった。古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。特に、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが現存している。」

「ムザブと言えば、アルジェリア中部ガルダイア県にある地方の名である。アルジェの南600kmに位置する。ムザブは標高300mから800mの岩だらけの高原である。」

「ベニ・ハンマードと言えば、ベニ・ハンマードの城塞は、アルジェリアのムシラ にある考古遺跡である。1980年にユネスコの世界遺産に登録された。
城塞は、ホドナの山岳地帯の標高1000m以上のところにあり、アルジェの建市者ブルッギン・イブン・ジリの息子ハンマード・イブン・ブルッギンが、建造計画を立てて1007年に建造したものである。ハンマードはハンマード朝の始祖であり、この城塞都市は首都となった。」

「ムシラと言えば、ベニ・ハンマードの城塞という世界遺産はアルジェリアのムシラという地域にある遺跡です。」

「さらに、アラビアの言葉で“荒廃した都市”を意味する名称の街「ティパサ」や、西暦100年頃に帝王によって建造された植民都市「ティムガッド」、モスク(礼拝堂)や宮殿が保存されている旧市街「アルジェのカスバ」などもありますよ。」
「いろいろありますね。」

「旧市街「アルジェのカスバ」と言えば、アルジェリアの首都アルジェの旧市街を構成する一画の呼称である。ユネスコの世界遺産にも登録されている。なお、アルジェリアにはカスバと呼ばれる市街は他にもあるが、単に「カスバ」といった場合には一般にこのアルジェのカスバを指す。」

「植民都市「ティムガッド」と言えば、西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市である。古代ローマ時代にはタムガス (Thamugas) と呼ばれていた。ティムガッドの遺跡は、古代ローマの都市計画に碁盤目状の区画が導入された例を伝える、現存する最良の遺跡の一つである。長い間砂に埋もれていたことから保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」の異名をとる。」

「アラビアの言葉で“荒廃した都市”を意味する名称の街「ティパサ」と言えば、ティパサは紀元前7世紀頃にフェニキア人に築かれた後にローマの植民都市として栄えました。キリスト教の国教化後は北アフリカ最大のキリスト教徒居住区でした。西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂東の丘の聖サルサ大聖堂の計3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、アンフィテアトルムなどの廃墟は残っていて、東の丘のふもとには港跡があります。」

「他にも、500キロメートル以上の長さを保つ山脈「タッシリ・ナジェール」のような複合遺産が保存されていますよ。」
「はい。」

「山脈「タッシリ・ナジェール」と言えば、アルジェリア南東部、サハラ砂漠にある台地状の山脈である。およそ500kmにわたり拡がっており、最高点は標高2158mの Adrar Afao(北緯25度10分、東経8度11分)である。最も近い町は山脈の南西約10kmにあるジャーネットである。」

「しかし、「アフリカ大陸で最も広い国土をもつ割には、世界遺産が少ないような気がする」と勘づいた方もいらっしゃると思われますね。」
「はい。」

「実は、アルジェリアは国土のおよそ80パーセント以上の場所が砂漠で覆われていますよ。」
「そうなんだ。」

「五分の一の空間に人々が生活していますよ。」
「はい。」

「そのため、世界遺産も国土に対してやや控え目な数を保有しているように見えますね。」
「そうですね。」

「しかし、実際に生活空間として使われている国土はおよそ一割二割ですよ。」
「そうなんだ。」

「国土の総面積に比べて、世界遺産が少ないのは必然的なことだと言えますね。」
「はい。」

「むしろ、そのような国土になっているのに、これだけの世界遺産が残っているのはかなり素晴らしいですよ。」
「はい。」

「砂漠が好きな方には、堪らないロケーションがどこまでも続いている国ですよ。」
「はい。」

「砂漠が好きな方は、是非世界遺産と一緒に観光してください。」
「わかりました。」

「アルジェリアは、他の国と比べれば比較的治安の良い国ですよ。」
「はい。」

「治安の悪い場所へ入ってしまうと、かなり危険な目に遭う可能性がありますよ。」
「そうなんだ。」

「殺されてしまうようなことは、滅多にありませんよ。」
「そうなんですか。」

「銃を持ち歩く人がたくさんいるので、銃で脅されてお金を盗られる可能性もありますよ。」
「はい。」

「女性などが一人でいると、誘拐ビジネスに巻き込まれてしまう可能性もありますよ。」
「危険ですね。」

「男性でも優しそうな外見の方は、狙われやすいですよ。」
「そうなんですか。」

「道でよく絡まれるような男性も、十分注意しましょう。」
「わかりました。」

「一応、治安当局の努力のかいあって、アルジェリアの治安は十年前とまったく違うようになっていますよ。」
「はい。」

「治安の良い場所と悪い場所の差がかなりあるということは、念のために覚えておいた方が良いでしょう。」
「わかりました。」

「アルジェリアの世界遺産の周辺は、城壁で出来た要塞などで死角が多いため、犯罪が多発していますよ。」
「そうなんだ。」

「有名な観光地に行くと、警備が万全であるかのように思い込みがちですね。」
「はい。」

「決してそのようなことはないので、気を抜かないよう注意が必要ですよ。」
「はい。」

「女性同士やお子さん連れで観光するのであれば、なるべく治安の良い世界遺産を観光するのが良いでしょう。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ベニ・ハンマードの城塞~

「皆さんは、ベニ・ハンマードの城塞という世界遺産をご存じですか?」
「いいえ、知りません。」

「ベニ・ハンマードと言えば、ベニ・ハンマードの城塞は、アルジェリアのムシラ にある考古遺跡である。1980年にユネスコの世界遺産に登録された。
城塞は、ホドナの山岳地帯の標高1000m以上のところにあり、アルジェの建市者ブルッギン・イブン・ジリの息子ハンマード・イブン・ブルッギンが、建造計画を立てて1007年に建造したものである。ハンマードはハンマード朝の始祖であり、この城塞都市は首都となった。」

「この世界遺産は、アルジェリアのムシラという地域にある遺跡ですよ。」
「はい。」

「ムシラと言えば、ベニ・ハンマードの城塞という世界遺産はアルジェリアのムシラという地域にある遺跡です。」

「1980年にユネスコの世界遺産に指定されて以来、考古学的な価値がきわめて高いスポットとして注目を浴びていますよ。」
「そうなんですか。」

「ベニ・ハンマードの城塞は、イスラム都市の廃墟として知られていますよ。」
「はい。」

「標高1000メートル以上の地点に位置しており、宗教美術などがちりばめられたスポットとしてもおなじみですね。」
「そうなんだ。」

「周辺一帯は乾燥した気候が続いていますよ。」
「はい。」

「現存している世界遺産の空間は、空け広げたように何もありませんよ。」
「・・・・。」

「世界遺産の存在感が、きわだっていますよ。」
「そうなんですか。」

「この世界遺産は、かつてベルベ人の王朝として繁栄をきわめた「ハンマード王朝」の時代(11世紀)に築かれましたよ。」
「はい。」

「ハンマード王朝と言えば、現在のアルジェリア北部を支配したベルベル人のイスラム王朝(1007年/1015年-1152年)である。」

「ベルベ人と言えば、ベニ・ハンマードの城塞という世界遺産は、かつてベルベ人の王朝として繁栄をきわめた「ハンマード王朝」の時代(11世紀)に築かれました。」

「アルジェリアの歴史を学ぶ上では、かかせない世界遺産の一つとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「古来の歴史に興味を持つ人が、途切れることなく訪れる観光地ですよ。」
「はい。」

「城塞とは言っても、1152年にはムワッヒド朝に攻撃されている為、破壊されている部分も多いですね。」
「はい。」

「ムワッヒド朝と言えば、ベルベル人のイスラム改革運動を基盤として建設されたイスラム王朝(1130年-1269年)である。首都はマラケシュ。現在のモロッコに興り、チュニジア以西の北アフリカ(マグリブ)とイベリア半島の南部アル=アンダルス(現アンダルシア州とほぼ同じかやや広い範囲)を支配した。その名称のスペイン語訛りから、ヨーロッパではアルモハード朝という名前で知られている。」

「「廃墟」と言った方が適切な空間となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「それでも、堅牢な部分は今もなおがっしりとした姿を見せていますよ。」
「はい。」

「1007年に建造されたとは、とても思えないような外観になっていますよ。」
「そうなんですか。」

「北アフリカで最も繁栄をきわめた王朝だった頃の姿は残っていませんよ。」
「はい。」

「それでも美しい緑のロケーションの中にたたずむ城壁は、趣深い美しさを放っていますよ。」
「そうなんだ。」

「遺跡が好きな方からすると、何度も観光したくなるようなスポットでしょう。」
「そうなんですか。」

「「ベニ・ハンマードの城塞」という名称の世界遺産なので、いろんな部屋があったり豪華絢爛な装飾があったりするお城を想像する方がいるようですね。」
「そうですね。」

「しかし、この世界遺産はそういった世界遺産ではありませんよ。」
「どういうことですか。」

「むしろ土煙の舞うようなロケーションの中にある、ぼろぼろの石畳の街といったような空間ですよ。」
「そうなんですか。」

「華美な装飾を施されたお城が気になる方は、ロシアの宮殿などを訪ねたほうが賢明ですね。」
「そうなんだ。」

「「ベニ・ハンマードの城塞」の魅力は、イスラム特有の雰囲気ですね。」
「はい。」

「「千夜一夜物語を知って以来、イスラムの不思議な世界観に惚れ込んでいる」という人が行くと、深く感動できるでしょう。」
「わかりました。」

「千夜一夜物語と言えば、中世イスラム世界でアラビア語でまとめられた説話集である。千夜一夜物語は、日本語では千一夜物語、アラビアンナイトとも呼ばれている。」

「なお、この世界遺産の中で使われていた陶器などの類は、この世界遺産の中には保存されていませんよ。」
「そうなんですか。」

「コンスタンティーヌの博物館に収蔵されていますよ。」
「はい。」

「コンスタンティーヌの博物館と言えば、ジェミラ遺跡は紀元前にフェニキア人が作り始めた町である。現存する建造物はローマ時代のもので紀元前1世紀にネルヴァ帝が5000人を連れてこの都市を造った。ジェミラ遺跡の入り口を入って左手に博物館がある。建物の外壁には発掘されたモザイクが貼り付けられている。とても大切に扱われているとは思えない光景である。 遺跡から剥ぎ取り、壁に貼り付けただけで風雨にさらされている。博物館には遺跡で見つかった大きなモザイクや大理石の像、壷やコインなどが展示されている。」

「当時の生活用品が気になる方は、コンスタンティーヌの博物館に足を運びましょう。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~タッシリ・ナジェール~

「北アフリカ、地中海沿岸のアルジェリアは、先史時代から数々の文化の痕跡を残す、古い土地ですね。」
「はい。」

「現在は大部分を砂漠に覆われていますが、かつては湿潤な大地でしたよ。」
「そうなんですか。」

「それは、サハラ砂漠の台地「タッシリ・ナジェール」が、現地の言葉で“水の多い台地”という意味であることからもわかりますね。」
「はい。」

「サハラ砂漠と言えば、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5,600km、南北1,700kmに渡り面積は約1,000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「この台地には、岩絵が残されていますよ。」
「そうなんだ。」

「台地を浸食した渓谷に形成する生態系を合わせて、タッシリ・ナジェールの景観は、1982年にユネスコの世界遺産(複合遺産=文化遺産+自然遺産)に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「原始芸術の岩絵についてですが、岩絵とは、岩や洞窟の壁に描かれた先史時代の遺跡ですね。」
「はい。」

「古いものは1万年前のもので、世界中で発見されていますよ。」
「そうなんですか。」

「世界遺産となっているものだけでも、タヌムの岩絵(スウェーデン)、イベリア半島の地中海沿岸の岩絵(スペイン)、アルタの岩絵(ノルウェー)、コア渓谷とシエガ・ベルデの先史時代の岩絵遺跡群(ポルトガル・スペイン)などが有名ですね。」
「いろいろあるんですね。」

「コア渓谷とシエガ・ベルデの先史時代の岩絵遺跡群(ポルトガル・スペイン)と言えば、ユネスコの世界遺産リスト登録物件の一つである。当初、ポルトガルで発見された旧石器時代の岩絵の残る野外のものとしては最大級の遺跡であるコア渓谷の先史時代の岩絵遺跡群が単独で登録され、2010年にスペインのシエガ・ベルデが拡大登録された。」

「アルタの岩絵(ノルウェー)と言えば、ノルウェー最北部、フィンマルク県のアルタにある先史時代の岩絵(ペトログリフ)群をいう。1985年にユネスコの世界遺産に登録された。「アルタのロック・アート」と呼ぶ場合もある。」

「イベリア半島の地中海沿岸の岩絵(スペイン)と言えば、スペインの世界遺産の一つである。カタロニア州、アンダルシア州、ムルシア州、バレンシア州、アラゴン州、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の6つの州にまたがる700地点以上に残る、膨大な数の先史時代の岩壁画が対象となっている。」

「タヌムの岩絵(スウェーデン)と言えば、 スウェーデン南西部、オスロ湾に面する町タヌムにある岩絵である。青銅器時代のものといわれ、花崗岩の岩壁に人間や動物、そりや船などの道具、狩猟をする様子などが線画で描かれている。1994年に、「タムスの線刻画群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。」

「アフリカでは、「タッシリ・ナジェール」がアルジェリアの南東部にありますよ。」
「はい。」

「国境を越えたリビアには「コンドアの岩絵遺跡群」、タンザニアには「タドラルト・アカクスの岩絵遺跡群」などもありますよ。」
「そうなんだ。」

「タンザニアの「タドラルト・アカクスの岩絵遺跡群」と言えば、タドラルト・アカクスは、サハラの一部にあたるリビア西部の砂漠地帯である。アルジェリア国境に近く、ガット (Ghat) の町にも近い。「タドラルト」は現地の言葉で「山」を意味する。この地域の特色は先史時代の岩絵が多数現存していることであり、「タドラルト・アカクスの岩絵遺跡群」の名でユネスコの世界遺産にも登録されている。」

「国境を越えたリビアの「コンドアの岩絵遺跡群」と言えば、タンザニアのドドマ州コンドア地区にある洞窟壁画群を中心とする遺跡である。審美的にも高く評価しうる岩絵群が数千年に渡り蓄積されてきたことや、洞窟が地元民の伝統文化と密接に結びついてきたことなどが評価され、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「岩絵は線刻も彩色もあり、モチーフもさまざまですよ。」
「はい。」

「その中で「タッシリ・ナジェール」は、オーパーツ(場違いな加工物)と囁かれているものもあり、世界中の関心を集めていますよ。」
「わかりました。」

「オーパーツ(場違いな加工物)と言えば、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指す。英語の「OOPARTS」からきた語で、「out-of-place artifacts」つまり「場違いな工芸品」という意味。日本語では「時代錯誤遺物」「場違いな加工品」と意訳されることもある。」

「世界遺産「タッシリ・ナジェール」の見所についてですが、世界遺産となっている岩絵群は、アルジェリア南東部、リビアとの国境に近いタッシリ・ナジェール高原の岩山にありますよ。」
「はい。」

「タッシリ・ナジェール高原と言えば、世界遺産となっている岩絵群は、アルジェリア南東部、リビアとの国境に近いタッシリ・ナジェール高原の岩山にあります。」

「その場所はサハラ砂漠の中央に位置していますので、観光には体力が必要ですよ。」
「そうなんだ。」

「「タッシリ・ナジェール」は、岩絵と共に、その大自然の景観も世界遺産ですよ。」
「はい。」

「麓からは、道なき道を徒歩で進まなければなりませんよ。」
「大変ですね。」

「最高点の標高は、2000mを超えますよ。」
「そうなんだ。」

「奇岩が林立した月面のような大地を歩むと、岩絵に到達しますよ。」
「はい。」

「絵は確認されているものだけでも、1万点以上ありますよ。」
「多いですね。」

「動物や人物などが長い期間にわたって描き続けられていたと考えられていますよ。」
「はい。」

「古いものは8000年以上前ですよ。」
「そうなんですか。」

「最も有名なのは、「セファールの白い巨人」でしょう。」
「そうなんだ。」

「セファールの白い巨人と言えば、「タッシリ」の古代岩面絵の中で、世界中に名高い「存在」が、セファールと呼ばれるサイトに残されている『セファールの神(和名: 白い巨人)』である。」

「壁画の多くが、狩猟や農耕・踊り・シャーマンなどの人々の暮らしや動物たちが描かれていますよ。」
「はい。」

「シャーマンと言えば、英語圏の名前のひとつである。シャーマニズムにおいて、超自然的存在と直接接触・交流・交信する役割を主に担う役職。呪術者・巫・巫女・祈祷師・ムーダンなど。」

「この絵の“人物”は、身長3mを超え、その不思議なシルエットから“宇宙人”と呼ぶ人も多くいますよ。」
「はい。」

「まさに「タッシリ・ナジェール」のシンボルですね。」
「わかりました。」

「タッシリ・ナジェール国立公園の地理と観光についてですが、「タッシリ・ナジェール」は、サハラの奥地へと進まねばならず、麓までは車で行けますが、見学は徒歩が基本ですね。」
「はい。」

「タッシリ・ナジェール国立公園と言えば、タッシリ・ナジェールは、アルジェリア南東部、サハラ砂漠にある台地状の山脈である。台地を侵食した渓谷には糸杉が点在し、考古学的な景観も含んでいることから、「タッシリ・ナジェール国立公園」として国立公園、生物圏保護区、ラムサール条約登録地に指定されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。」

「悪路ですので、必ずツアーに参加してくださいね。」
「わかりました。」

「「タッシリ・ナジェール」へは、首都アルジェから飛行機で近くの街「ジャネット」へ向かいますよ。」
「はい。」

「街「ジャネット」と言えば、アルジェリア南東部に位置し、先住民の岩絵が残るタッシリ・ナジェール国立公園の観光拠点である。アルジェから2300km、リビア国境まで800kmのサハラ砂漠の真ん中にあるオアシスです。町とその周辺に1万5000人ほどが住み、その大半は遊牧民のトゥアレグ人です。水が豊富で、ナツメヤシの栽培が盛んである。町の中心には銀行、郵便局、病院、学校、市場、カフェ、商店が並んでいます。」

「首都アルジェと言えば、アルジェリアの首都アルジェ。地中海に沿って美しい白い壁の建物が並び、フランスの植民地であったことがうかがえる素晴らしいところです。」

「タッシリ・ナジェール国立公園と言えば、タッシリ・ナジェールは、アルジェリア南東部、サハラ砂漠にある台地状の山脈である。台地を侵食した渓谷には糸杉が点在し、考古学的な景観も含んでいることから、「タッシリ・ナジェール国立公園」として国立公園、生物圏保護区、ラムサール条約登録地に指定されており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。」

「ここは小さな街ですが、市場やレストラン、銀行などもありますよ。」
「そうなんですか。」

「ジャネットからタッシリ・ナジェールの麓までは車、麓からは徒歩が一般的ですね。」
「はい。」

「ツアーの多くは、キャンプで宿泊しますよ。」
「そうなんだ。」

「砂漠の乾燥地帯ですよ。」
「はい。」

「観光シーズンは、10月から5月くらいまでですよ。」
「はい。」

「特に冬場がおススメですね。」
「そうなんですか。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですね。」
「はい。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ティパサ~

「古代ローマの遺跡は、首都ローマやイタリア各地だけではありませんよ。」
「そうですね。」

「ヨーロッパ各地はもちろん、遠くはトルコ、地中海を挟んだ北アフリカにもありますよ。」
「はい。」

「その代表的なものの一つが、アルジェリアの「ティパサ」ですね。」
「はい。」

「アラビアの言葉で“荒廃した都市”を意味する名称の街「ティパサ」と言えば、ティパサは紀元前7世紀頃にフェニキア人に築かれた後にローマの植民都市として栄えました。キリスト教の国教化後は北アフリカ最大のキリスト教徒居住区でした。西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂東の丘の聖サルサ大聖堂の計3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、アンフィテアトルムなどの廃墟は残っていて、東の丘のふもとには港跡があります。」

「1982年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「ティパサ史についてですが、アルジェリアの地中海沿岸にある街「ティパサ」は、アラビア語で“荒廃した都市”という意味ですよ。」
「はい。」

「この街は、現在のアラブ人たちがくるまで、長く荒廃した街でしたよ。」
「そうなんですか。」

「世界遺産そのものも、2002年~06年の間、危機遺産登録されていましたよ。」
「はい。」

「街の歴史は、紀元前7世紀にまで遡りますよ。」
「はい。」

「古代のフェニキア人によって作られたこの街は、その後2世紀になってローマの植民都市となり、軍事的にも重要な拠点として繁栄しましたよ。」
「そうなんだ。」

「フェニキア人と言えば、セム族に属する一民族、カナーン人のギリシャ名である。前3000~前2000年ごろ、地中海東岸中部に多数の都市国家や植民市を建設した。航海に長じて海上交易に従事、その活動範囲は大西洋やインド洋に及び、各地にオリエント文明を伝えた。」

「現在も、神殿、教会堂、墓地、浴場、劇場、円形闘技場などの遺跡が残されていますよ。」
「はい。」

「キリスト教の伝来も早く、3世紀には司教座となりましたよ。」
「はい。」

「ティパサには、大バシリカ(教会堂)、アレクサンデル大聖堂、聖サルサ大聖堂の遺跡があり、その繁栄を伝えていますよ。」
「そうなんだ。」

「バシリカ(教会堂)と言えば、ローマ教皇の発行した教皇小書簡により、一般の教会堂より上位にあることを認められた教会堂のことである。」

「聖サルサ大聖堂と言えば、ティパサはフェニキア人によって建てられ、クラウディウス帝のときに古代ローマの軍事拠点とされたあと、市になった。その都市は海を見下ろす3つの小丘の上に建てられた。家々のほとんどは中央の丘に建てられたが、その痕跡は残っていない。かわりに、西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂、東の丘の聖サルサ大聖堂の計3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、アンフィテアトルムなどの廃墟は残っている。」

「アレクサンデル大聖堂と言えば、ティパサはフェニキア人によって建てられ、クラウディウス帝のときに古代ローマの軍事拠点とされたあと、市になった。その都市は海を見下ろす3つの小丘の上に建てられた。家々のほとんどは中央の丘に建てられたが、その痕跡は残っていない。かわりに、西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂、東の丘の聖サルサ大聖堂の計3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、アンフィテアトルムなどの廃墟は残っている。」

「大バシリカ(教会堂)と言えば、大バシリカはローマ教皇の聖座と大祭壇がある4つの大バシリカである。ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂及びローマの3つの大バシリカ、すなわちサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂です。」

「その後のティパサは、ビザンチン帝国の一部となりますよ。」
「はい。」

「ビザンチン帝国と言えば、東ローマ帝国は、首都コンスタンチノープルがギリシアの植民都市ビュザンティオンと呼ばれたことから、ビザンツ帝国あるいはビザンチン帝国と呼ばれる。この帝国は、バルカン半島と小アジアを中心に、西はイタリアから東はシリアまでの版図を有し、東洋と西洋の文明の十字路に位置した。」

「6世紀には、街は歴史から姿を消しましたよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産「ティパサ」の見所についてですが、ティパサは、アルジェリアの首都アルジェから西に約70kmの所にありますよ。」
「はい。」

「首都アルジェと言えば、アルジェリアの首都アルジェ。地中海に沿って美しい白い壁の建物が並び、フランスの植民地であったことがうかがえる素晴らしいところです。」

「街は1857年に作られた近代的な都市ですよ。」
「はい。」

「世界遺産「ティパサ」は、市街から南東に約11km、地中海を臨む美しい景観に遺跡が残されていますよ。」
「そうなんだ。」

「遺跡として登録されているのは、西部考古学公園、東部考古学公園、そして死者記念塔の3つですよ。」
「はい。」

「死者記念塔と言えば、ティパサは1982年に登録されたアルジェリアの世界遺産(文化遺産)で、首都アルジェ西方の地中海沿岸に位置する。登録されたのはティパサ西部考古学公園、ティパサ東部考古学公園、死者記念塔の3物件である。」

「東部考古学公園と言えば、ティパサは1982年に登録されたアルジェリアの世界遺産(文化遺産)で、首都アルジェ西方の地中海沿岸に位置する。登録されたのはティパサ西部考古学公園、ティパサ東部考古学公園、死者記念塔の3物件である。」

「西部考古学公園と言えば、ティパサは1982年に登録されたアルジェリアの世界遺産(文化遺産)で、首都アルジェ西方の地中海沿岸に位置する。登録されたのはティパサ西部考古学公園、ティパサ東部考古学公園、死者記念塔の3物件である。」

「ローマ時代の浴場、劇場、古い時代のキリスト教会の遺跡もありますよ。」
「はい。」

「敷地内には美術館もあり、鮮やかなモザイクなどの発掘品を見学することもできますよ。」
「わかりました。」

「ティパサ観光についてですが、世界遺産「ティパサ」は、首都アルジェから車で約2時間程度ですよ。」
「はい。」

「観光には、アルジェに宿泊し周辺の遺跡を巡るのが一般的ですね。」
「はい。」

「しかし、ティパサの新市街にはホテルもあり、地中海リゾートも楽しむこともできますよ。」
「そうなんだ。」

「ティパサから5km程度の位置にあるホテルもあり、レストランやプライベートビーチなどが充実していますよ。」
「はい。」

「ティパサの遺跡は、海岸沿いに高級住宅街の跡が残されており、古くからリゾート気分を楽しんでいたのかも知れませんね。」
「はい。」

「温暖な地中海沿岸の気候ですので、一年を通して旅行が可能ですよ。」
「いいですね。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですね。」
「はい。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ジェミラ~

「アルジェリアには、ローマ時代の遺跡が3つ、世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんだ。」

「そのうちの一つが、前述の「ティパサ」ですね。」
「はい。」

「アラビアの言葉で“荒廃した都市”を意味する名称の街「ティパサ」と言えば、ティパサは紀元前7世紀頃にフェニキア人に築かれた後にローマの植民都市として栄えました。キリスト教の国教化後は北アフリカ最大のキリスト教徒居住区でした。西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂東の丘の聖サルサ大聖堂の計3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、アンフィテアトルムなどの廃墟は残っていて、東の丘のふもとには港跡があります。」

「そして、後述する「ティムガット」、「ジェミラ」ですね。」
「はい。」

「ジェミラと言えば、アルジェリアの北東の岸に近い山村である。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を指す。それ以前のラテン語での名称はクイクルムだった。古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。特に、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが現存している。」

「ジェミラは山村にあり、ローマ時代に作られ、ローマの没落と共に消えていきましたよ。」
「そうなんだ。」

「その美しい遺跡は、1982年にユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されましたよ。」
「わかりました。」

「ジェミラ史についてですが、世界遺産「ジェミラ」は、アルジェリア北東部、標高1000mを超える高原にある都市セティフから北東に50kmの所にありますよ。」
「はい。」

「都市セティフと言えば、アルジェリアの都市である。アルジェリア北東部に位置し、セティフ県の県都である。人口235240人(2010年)。標高1,096mの高原に位置し、アルジェリアの県都の中で2番目に標高の高い都市である。通りには、並木や噴水、劇場が作られ、フランス時代の雰囲気を残している。」

「ジェミラと言えば、アルジェリアの北東の岸に近い山村である。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を指す。それ以前のラテン語での名称はクイクルムだった。古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。特に、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが現存している。」

「「ジェミラ」は、アラビア語で“美しい”を意味しますよ。」
「そうなんだ。」

「ジェミラと言えば、アルジェリアの北東の岸に近い山村である。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を指す。それ以前のラテン語での名称はクイクルムだった。古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。特に、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが現存している。」

「街は、1世紀に古代ローマの植民都市として建設されましたよ。」
「はい。」

「山並みの地形に合わせて、ローマ建築が配されていることも特徴ですね。」
「はい。」

「ジェミラは、風光明媚な美しい街となり、2~3世紀には最盛期を迎えますよ。」
「そうなんだ。」

「ローマの退役兵士が定住し、多くの人々で賑わっていたと考えられていますよ。」
「はい。」

「しかし、ローマ帝国が衰退し始めると、ジェミラも緩やかに下降していきますよ。」
「はい。」

「一時はビザンチン帝国の支配下となりますが、その後、都市は忘れ去れましたよ。」
「そうなんですか。」

「ビザンチン帝国と言えば、東ローマ帝国は、首都コンスタンチノープルがギリシアの植民都市ビュザンティオンと呼ばれたことから、ビザンツ帝国あるいはビザンチン帝国と呼ばれる。この帝国は、バルカン半島と小アジアを中心に、西はイタリアから東はシリアまでの版図を有し、東洋と西洋の文明の十字路に位置した。」

「後にアラビア人がこの地周辺に入りましたよ。」
「はい。」

「遺跡を「ジェミラ」と呼び、ジェミラに定住することなく、美しいまま残されましたよ。」
「はい。」

「世界遺産「ジェミラ」の見所についてですが、古代ローマ遺跡「ジェミラ」の素晴らしいところは、その保存状態の良好さにありますよ。」
「そうなんだ。」

「山の地形にそって都市計画がなされていることも注目されますね。」
「はい。」

「象徴的には、街の中心にある広場と、その入口に立つ「門」ですね。」
「はい。」

「威風堂々と立つ姿は、この街のシンボル的存在ですね。」
「そうなんだ。」

「その他にも、神殿や大型の円形劇場、バシリカ(教会堂)のような公共施設が充実し、さらに住居跡や広場に伸びる大通りなども残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「バシリカ(教会堂)と言えば、ローマ教皇の発行した教皇小書簡により、一般の教会堂より上位にあることを認められた教会堂のことである。」

「往時の人々の暮らしがいかに豊かであったかが、うかがうことができるでしょう。」
「わかりました。」

「セティフの歴史と観光についてですが、「ジェミラ」に最も近い都市が、「セティフ」ですね。」
「はい。」

「首都のアルジェと第3の都市コンスタンティーヌを結ぶ高速道路の途中にありますよ。」
「そうなんだ。」

「第3の都市コンスタンティーヌと言えば、アルジェリア北東部に位置する同国3番目の規模の都市である。アラビア語読みではクサンティーナ。地中海の沿岸からおよそ80km南に位置しており、人口は544,700人で、コンスタンティーヌ県の県都である。」

「街の起源は紀元前、アフリカの民族「ヌメディア人」が建設しましたよ。」
「はい。」

「アフリカの民族「ヌメディア人」と言えば、「ジェミラ」に最も近い都市が、「セティフ」です。首都のアルジェと第3の都市コンスタンティーヌを結ぶ高速道路の途中にあります。街の起源は紀元前、アフリカの民族「ヌメディア人」が建設しました。ローマ時代には、この地域の中心都市となり、7世紀にはイスラム圏となっています。」

「ローマ時代には、この地域の中心都市となり、7世紀にはイスラム圏となっていますね。」
「そうなんだ。」

「1945年、この地が再び世界で注目される事件が起きますよ。」
「何があったのですか?」

「「セティフの大虐殺」ですね。」
「はい。」

「セティフの大虐殺と言えば、1945年5月8日、フランス軍の支配に対してアルジェリア人がセティフ及び近隣のGuelmaとKherrataで蜂起し、104人のピエ・ノワールが死亡した。アルジェリア人の死者は推定で2,000人から40,000人に登るとされる。これはのちにセティフの虐殺と呼ばれるようになった。」

「1838年、フランス軍はセティフに侵攻し、街にはヨーロッパ系の入植者が溢れるようになりましたよ。」
「はい。」

「しかし、セティフ市民は独立を求め、ナチス・ドイツが降伏した翌日に、フランス側が衝突をして、大虐殺されたのですよ。」
「そうなんですか。」

「これがアルジェリア戦争へとつながりましたよ。」
「そうなんだ。」

「アルジェリア戦争と言えば、1954年から1962年にかけて行われたフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争である。フランス本土と当時はフランス領(公式には植民地ではなく海外県と海外領土の中間的存在とされる。)であったアルジェリアの内戦であると同時に、アルジェリア地域内でフランス本国と同等の権利を与えられていたコロンと呼ばれるヨーロッパ系入植者と、対照的に抑圧されていたベルベル人やアラブ系住民などの先住民(アンディジェーヌ)との民族紛争及び親仏派と反仏派の先住民同士の紛争、かつフランス軍部とパリ中央政府との内戦でもある。」

「アルジェリアは、1962年にフランスから独立しますよ。」
「はい。」

「セティフの街には悲しい歴史がありますね。」
「はい。」

「街は並木道や噴水、そして高地のため冬はアフリカでは珍しく雪が降り積もり、フランス時代の雰囲気が漂っていますよ。」
「そうなんだ。」

「現在は急速な開発が進んでおり、次々と新しい建物が作られていますよ。」
「はい。」

「あまり日本人が観光する所ではありませんね。」
「そうなんだ。」

「しかし、アルジェリアの歴史を感じたい方は、立ち寄ってみると良いでしょう。」
「わかりました。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「はい。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ティムガッド~

「古代ローマの遺跡「ティムガッド」は、アルジェリアの首都アルジェから南東に480km、第3の都市コンスタンティーヌからは110kmですよ。」
「はい。」

「第3の都市コンスタンティーヌと言えば、アルジェリア北東部に位置する同国3番目の規模の都市である。アラビア語読みではクサンティーナ。地中海の沿岸からおよそ80km南に位置しており、人口は544,700人で、コンスタンティーヌ県の県都である。」

「首都アルジェと言えば、アルジェリアの首都アルジェ。地中海に沿って美しい白い壁の建物が並び、フランスの植民地であったことがうかがえる素晴らしいところです。」

「植民都市「ティムガッド」と言えば、西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市である。古代ローマ時代にはタムガス (Thamugas) と呼ばれていた。ティムガッドの遺跡は、古代ローマの都市計画に碁盤目状の区画が導入された例を伝える、現存する最良の遺跡の一つである。長い間砂に埋もれていたことから保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」の異名をとる。」

「長く砂に埋もれていたため、「アフリカのポンペイ」と呼ばれるほど、現在まで美しい姿をしていますよ。」
「そうなんですか。」

「ポンペイと言えば、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市である。79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「1982年には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「はい。」

「トラヤヌス帝とティムガッドについてですが、「ティムガッド(古代名はタムガス)」は、西暦100年頃にローマのトラヤヌス帝によって建設された植民都市ですね。」
「はい。」

「ローマのトラヤヌス帝と言えば、マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(53年9月18日 - 117年8月9日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:98年 - 117年)で、ネルファ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。トラヤヌスは同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられた。古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でもこの名声は維持され、近代においてもギボンが「五賢帝」の一人として彼を賞賛している。」

「トラヤヌス帝は、ローマの五賢帝の一人として名高いですよ。」
「そうなんですか。」

「領土を拡大し、ローマ市内を始め、属州に至るまで多くの建築を残しましたよ。」
「はい。」

「トラヤヌス市場や浴場・トラヤヌス橋などがそうですね。」
「そうなんだ。」

「トラヤヌス橋と言えば、ローマ帝国時代に建設されたドナウ川下流の最初の橋である。1000年以上もの間、世界で一番の長さと支間を誇るアーチ橋として存在した。設計したのは古代ローマの建築家であるダマスカスのアポロドーロスであった。」

「トラヤヌス市場と言えば、トラヤヌスの市場は、ローマ市内の大きな廃墟でフォリ・インペリアリ通りのコロッセオとは反対側の端にある。その建物と構造は古代ローマの生活の生きたモデルであり、ローマにおける継続的な建築物修復の例であり、ローマ建築の好例でもある。」

「ティムガッドも、東西南北に幹線道路が走り、劇場や公衆浴場などの公共施設も充実した計画都市でしたよ。」
「はい。」

「しかし、この素晴らしい都市生活を楽しむために、ローマの市民権が必要とされましたよ。」
「はい。」

「そのため、市民権を持たないローマ支配下の他民族は、軍隊に入って兵役期間を満了することで、世襲の市民権を得ようとしましたよ。」
「そうなんだ。」

「その結果、軍事力の強化につながりますよ。」
「はい。」

「つまり、このようなローマに劣らないほどの素晴らしい植民都市を築くことは、ローマ帝国にとっては、軍事政策の一つでしたよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産「ティムガッド」の見所についてですが、「ティムガッド」は、8世紀の大地震によって長い間砂に隠されていましたよ。」
「そうなんですか。」

「そのため、古代ローマの都市計画に基づき区画設計された都市の姿を現代に最良の状態で見せる、貴重な遺跡ですよ。」
「そうなんだ。」

「都市は正確に測量をされており、東西南北の幹線道路の交差点を都市の中心として、碁盤の目のような街路が張り巡らされていますよ。」
「はい。」

「主要な街路は青の玄武岩、その他は白の石灰岩が敷き詰められていましたよ。」
「そうなんだ。」

「幹線道路の両側には列柱が続き、その両端には城門がありますよ。」
「はい。」

「中でも、東西に伸びる幹線道路の西端にある、高さ12mの「トラヤヌスの凱旋門」は、北アフリカの街ランバエシスに通じる道路の起点となり、ティムガッドのシンボルですよ。」
「そうなんだ。」

「北アフリカの街ランバエシスと言えば、「ティムガッド」は、古代ローマの都市計画に基づき区画設計された都市の姿を現代に最良の状態で見せる、貴重な遺跡です。中でも、東西に伸びる幹線道路の西端にある、高さ12mの「トラヤヌスの凱旋門」は、北アフリカの街ランバエシスに通じる道路の起点となっており、ティムガッドのシンボルです。」

「トラヤヌスの凱旋門と言えば、紀元81年ころ建立の《ティトゥスの凱旋門》(ローマ)は保存状態がよく,当時を代表する建築作品の一つである。またトラヤヌスの凱旋門(ベネベント)は,浮彫装飾が完全にのこっている。2世紀に入ると北アフリカのローマ都市でも多数の凱旋門が造られ,ティムガード,ドゥッガ,トリポリ,レプティス・マグナなどに現在もある。」

「市街地には、劇場、公衆浴場、図書館、神殿の他、広場や市場なども整備されていますよ。」
「はい。」

「市民達は、快適な都市生活を謳歌していたことが偲ばれますね。」
「そうですね。」

「博物館には素晴らしいモザイク画が多数展示されていますよ。」
「はい。」

「中には巨大なものまであり、おススメです。」
「わかりました。」

「コンスタンティーヌの地理と観光についてですが、「ティムガッド」に最も近い街は、アルジェリアのバトナですね。」
「はい。」

「アルジェリアのバトナと言えば、ティムガッドの遺跡は、現アルジェリアのバトナ から35kmのところにあります。」

「しかし、滞在拠点にするなら、第3の都市であるコンスタンティーヌがおススメですよ。」
「そうなんですか。」

「車で2時間程度の距離にありますよ。」
「はい。」

「コンスタンティーヌの特徴は、峡谷の街ということですね。」
「はい。」

「山の上の街は渓谷で分断されており、街はその上にかかる橋でつながっていますよ。」
「そうなんだ。」

「特に、歴史的建造物が残る旧市街を結ぶ絶壁の橋の景観は、一見の価値がありますよ。」
「はい。」

「さらに、郊外には「ヒッポレキウス遺跡」もありますよ。」
「はい。」

「ヒッポレキウス遺跡と言えば、ティムガッドの郊外には「ヒッポレキウス遺跡」もあります。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「そうなんだ。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ムサブの谷~

「アルジェリア中部、サハラ砂漠の中に、ひっそりと、しかし美しい街並みの中で伝統を守って暮らす人々がいますよ。」
「そうなんですか。」

「サハラ砂漠と言えば、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5,600km、南北1,700kmに渡り面積は約1,000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「それが、「ムサブの谷」ですね。」
「はい。」

「その美しい都市景観と、伝統の暮らしが守られていることが評価され、1982年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されましたよ。」
「はい。」

「ムザブの谷とサハラ交易についてですが、「ムザブの谷」には、新石器時代から洞窟に暮らす人々がいたと考えられていますね。」
「そうなんですか。」

「ムザブと言えば、アルジェリア中部ガルダイア県にある地方の名である。アルジェの南600kmに位置する。ムザブは標高300mから800mの岩だらけの高原である。」

「現在の街を形成しているムザブ人たちが、この地に到達したのは、9世紀以降ですよ。」
「はい。」

「ムザブ人と言えば、ムザブは、アルジェリア中部ガルダイア県にある地方の名前であり、アルジェの南600kmに位置する。ムザブは標高300mから800mの岩だらけの高原で、新石器時代以降、この地方には洞穴で暮らす人々が住んでいた。この最初の住人たちのことは余り分かっていない。歴史上、ムザブには25の町が現れ、消えていった。9世紀以降、当時余り人がいなくなっていたムザブは、ムザブ人(英語版)とも呼ばれることになるイバード派ベルベル人たちの避難所となった。」

「現在では、7つのオアシス都市がこの地にありますよ。」
「はい。」

「「ムザブの谷」は、広大なサハラ砂漠の中にあって、緑豊かな土地であり、市場には新鮮な野菜や果物で溢れていますよ。」
「そうなんだ。」

「18世紀以降は、サハラ貿易のキャラバンの重要な拠点として繁栄しましたよ。」
「はい。」

「キャラバンと言えば、ペルシャ語の「カールヴァーン」に由来する言葉で、日本語では「隊商」という訳語が充てられている。」

「サハラ貿易と言えば、サハラ交易または サハラ縦断交易は、地中海沿岸諸国と西アフリカのあいだの交易で、先史時代から存在したが、最盛期は8世紀より16世紀後期に亘る。」

「サハラを超えたキャラバンの歴史は古く、中世にはすでに多くのルートが存在しましたよ。」
「そうなんですか。」

「取引されていたのは、ナツメヤシや塩、象牙、奴隷などですね。」
「はい。」

「ナツメヤシと言えば、ヤシ科の常緑高木である。果実(デーツ、Date)は北アフリカや中東では主要な食品の1つであり、この地域を中心に広く栽培が行われている。」

「1830年、フランスはアルジェリアに侵攻し、ムザブの谷も1882年に植民地となりますよ。」
「はい。」

「しかしその結果、フランスはこの地のオアシスの灌漑システムを発展させ、現在の緑豊かな土地となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産「ムザブの谷」の見所についてですが、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっていますよ。」
「はい。」

「ブ・ヌラと言えば、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっており、さらに、北に少し離れたベリアンとゲララのオアシスを加えた連合体となっています。」

「メリカと言えば、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっており、さらに、北に少し離れたベリアンとゲララのオアシスを加えた連合体となっています。」

「エル・アトゥフと言えば、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっており、さらに、北に少し離れたベリアンとゲララのオアシスを加えた連合体となっています。」

「ベニ・イスガンと言えば、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっており、さらに、北に少し離れたベリアンとゲララのオアシスを加えた連合体となっています。」

「ガルダイアと言えば、アルジェリアのガルダイア県の県都である。人口は10万人以上とみられる。ムザブ谷の中心にあり、アルジェリアのイバード派ムスリムの拠点で、中世の建築様式をよく保っている。その谷の一部は世界遺産に登録された。」

「ムザブと言えば、アルジェリア中部ガルダイア県にある地方の名である。アルジェの南600kmに位置する。ムザブは標高300mから800mの岩だらけの高原である。」

「さらに、北に少し離れたベリアンとゲララの5つのオアシスを加えた連合体となっていますよ。」
「はい。」

「ゲララと言えば、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっており、さらに、北に少し離れたベリアンとゲララのオアシスを加えた連合体となっています。」

「ベリアンと言えば、「ムザブの谷」は、中心のガルダイアの他、ベニ・イスガン、エル・アトゥフ、メリカ、ブ・ヌラの5つのオアシス都市が谷の10kmに集まっており、さらに、北に少し離れたベリアンとゲララのオアシスを加えた連合体となっています。」

「ムザブの谷は、元々のサハラの民ではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「厳格なイスラム教徒であったムザブ族が、安息の土地を求めてこの地にたどり着き、築いた街が現在まで1000年続いていますよ。」
「そうなんだ。」

「厳格なイスラム教徒であったムザブ族と言えば、ムザブの谷は、元々のサハラの民ではなく、厳格なイスラム教徒であったムザブ族が安息の土地を求めてこの地にたどり着き、築いた街が現在まで1000年続いています。」

「禁欲的なイスラム教徒である人々は、平等の精神が徹底されていますよ。」
「はい。」

「パステルカラーで彩られたキューブ状の家々で家屋の統一がされていますよ。」
「はい。」

「さらに、モスクを中心として同心円状に配置されていますよ。」
「そうなんだ。」

「この都市設計は、ル・コルビジェをはじめとする20世紀の建築家達にも、大きな影響を与えましたよ。」
「そうなんですか。」

「建築家ル・コルビジェと言えば、ル・コルビュジエ(1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家である。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともある)。」

「谷から街を見下ろせる場所で景色を楽しみ、その美しく整然とされた街並みを楽しむことができますよ。」
「わかりました。」

「ガルダイアの地理と観光についてですが、ムザブの谷の中心、ガルダイア県の県都・ガルダイアをご紹介します。」
「お願いします。」

「ガルダイア県と言えば、アルジェリア東部の県(ウィラーヤ)である。県都はガルダイアである。世界遺産のムザブがある。」

「アルジェから南に600km、国内線の空港もありますよ。」
「はい。」

「ガルダイアは、丘の上のモスクを中心とし、淡いブルーやベージュピンクのキューブの家々が連なりますよ。」
「はい。」

「旧市街は、10世紀頃の中世の建築様式がよく残されていますよ。」
「そうなんだ。」

「旅には、サハラ砂漠の気候から、夏の酷暑はおススメできませんね。」
「はい。」

「10月から4月が、一般的な観光シーズンですね。」
「はい。」

「アルジェリア中部は、質の高い「ナツメヤシ」がとれることで有名ですね。」
「そうなんだ。」

「お土産には最適ですね。」
「はい。」

「11月頃なら、ナツメヤシが畑に実る光景を見ることができるでしょう。」
「わかりました。」

「ガルダイヤ地方のカーペットやアクセサリーも人気のお土産ですよ。」
「はい。」

「ガルダイアをはじめとして、「ムザブの谷」は厳粛なイスラム教徒の街であり、人々は保守的ですよ。」
「はい。」

「肌の露出する服装は避け、街の人々の撮影をしないのがマナーですよ。」
「わかりました。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「はい。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」





アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~アルジェのカスバ~

「アルジェリアの首都アルジェは、二つの表情を見せますよ。」
「どういうことですか?」

「首都アルジェと言えば、アルジェリアの首都アルジェ。地中海に沿って美しい白い壁の建物が並び、フランスの植民地であったことがうかがえる素晴らしいところです。」

「地中海に面し、「北アフリカのパリ」と称される街並みですね。」
「はい。」

「もう一つは、一度踏み込むと、迷路のようなアラビアの神秘的な街ですね。」
「そうなんだ。」

「その中世アラブの街並みは、「アルジェのカスバ」として、1992年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「はい。」

「旧市街「アルジェのカスバ」と言えば、アルジェリアの首都アルジェの旧市街を構成する一画の呼称である。ユネスコの世界遺産にも登録されている。なお、アルジェリアにはカスバと呼ばれる市街は他にもあるが、単に「カスバ」といった場合には一般にこのアルジェのカスバを指す。」

「海賊とオスマン・トルコ帝国についてですが、アルジェは、現在のアルジェリアの首都で、地中海沿岸の美しく、また観光客にとってはミステリアスで魅力溢れる都市として、人気がありますね。」
「はい。」

「その歴史は古く、紀元前1200年まで遡りますよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、現在の旧市街の街が作られたのは、16世紀に入ってからですよ。」
「はい。」

「当時スペインが支配していたアルジェに、“バルバロス(赤ひげ)”の異名でヨーロッパ人に恐れられていた大海賊が侵攻しましたよ。」
「そうなんですか。」

「バルバロス(赤ひげ)の異名でヨーロッパ人に恐れられていた大海賊と言えば、16世紀になってからアルジェの旧市街の街が作られました。当時スペインが支配していたアルジェに“バルバロス(赤ひげ)”の異名でヨーロッパ人に恐れられていた大海賊が侵攻しました。バルバロスはその後オスマン・トルコ帝国に帰属し、提督としてスペイン人との戦いに勝利し、その後のアルジェは、オスマン・トルコの艦隊拠点として、一方ヨーロッパ人にとっては海賊海岸として恐れられるようになりました。」

「バルバロスは、その後オスマン・トルコ帝国に帰属し、提督としてスペイン人との戦いに勝利しましたよ。」
「はい。」

「オスマン・トルコ帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。かつては「オスマントルコ」、「トルコ帝国」、「オスマントルコ帝国」、「オスマン朝トルコ帝国」とされることが多かったが、現在はオスマン帝国あるいは単にオスマン朝と表記するようになっている。」

「その後のアルジェは、オスマン・トルコの艦隊拠点として、一方ヨーロッパ人にとっては海賊海岸として恐れられるようになりましたよ。」
「そうなんだ。」

「その後アルジェは繁栄を極め、ヨーロッパ人に対する海賊行為を続けていきますよ。」
「はい。」

「海賊たちは、城塞を作り、壮麗な建物の街を築いていきましたよ。」
「はい。」

「「カスバ」とは、元々オスマン・トルコ帝国の城塞という意味ですよ。」
「そうなんですか。」

「後に、当時の古い街並み全体をさす言葉として使われるようになりましたね。」
「はい。」

「世界遺産「アルジェのカスバ」の見所についてですが、「アルジェのカスバ」の特徴は、起伏に富んだ地形を城塞と海岸線で囲んでいることにありますね。」
「はい。」

「その街並みは、常に急勾配の坂道と、曲がりくねった細い路地となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「家々は何世紀もの間に、互いを支え合うように建築され、ミステリアスな奇観を生み出していますよ。」
「はい。」

「しかし、かつては美しかった街も、現在は老朽化が進み、わびしさを醸し出していますよ。」
「そうなんだ。」

「階段状にある路地に立つ家は、折り重なるようになっていますよ。」
「はい。」

「一つが倒壊すれば、ドミノ倒しのように崩れる恐れもありますよ。」
「危ないですね。」

「「アルジェのカスバ」は、他の観光地のような“美観の整った”旧市街を期待すべきではありませんよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、中世アラブの雰囲気を直接肌で感じることのできる、貴重な遺産ですよ。」
「わかりました。」

「アルジェの旧市街観光についてですが、アルジェリアの首都アルジェの旧市街の観光は、街を散策することが一番の目的となるでしょう。」
「はい。」

「まずは、展望台へ進み、港を一望しましょう。」
「はい。」

「下方に広がる白いカスバと向こうに見える地中海の青が、中世のままの景観ですよ。」
「そうなんだ。」

「展望台の近くには、10世紀頃の創建と考えられている古いモスクがありますよ。」
「はい。」

「さらに階段を降りて、石畳の路地を散策すれば、市場や工房なども点在し、中世当時の面影を残していますよ。」
「そうなんだ。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「はい。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」

「「北アフリカのパリ」と称されるアルジェですね。」
「はい。」

「1992年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された「アルジェのカスバ」とアルジェリアの首都アルジェの魅力をご紹介します。」
「お願いします。」

「フランス植民地時代から現在のアルジェへの流れについてですが、16世紀、ヨーロッパを恐れさせた大海賊が城塞(カスバ)を築きましたよ。」
「そうなんですか。」

「次々と建物を建設して栄えたアルジェは、1830年にフランス軍に侵攻されましたよ。」
「はい。」

「その後、20世紀までフランスの植民地政策によって、城塞の大半は破壊されましたよ。」
「はい。」

「カスバの中の古い街並みは、中世のアラブの雰囲気を残しましたよ。」
「そうなんだ。」

「現在では、この旧市街となった街のものをカスバと呼んでいますね。」
「そうなんだ。」

「フランス支配は、1962年まで続きますよ。」
「はい。」

「その間、植民地としてフランスは都市建設を行い、海岸部はフランス風に改造しましたよ。」
「はい。」

「この新市街には、「アフリカの貴婦人」と呼ばれるノートルダム大聖堂をシンボルとしていますよ。」
「そうなんですか。」

「「アフリカの貴婦人」と呼ばれるノートルダム大聖堂と言えば、新市街には、「アフリカの貴婦人」と呼ばれるノートルダム大聖堂をシンボルとして、現在はオペラハウスや博物館、駅舎など、近代的なパリ風の街並みとなっています。」

「現在は、オペラハウスや博物館、駅舎など、近代的なパリ風の街並みとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「物語の中の「アルジェのカスバ」についてですが、カスバやアルジェを舞台にした物語をご紹介します。」
「お願いします。」

「一番に名があがるのは、アルベール・カミュの『異邦人』でしょう。」
「はい。」

「アルベール・カミュの『異邦人』と言えば、アルベール・カミュの小説である。1942年刊。人間社会に存在する不条理について書かれている。カミュの代表作の一つとして数えられる。カミュが46歳の若さでノーベル文学賞を受賞したのは、この作品によるところが大きいと言われる。」

「アルベール・カミュと言えば、フランスの小説家、劇作家である。フランス領アルジェリア出身。アルジェ大学卒業後ジャーナリストとして活動、第二次大戦中に刊行された小説『異邦人』、エッセイ『シーシェポスの神話』などで注目される。また『カリギュラ』『誤解』などを上演し、劇作家としても活動した。戦後に発表した小説『ペスト』はベストセラーとなったが、エッセイ『反抗的人間(フランス語版、英語版)』はその思想をめぐって毀誉褒貶を受けた。1957年、史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞している。」

「アルジェリアが、まだフランス植民地であった1942年に、アルジェを舞台に描かれた小説ですね。」
「そうなんですか。」

「物語の終盤の有名な主人公の台詞「太陽が眩しかったから」は、カスバの光のさしにくい路地と、アフリカ大陸の強い太陽の陽射しの対比を呼び起こしますね。」
「はい。」

「カスバそのものを舞台にした有名な名画もありますよ。」
「はい。」

「1937年のフランス映画『望郷』ですね。」
「そうなんだ。」

「1937年のフランス映画『望郷』と言えば、1937年に製作・公開されたフランスの映画である。撮影は1936年。アシェルベ(アンリ・ラ・バルト)の小説を基にジュリアン・デュヴィヴィエが監督、ジャン・ギャバンが主演した。詩的リアリズム路線の代表作の一つとされる。当時のフランス領アルジェリアの中心都市・アルジェが主な舞台となっている。」

「無法地帯となっていたカスバの顔役となるフランス人の犯罪者ペペ(名優ジャン・ギャバン)が、迷路のような路地を歩く映像に惹かれて、アルジェのカスバに憧れを持つ観光客が今も後を絶ちませんね。」
「はい。」

「フランス人の犯罪者ペペ(名優ジャン・ギャバン)と言えば、フランス映画「望郷」は、名優ジャン・ギャバンが粋な犯罪者ペペ・ル・モコcite_note-2を演じたラブ・ストーリーである。」

「アルジェリア独立後の1966年の映画『アルジェの戦い』も有名でしょう。」
「そうなんだ。」

「アルジェリア独立後の1966年の映画『アルジェの戦い』と言えば、1966年9月8日にイタリアで公開された戦争映画である。監督はジッロ・ポンテコルヴォ。アルジェリアのフランスからの独立までのアルジェリア戦争を描いている。1966年のヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞した。」

「アルジェリアの独立戦争は、アルジェのカスバが民族運動の拠点となっていますよ。」
「わかりました。」

「アルジェの新市街観光についてですが、「北アフリカのパリ」と呼ばれるアルジェの新市街をご紹介します。」
「お願いします。」

「地中海沿岸にあって、広い大通りと近代的な建物が並ぶ美しい街並みですよ。」
「はい。」

「まずは、アルジェ市街の北、地中海に面した岬の高台にそびえる「ノートルダム・ド・アフリーク教会」を訪ねましょう。」
「はい。」

「ノートルダム・ド・アフリーク教会と言えば、アルジェリアの首都アルジェにあるカトリックの教会である。旧市街の西部の高台に位置し、地中海を一望できる。フランス植民地時代の18世紀後半にネオビザンチン様式で建造。高さ124メートル。」

「マルセイユのノートルダム・ド・ラ・ガルドと対になるように1858年に建てられた、フランス植民地時代のカトリック教会ですね。」
「そうなんだ。」

「マルセイユと言えば、フランス最大の港湾都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地である。2005年の人口は約82万人でパリに次ぎフランス第二位、都市圏人口ではパリとリヨンに次ぎ第三位の規模を誇る。」

「マルセイユのノートルダム・ド・ラ・ガルドと言えば、マルセイユのシンボル、バジリク・ノートル=ダム・ド・ラ・ガルド は、ニーム出身のマルセイユの建築家エスペランデュ (1829 - 1874) が設計した小バシリカで、1853年9月11日に定礎され、1864年6月5日に献堂された。」

「この教会の「黒いマリア」は、地中海の守護神ですよ。」
「そうなんですか。」

「黒いマリアと言えば、黒い聖母は、一般に黒い聖母マリア及び聖母子の画・像である。聖画・像がただ単に黒ずんだものもあるが、キリスト教信仰以前にオリエント一帯に広まっていた大地母神信仰が吸収されたものともいわれる。」

「ローマ・ビザンチン様式の聖堂の内部にあるフレスコ画は、白い壁に鮮やかに彩られ、アフリカ的な美意識を感じさせますね。」
「はい。」

「フレスコ画と言えば、西洋絵画の技法の一つである。「フレスコ」はイタリア語で「新鮮」を意味する。壁などの下地にしっくいを塗り、乾ききらないうちに水に溶かした顔料で描く。壁が乾くとともに顔料がしっかり定着する。ルネサンス期に盛んに描かれ、ミケランジェロやラファエロの作品が有名である。」

「広場からはアルジェの眺望が抜群で、市民の憩いの場となっていますよ。」
「はい。」

「近くには「クレオパトラの娘の墓」と呼ばれるモーニタリア王族の墳墓もありますよ。」
「そうなんですか。」

「クレオパトラの娘の墓と言えば、アルジェリアの首都アルジェの地中海を見下ろす丘上にあるモーリタニア王族の墳墓、通称「クレオパトラの娘の墓」(ティパサ郊外) があります。」

「中に入ることもできますよ。」
「はい。」

「アルジェ市街では、アルジェリアの独立のシンボル「独立記念塔」、殉教者広場にある「魚のモスク」、さらに「国立考古学博物館」は必見ですね。」
「そうなんだ。」

「国立考古学博物館と言えば、富豪のフランス人邸宅を改造して1897年に開館した、小さなミュージアムです。近郊のティパサ、シェルシェルの発掘品を展示しています。建物はイスラムの影響を受けたムーア様式です。中庭を囲むように部屋が並んでいます。」

「殉教者広場にある「魚のモスク」と言えば、殉教者広場には「魚のモスク」と親しまれるジェディ・ド・モスクも建っています。」

「アルジェリアの独立のシンボル「独立記念塔」と言えば、アルジェ市街では、アルジェリアの独立のシンボル「独立記念塔」、殉教者広場にある「魚のモスク」、「国立考古学博物館」があります。」

「アルジェには魚料理も有名で、レストランが集まる一角がありますよ。」
「はい。」

「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「はい。」

「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」

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