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ブラジルの世界遺産と南米の旅~オウロ・プレット歴史地区・オリンダ歴史地区・サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区・ブラジリア・セラ・ダ・カピバラ国立公園・サン・ルイス歴史地区・ディアマンティーナ歴史地区・グアラニーのイエズス会伝道所群~





ブラジル 世界遺産 南米 旅

ブラジルの世界遺産と南米の旅

「ブラジルは、18箇所の世界遺産がある国ですね。」
「はい。」

「しかし、そのほとんどは日本では知られていませんね。」
「そうですね。」

「名前を挙げようにも、一箇所も知らない人が多い状況ですね。」
「そうなんですか。」

「ブラジルのことを現在進行形で勉強している学生さんなら、パッと答えられるかも知れませんね。」
「はい。」

「そうでない人は、よっぽど物知りな人でもない限り、この国の世界遺産には詳しくありませんね。」
「はい。」

「この国には、野性味にあふれ、思わず血が騒ぐような世界遺産がたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、ほとんどの人はブラジルの世界遺産の魅力に気づきませんよ。」
「そうなんだ。」

「それは、ブラジルの世界遺産を見て人生観が変わった人からすると、非常にもったいなく感じられますよ。」
「はい。」

「なぜなら、世界にある金の半分を産出しているのは、この国ですよ。」
「そうなんですか。」

「ダイヤモンドを産出した世界遺産があるのも、この国ですよ。」
「そうなんだ。」

「そのような国は、世界中を見てもこの国のみですよ。」
「はい。」

「金と言えば、今も昔も変わらぬ絶対的な価値を持った財宝ですね。」
「そうですね。」

「ダイヤモンドも、いつの時代も変わらず高価なものとして扱われている鉱物ですね。」
「はい。」

「この国には、そのような「価値が高いまま変わらないもの」を多く産出している国ですよ。」
「はい。」

「同時に、周辺諸国が羨んでやまない世界遺産をいくつも保有している国ですよ。」
「そうなんですか。」

「たとえば、この国には「オウロ・プレット」という町がありますよ。」
「はい。」

「オウロ・プレットと言えば、オウロ・プレットは、ブラジルのミナス・ジェライス州の歴史的都市である。かつては州都であった。名前は「黒い黄金」を意味する。オウロ・プレットとするカタカナ表記は日本人移民のみの間で使用される移民方言ともいうべき発音法であり、ブラジル発行の日本語新聞であるサンパウロ新聞などに使用されている。実際の発音は、オウロ・プレトに近い。1980年、街並みがユネスコの世界遺産に登録された。」

「この町は、この国で初めて世界遺産に認定されたスポットで、主要な観光地として栄えている町ですよ。」
「はい。」

「さらに、一番人気の高い世界遺産である「イグアスの滝」や、植民地時代の面影が色濃く残る「オリンダの歴史地区」など、興味深い世界遺産が山ほどあるスポットですよ。」
「そうなんですか。」

「オリンダと言えば、オリンダは、ブラジル・ペルナンブーコ州にある都市で、大西洋に面している。州都レシフェの北に位置している。人口は、2005年現在で、約37.7万人。オリンダは、ブラジル国内の中で、最も保存状態のよいコロニアル風の建築物が残されている。町の名前の由来は、ポルトガル語で"O, linda!"(日本語では、"なんと、美しい!"を意味する)である。1982年にユネスコの世界遺産に「オリンダ歴史地区」として登録された。」

「イグアスの滝と言えば、イグアスの滝とは、南米大陸のアルゼンチン (80%)とブラジル (20%)の二国にまたがる、世界最大の滝である。イグアス (Iguazu) とは先住民のグアラニ族の言葉で大いなる水(Y Guazu)という意味。イグアス川の下流にある。この滝を含むブラジルのイグアス国立公園とアルゼンチンのイグアス国立公園は、ともにユネスコの世界遺産に登録されている。最大落差80メートル以上。「悪魔の喉笛」(Garganta del Diablo) が有名な観光名所である。」

「日本では認知されてない世界遺産が多いですよ。」
「そうなんだ。」

「「こんな世界遺産あったっけ?」と思われる方がほとんどかと思われますよ。」
「はい。」

「それぞれの世界遺産が、歴史を学ぶ上では無視できない貴重な文化をたずさえていますよ。」
「はい。」

「もし、「何でもいいから世界遺産が見てみたい」と思っているのであれば、この国の世界遺産を、是非チェックしてほしいと思います。」
「わかりました。」

「日本からかなり遠いので、「中国だったらまだしも、この国はちょっと…」という方も多いと思われますよ。」
「はい。」

「中国へ行くのも、アメリカ大陸へ行くのも大して差はありませんね。」
「はい。」

「むしろ、中国ならいつでも行けるのですから、思い切って行ったこともないような遠くの国へ渡ってみるのがおススメです。」
「そうですね。」

「やはり文化というのは、遠ければ遠いほど「異文化」となりますね。」
「はい。」

「全く違う文化に触れると、日本の悪い部分や良い部分がより浮き彫りになるので、自国への認識もより高まりますよ。」
「はい。」

「行く目的は人それぞれですが、世界遺産は世界を知る為に必要なポイントですよ。」
「そうですね。」

「歴史を学びたいのであれば、この国のものに限らず世界中の世界遺産を尋ねてみると、より一層理解が深まる筈ですよ。」
「はい。」

「世界遺産の周辺には、観光地が栄えていますよ。」
「そうなんだ。」

「文化を学びながら、美味しいご飯が食べられたりもしますよ。」
「はい。」

「国によっては美味しいご飯が中々なかったり、食べてみたはいいけどお腹を壊してしまったりと、色々な難点があるかと思われますよ。」
「はい。」

「そのようなトラブルとの遭遇も、ある意味、経験ですよ。」
「はい。」

「ぶつかりながら、観光してみましょう。」
「わかりました。」

「日本のちょうど裏側にあたる「サルバドール」などに行って食事をすると、実に不思議な気分になりますよ。」
「そうなんですか。」

「変わった場所で思い出に残る食事がしたいのであれば、サルバドールがおススメですよ。」
「わかりました。」

「もちろん、観光地として栄えている都市部へ行けば、高級レストランなどもありますよ。」
「はい。」

「衛生面が恐ろしい方は、そういうちゃんとした場所を尋ねてみましょう。」
「わかりました。」

「世界遺産を見ながら、食事できる場所もありますよ。」
「はい。」

「凝った場所で食事をしたいのであれば、そのようなスポットをチェックしてください。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~オウロ・プレット歴史地区~

「ブラジルの世界遺産の中でも、「オウロ・プレット」は、特別な輝きを放つ世界遺産として知られていますよ。」
「そうなんですか。」

「オウロ・プレットと言えば、オウロ・プレットは、ブラジルのミナス・ジェライス州の歴史的都市である。かつては州都であった。名前は「黒い黄金」を意味する。オウロ・プレットとするカタカナ表記は日本人移民のみの間で使用される移民方言ともいうべき発音法であり、ブラジル発行の日本語新聞であるサンパウロ新聞などに使用されている。実際の発音は、オウロ・プレトに近い。1980年、街並みがユネスコの世界遺産に登録された。」

「オウロ・プレットは、この国のミナス・ジェライス州という州にありますよ。」
「はい。」

「ミナス・ジェライス州と言えば、ミナスジェライス州 (Estado de Minas Gerais) は、ブラジルの南東部に位置する州、州庁所在地はベロオリゾンテである。略称は「MG」である。1693年に金が発見されたことから、以降ダイアモンドなどの鉱山の開発が進み、「宝石の鉱山」と呼ばれるようになってこれが州名となる。現在も、インペリアルトパーズ、紅水晶などの宝石の産出地として知られている。」

「歴史的な都市として、幅広く知られている街に保存されていますよ。」
「はい。」

「かつては、州都として知られていたこの街にある世界遺産・オウロ・プレットは、1980年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「「黒い(オウロ)黄金(プレット)」という意味のこの世界遺産は、国内でも非常に人気の高い世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「世界各国の人々が訪れるだけではなく、国内の人々の観光名所としてもお馴染みとなっていますよ。」
「はい。」

「位置的にブラジルの中央エリアに位置しているこの世界遺産は、1700年代から始まったゴールデンラッシュにより、街造りが盛んになりましたよ。」
「はい。」

「今では、街全体が文化遺産として保存されている地域ですよ。」
「そうなんだ。」

「「町」として認められたのは、1823年のことですよ。」
「はい。」

「今のようになるまでは、長い道のりがあった町ですよ。」
「はい。」

「町の雰囲気は常に活気が息づいており、陽気な人がそこかしこに往来していますよ。」
「そうなんだ。」

「しかもこの町は、この国で初めてユネスコの世界遺産に登録されたという、記念すべき世界遺産ですよ。」
「はい。」

「オウロ・プレットは、国内の人々にとって非常に重要な意味を持つ世界遺産となっていますよ。」
「はい。」

「「この世界遺産の町がゴールデンラッシュによって栄えたのは分かったけど、そもそもゴールデンラッシュって何なの?」と、疑問を抱いた方もいるかも知れませんね。」
「はい。」

「ゴールデンラッシュとは、金脈(黄金の出る場所)が発見され、その場所に採掘者が殺到(ラッシュ)する現象のことを指す言葉ですね。」
「そうですね。」

「つまり、この世界遺産の町は、金鉱採掘の為に発展した都市ですよ。」
「はい。」

「観光業を主に行っている町ですよ。」
「はい。」

「小難しい世界遺産と比べても、楽しく観光できるスポットになっていますよ。」
「そうなんですか。」

「特に、何も考えずに歩くだけで楽しめる町になっていますよ。」
「はい。」

「「分かりやすい魅力のある世界遺産が良い!」という人には、かなりおススメの世界遺産ですよ。」
「わかりました。」

「移動手段についてですが、バスなどを利用すればリオデジャネイロから七時間~八時間で移動できますよ。」
「はい。」

「リオデジャネイロと言えば、リオ・デ・ジャネイロ(葡: O Rio de Janeiro)は、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都である。世界有数のメガシティであり、ブラジル最大の港湾都市である。人口は600万人を超えており、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市である。2010年の都市圏人口は1,167万人であり、世界第22位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位である。」

「ツアーなどに参加しながら、訪問するのが一番かも知れませんね。」
「わかりました。」

「この町は大学生が多い地域であり、若くて元気のある人が多く住んでいる町ですよ。」
「はい。」

「若い人などが行くと、現地で友達ができるかも知れませんね。」
「はい。」

「現地交流を求める若い日本の学生さんにも、おススメできるスポットですよ。」
「そうなんですか。」

「地域によっては治安が悪くなるので、注意は必要ですよ。」
「はい。」

「基本的には、親切な方ばかりですよ。」
「そうなんだ。」

「観光に訪れた際は、是非現地の方々との会話を楽しんでみましょう。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~オリンダ歴史地区~

「南米ブラジルのペルナンブーコ州北東部の大都市レシフェの対岸に、古き良き時代を感じさせるオリンダ歴史地区がありますよ。」
「はい。」

「ペルナンブーコ州と言えば、ペルナンブーコ州は、ブラジル北東部の州である。北にパライーバ州、セアラー州と、西にピアウイ州と、南にアラゴアス州、バイーア州との州境を接し、東は大西洋に面している。大西洋の沖合いには世界遺産であるフェルナンド・デ・ノローニャ島を持つ。州都はレシーフェ、州の略称はPEである。州域は、ポルトガル植民地時代のカピタン領に起源を持つブラジル最古級の地域である。州都レシフェ都市圏は人口約350万人を擁し、ブラジルでは5番目、世界でも有数の人口密集地帯となっている。」

「ペルナンブーコ州北東部の大都市レシフェと言えば、レシフェは、ブラジル北東部、ペルナンブコ州の州都で、大西洋岸の港市である。サルバドルとともに北東部の重要都市である。人口129万6995(1991)。二つの河川の合流河口にある。大陸部と半島および、その間の島からなり、運河や橋が多く、〈ブラジルのベネチア〉とも呼ばれる。16世紀にはオリンダの郊外にある港にすぎなかったが、18世紀に町(ビラ)になり、独立後の1823年に市に昇格した。植民地時代は糖業の中心地として栄え、当時の教会が数多く残り、カーニバル期間の行事が有名である。」

「オリンダと言えば、オリンダは、ブラジル・ペルナンブーコ州にある都市で、大西洋に面している。州都レシフェの北に位置している。人口は、2005年現在で、約37.7万人。オリンダは、ブラジル国内の中で、最も保存状態のよいコロニアル風の建築物が残されている。町の名前の由来は、ポルトガル語で"O, linda!"(日本語では、"なんと、美しい!"を意味する)である。1982年にユネスコの世界遺産に「オリンダ歴史地区」として登録された。」

「16世紀の初めに、ポルトガル人がブラジルでの初めての植民地をこの地に建設しましたよ。」
「はい。」

「一説には、オリンダに初めて到達したのは、フランス人であると言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「最初に植民地建設に着工したのは、皮肉なことにフランスの最大のライバルであったと言われるポルトガル人でしたよ。」
「はい。」

「オーリンダとは、ポルトガル語の"O,linda!"で、日本語では「なんと、美しい」という意味だそうですよ。」
「そうなんだ。」

「植民地建設を始めたポルトガル人が、オリンダの丘からの眺めを見て、"O, linda!と叫んだことが由来だと言われていますよ。」
「はい。」

「オリンダは、植民地時代に最盛期を迎えましたよ。」
「はい。」

「産業の中心となったのは、黒人奴隷を使って栄えたさとうきび産業でしたよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、栄光の日々は長くは続きませんでしたよ。」
「はい。」

「17世紀になると、対岸のレシフェを建設したオランダがオリンダ地区を奪い、ポルトガルの植民地時代の16世紀の建物群は、ほとんど破壊されてしまいましたよ。」
「はい。」

「その後、30年近くオランダの支配が続きましたよ。」
「そうなんだ。」

「1654年頃、ポルトガルがオリンダを再び奪還、町の再建に取り組みましたよ。」
「はい。」

「ポルトガルとオランダ二つの大国によって、長い間支配されていた歴史を持つ町ですよ。」
「はい。」

「オリンダには、二つの国の独特な建築物が数多く残りますよ。」
「そうなんですか。」

「中でも、教会や修道院は、その時代独特の雰囲気をもつ建物として重要ですよ。」
「はい。」

「ポルトガルとオランダどちらの国の教会かは、その外観を見ればすぐにわかりますよ。」
「はい。」

「塔が2本ある教会は、当時資産が豊富だったオランダによって建てられたものと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「塔が1本しかない教会は、ポルトガルが節約して建てたものと言われていますよ。」
「はい。」

「オリンダの最大の見所の一つが、サンフランシスコ修道院ですよ。」
「そうなんですか。」

「オリンダのサンフランシスコ修道院と言えば、サンフランシスコ修道院は、オリンダで1位の寺院・教会です。オリンダ旧市街の中心となる丘の上に立つセー教会の裏手東側にあるサン・フランシスコ修道院は、ブラジル・バロック様式の建築物である。オリンダの教会は比較的質素なものが多い。ヤシの木と青い海とのコントラストが非常に綺麗で独特の雰囲気がある。」

「ここは、ブラジルで最初に建てられた修道院の一つですよ。」
「はい。」

「ポルトガルがオランダからオリンダを奪取した際に、再建に最も力を入れた建物ですよ。」
「はい。」

「中庭の廊下の壁は、アズレージョという美しい青と白のポルトガルの装飾タイルでできていますよ。」
「はい。」

「アズレージョという美しい青と白のポルトガルの装飾タイルと言えば、オリンダの最大の見どころの一つが、サンフランシスコ修道院です。ここは、ブラジルで最初に建てられた修道院の一つで、ポルトガルがオランダからオリンダを奪取した際に再建に最も力を入れた建物です。中庭の廊下の壁は、アズレージョという美しい青と白のポルトガルの装飾タイルでできています。」

「カルモ旧修道院付属聖堂は、ポルトガルの最初の支配の時の建物ですよ。」
「そうなんだ。」

「カルモ旧修道院付属聖堂と言えば、カルモ旧修道院付属聖堂はポルトガルの最初の支配の時の建物で、オランダの支配下において破壊されなかった貴重な建物の一つとされています。カルメル会のカルモ旧修道院付属聖堂には、後期ルネサンス様式の特徴が見られます。」

「オランダの支配下において破壊されなかった貴重な建物の一つとされていますよ。」
「はい。」

「他にも多くの教会が残されていますよ。」
「はい。」

「ポルトガル、オランダ両様式のミゼルコルジア教会やブラジル・バロック様式のサン・ベント修道院などが有名ですね。」
「そうなんだ。」

「ブラジル・バロック様式のサン・ベント修道院と言えば、オリンダのサン・ベント修道院の礼拝堂は、後期バロック建築による再建がなされた。」

「ポルトガル、オランダ両様式のミゼルコルジア教会と言えば、ポルトガルとオランダ二つの大国によって長い間支配されていた歴史を持つ町なので、オリンダには二つの国の独特な建築物が数多く残ります。ポルトガル、オランダ両様式のミゼルコルジア教会やブラジル・バロック様式のサン・ベント修道院などが有名です。」

「ここオリンダは、リオデジャネイロ、サルバドールと並んで、ブラジル3大カーニバルと呼ばれるお祭りを開催することでも広く知られていますね。」
「そうなんですか。」

「ブラジル3大カーニバルと言えば、ペルナンブッコ州ヘシーフィ(レシフェ)は、リオデジャネイロ、サルヴァドールと並んでブラジル3大カーニバルの開催地として大変よく知られた都市で、そのパレードの盛り上がりは過去にギネスブックでも取り上げられたほどです。」

「リオデジャネイロと言えば、リオ・デ・ジャネイロ(葡: O Rio de Janeiro)は、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都である。世界有数のメガシティであり、ブラジル最大の港湾都市である。人口は600万人を超えており、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市である。2010年の都市圏人口は1,167万人であり、世界第22位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位である。」

「町中が色とりどりに飾られ、独特で華やかな衣装を着た人々が、踊りながらパレードしますよ。」
「はい。」

「現代を象徴するような自由で華やかな行列と、歴史ある世界遺産オリンダ歴史地区の雰囲気のユニークな共演を味わうのも、いいのではないでしょうか。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区~

「有名な物語ロビンソンクルーソーの中で、ロビンソンが海賊に拉致されポルトガル船に救助されて、最初に漂着したのがブラジル北東部、大西洋岸にある港湾都市バイーア州のサルヴァドールですよ。」
「そうなんですか。」

「バイーア州と言えば、バイーア州はブラジル北東部の州である。人口13,070,250、州都はサルヴァドール。略称は「BA」。ポルトガル人探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルがバイーア州の南のポルト・セグーロに着いたのは1500年。ポルトガル領となったのは1549年である。」

「有名な物語ロビンソンクルーソーと言えば、ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe)は、イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説である。主に第1作を指して『ロビンソン漂流記』などともいう。まず1719年に『ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険』として刊行された(第1部)。この小説が好評だったので、さっそく続編(第2部)が刊行された。ロビンソンは再び航海に出て、以前暮らした無人島やインド・中国などを訪れる。さらに1720年にロビンソンの反省録と称する書(第3部)が刊行された。」

「サルヴァドールと言えば、サルヴァドールは、ブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市である。同国バイーア州の州都である。なお一般的には、サルヴァドールよりもバイーアと呼ばれる方が多い。 大西洋に面し、「諸聖人の湾」を取り囲む半島に位置している。主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のReconcavo Baiano大都市圏の中心でもある。2002年の人口は約254万人、ベロオリゾンテを抜いて現在ブラジルで三番目に大きな都市となっている。」

「サルヴァドールは、バイーアの名前で広く知られているブラジルを代表する大都市のひとつですよ。」
「はい。」

「16世紀半ば、ポルトガルの入植者がこの地に到達し、サルヴァドール建設を始めましたよ。」
「はい。」

「その後、すぐに砂糖と奴隷産業を中心とした主要貿易港として発展し、ブラジル初の首都となりましたよ。」
「そうなんですか。」

「ポルトガル領下のサルヴァドールの繁栄は、その後およそ200年間続きましたよ。」
「はい。」

「1552年にブラジルで初めてのカトリック司教座がおかれ、今日に至るまでブラジルにおけるカトリック教会の中心地となり続けていますよ。」
「はい。」

「カトリック司教座と言えば、司教座は、厳密な意味では司教の座る椅子を指す。この椅子は通常教会堂の東端に位置する後陣の中央、主祭壇のうしろに置かれるが、中世では主祭壇の前の内陣に設けられることも少なくなかった。この場所は司教高座と呼ばれる。これは司教によって祝祭の祭式中および説教に際して使用される。この意味から転じて、司教の権威およびその権威ある教えをも指す。特にこの椅子から行われる説教や宣言は〈エクス・カテドラex chathedra〉(司教座宣言、教皇の場合は聖座宣言)といわれ,公式で正統な教えとされ、それがローマ教皇によってなされた場合には、忌避しえない、不可謬なものと見なされた。」

「17世紀にはオランダの侵攻を受け、オランダ領となった時期もありましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、すぐにポルトガルによって奪還されますよ。」
「はい。」

「18世紀には、リオデジャネイロへと首都は移されましたよ。」
「そうなんだ。」

「リオデジャネイロと言えば、リオ・デ・ジャネイロ(葡: O Rio de Janeiro)は、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都である。世界有数のメガシティであり、ブラジル最大の港湾都市である。人口は600万人を超えており、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市である。2010年の都市圏人口は1,167万人であり、世界第22位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位である。」

「ブラジル独立運動の際には、活動の拠点となりましたよ。」
「はい。」

「ブラジル独立運動と言えば、1822年9月7日にブラジルはポルトガルからの独立を宣言し、立憲君主制を取るブラジル帝国が成立した。ポルトガル王室に連なるこの国家は、軍事クーデターにより1889年11月15日に共和制に移行し、1891年に共和国憲法を発布した。以後ブラジルは現在に至るまで法律上は民主主義国家であるが、三度にわたる独裁政治政権を経験している。」

「町は、下の町と上の町に分かれていますよ。」
「そうなんですか。」

「現在では、近代的な白いエレベーターで上下の町を移動できますよ。」
「そうなんだ。」

「大聖堂と政府関係の建物が高い位置にあり、建物のランクの高さを表しているとも言われていますよ。」
「はい。」

「ブラジル初の大聖堂や最古の医学校など、植民地時代の建物が数多く残されていますよ。」
「はい。」

「植民地時代は奴隷産業が盛んだったため、アフリカから移住してきた民族もおよそ8割と多く、アフリカ文化の影響も色濃く残っていますよ。」
「そうなんだ。」

「中でも、カポエラと言われる格闘技の一種と、カンドンブレと呼ばれるアフリカの宗教とカトリックを融合させたような独自の宗教は、サルヴァドールを中心としていますよ。」
「はい。」

「カンドンブレと呼ばれるアフリカの宗教とカトリックを融合させたような独自の宗教と言えば、植民地時代は奴隷産業が盛んだったためアフリカから移住してきた民族もおよそ8割と多く、アフリカ文化の影響も色濃く残っています。カンドンブレと呼ばれるアフリカの宗教とカトリックを融合させたような独自の宗教はサルヴァドールを中心としています。」

「カポエラと言われる格闘技の一種と言えば、カポエイラ(ポルトガル語:Capoeira)は、ブラジルの腿法である。相手に蹴りや攻撃を当ててしまうものは下手とされ、基本的に相手には触れず、プレッシャーをかけてゆく。そのため、格闘技とダンスの中間に位置するものとも考えられている。日本では梶原一騎が自書の作品で『逆立ちしながら闘う格闘技』と紹介した為に、長年誤解されてきたが、常に逆立ちのような体勢をとるのではなく、足を地面に付けていることのほうが多い。」

「ブラジルのカーニバルでも有名なサンバの音楽は、ここサルヴァドールが発祥の地だそうですよ。」
「そうなんですか。」

「ブラジルのカーニバルでも有名なサンバの音楽と言えば、サンバ(Samba)は、ブラジルの代表的な音楽(ブラジル音楽)の一つである。なお、アルゼンチンにもサンバ(Zamba)と呼ばれる音楽があるが、まったくの別物である。ブラジルでは毎年12月2日をサンバの日と定められており、この日に翌年2月前後に行われるサンバカーニバル曲集が発売されるほか、多くのイベントも開催される。サンバ(Samba)は、4分の2拍子のダンス音楽で、19世紀の終わりごろ、ブラジル北東部の港町、バイーア(現在のサルバドール)で発祥したとの説が有力である。」

「サルヴァドールカーニバルは、リオのカーニバルと違い一緒に踊ることのできる参加型であることで人々に親しまれ、高い人気を誇っていますよ。」
「はい。」

「リオのカーニバルと言えば、リオデジャネイロのカーニバル、あるいは、リオのカーニバルとして言及される、ブラジル・リオデジャネイロのカーニバル(謝肉祭)は、厳粛な雰囲気の四旬節の期間に入る前に行われる祝祭であり、世界最大の見世物のひとつと見なされている。リオデジャネイロにおけるこの祝祭には、1723年にまで遡る歴史がある。」

「サルヴァドールカーニバルと言えば、サルバドールは、リオやサンパウロのカルナヴァルとは全く別物です。音楽が「サンバ」ではなくて「アシェ」という全然別のジャンルのものが中心。そこに「アフロ系」や「レゲエ系」などが加わっていて、「サンバ」とは全く違うものである。パレードは公道を使って行われる。リオとサンパウロでは、専用の特設会場で行われる。もちろん公道はパレードのために厳しい車両規制などがかかって歩行者天国状態にはなります。コースは3種類あります。」

「300以上もある教会も、サルヴァドールの見所の一つですよ。」
「はい。」

「中でも、ジェズス広場の下に建つバロック様式の教会でバイーア州で最も美しい教会と言われているバジリカ大寺院は、内部の大祭壇の美しい装飾が素晴らしいですよ。」
「そうなんですか。」

「バジリカ大寺院と言えば、ジェズス広場は3方を教会に囲まれており、バジリカ大寺院は広場の西側に建つ。外観はバイーア州で最も美しいと言われているが、実はそれ程でもなく比較的質素なもの。内部はタイルや金の装飾が施されており豪華なものとなっている。」

「ジェズス広場と言えば、ジェズス広場は、バジリカ大寺院やオルデン・テルセイラ・ジ・サン・ドミンゴス教会等、3つの教会に囲まれている。中央には2本の木と泉が設置されており、涼しげな雰囲気を 醸し出している。」

「バイーア州と言えば、バイーア州はブラジル北東部の州である。人口13,070,250、州都はサルヴァドール。略称は「BA」。ポルトガル人探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルがバイーア州の南のポルト・セグーロに着いたのは1500年。ポルトガル領となったのは1549年である。」

「奇跡の教会と言われるボンフィン教会は古くから、バイーアに暮らす人々の守護神としてあがめられていますよ。」
「はい。」

「奇跡の教会と言われるボンフィン教会と言えば、ブラジル北東部、バイア州の州都サルバドールは、コロニアル様式で知られるブラジル屈指の美しい都市だ。世界遺産の「サルバドール・デ・バイア歴史地区」にはあちこちに華麗なバロック様式の教会があり、パステルカラーのきれいな家々が建ち並んでいる。ボンフィン教会は、「奇跡の教会」として知られる霊験あらたかな教会で、世界中の信者が祈りを捧げにやってくる。」

「ここで特別なリボンを手に巻き、お祈りをしそのリボンが切れると願いごとがかなうと言われていますよ。」
「はい。」

「サルバドール最古の建築物の1つであるバーハ要塞も見逃せませんね。」
「そうなんですか。」

「バーハ要塞と言えば、セントロの南4kmに位置する、バーハ海岸の岬にあるバーハ要塞はサルバドールで一番古い要塞だそうです。1598年に建てられた軍事施設だが、17世紀には一時オランダに占領されていたこともあった。 要塞の建物内部はバイーア海洋博物館として公開されています。」

「16世紀後半に、サルヴァドールの町を守るために建てられた軍事施設ですよ。」
「はい。」

「内部は、現在海洋博物館となっていますよ。」
「はい。」

「現在は灯台としての役割も担っているようですよ。」
「そうなんだ。」

「都市の顔と歴史の重みを、両方味わえるサルヴァドールですね。」
「はい。」

「見所満載のこの地にカーニバルの時期に訪れれば、一味違った世界遺産の旅が味わえるのではないでしょうか。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~ブラジリア~

「現在のブラジルの首都を知っていますか?」
「はい、知っていますよ。」

「リオのカーニバルで有名なリオデジャネイロだと思っている人も、多いのではないでしょうか。」
「そうかも知れませんね。」

「リオのカーニバルと言えば、リオデジャネイロのカーニバル、あるいは、リオのカーニバルとして言及される、ブラジル・リオデジャネイロのカーニバル(謝肉祭)は、厳粛な雰囲気の四旬節の期間に入る前に行われる祝祭であり、世界最大の見世物のひとつと見なされている。リオデジャネイロにおけるこの祝祭には、1723年にまで遡る歴史がある。」

「リオデジャネイロと言えば、リオ・デ・ジャネイロ(葡: O Rio de Janeiro)は、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都である。世界有数のメガシティであり、ブラジル最大の港湾都市である。人口は600万人を超えており、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市である。2010年の都市圏人口は1,167万人であり、世界第22位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位である。」

「確かにリオデジャネイロは、かつてのブラジルの首都でしたよ。」
「はい。」

「20世紀に入ってから、ブラジル高原の未開の大地に計画都市としてブラジリアが建設され、1960年首都が移されましたよ。」
「そうですね。」

「首都のブラジリアと言えば、ブラジリア(ポルトガル語: Brasilia)は、ブラジルの首都で連邦直轄地区である。中部の標高約1,100mの高原地帯に建設された、計画都市である。人口は約200万人。ブラジル人建築家ルシオ・コスタの設計により建設された計画都市地域は、人造湖であるパラノア湖のほとりに飛行機が羽根を広げた形をしており、飛行機の機首の部分に国会議事堂や行政庁舎、最高裁判所が並び、羽根の部分には高層住宅や各国の大使館がある。」

「過去を持たない未来都市とも呼ばれる、ブラジリアの国会議事堂や大聖堂などの主要な建物は、モダニズムを反映させた近代的なデザインになっていますよ。」
「そうなんですか。」

「モダニズムと言えば、モダニズムは20世紀以降に起こった芸術運動、特に第一次世界大戦後の1920年代を中心にした動向を指す。従来の19世紀芸術に対して、伝統的な枠組にとらわれない表現を追求した。革新的なため、独立したものととらえられ、けむたがられたが、フランスでは普及していたし、19世紀にポストモダンといわれるものもあった。」

「主要建物のデザインを担当したのは、ニューヨークの国連ビルの建設も手掛けたブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルですよ。」
「はい。」

「ブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルと言えば、過去を持たない未来都市とも呼ばれるブラジリアの国会議事堂や大聖堂などの主要な建物はモダニズムを反映させた近代的なデザインになっています。主要建物のデザインを担当したのは、ニューヨークの国連ビルの建設も手掛けたブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルです。」

「1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックの命を受けて、建築家ルシオ・コスタらと共に、ブラジリアの建設を進めましたよ。」
「はい。」

「建築家ルシオ・コスタと言えば、ルシオ・コスタ(Lucio Costa、1902年2月27日 - 1998年6月13日)は、建築家、都市計画家である。ブラジルの首都ブラジリアの設計者としてよく知られる。ブラジルな近代主義の建築家の中でも最も重要な人物のひとりとされるが、長い建築キャリアの人生で作品が実現したのは多くない。」

「1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックと言えば、主要建物のデザインを担当したのは、ニューヨークの国連ビルの建設も手掛けたブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルです。1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックの命を受けて建築家ルシオ・コスタらとともにブラジリアの建設を進めました。1987年には、文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録され、建設後わずか40年足らずという世界でも珍しいくらい歴史の浅い世界遺産の誕生となりました。」

「1987年には、文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「建設後わずか40年足らずという、世界でも珍しいくらい歴史の浅い世界遺産の誕生となりましたよ。」
「はい。」

「人工湖の周りに建てられた、近代的でスタイリッシュな建物たちがつくる街並みは、わずか3年半で造られたとは思えないほど、清潔で美しいですよ。」
「はい。」

「その一方で、莫大な建築費がその後のブラジル市民を長く苦しめる不況と、インフレの大きな原因であったとも言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「ブラジリア国際空港の建設により、世界とブラジル各地を結ぶ首都機能は備えていますよ。」
「はい。」

「ブラジリア国際空港と言えば、ブラジリア国際空港は、ブラジルの首都ブラジリア連邦直轄区にある空港で、ブラジリア市街中心部から南南東へ約9kmの場所に位置しています。この空港は、ブラジルでは国内最大都市のサンパウロにあるサンパウロ=グアルーリョス国際空港とサンパウロ=コンゴーニャス空港に次いで3番目(2010年)に旅客数の多い空港です。」

「リオデジャネイロやサンパウロなどの主要都市とはかなりの距離がありますよ。」
「そうなんですか。」

「サンパウロと言えば、サンパウロは、ブラジル南東部に位置するサンパウロ州の首府である。人口は1,100万人以上でブラジル最大かつ南半球最大のメガシティである。2011年の近郊を含む都市圏人口では2,039万人であり、世界第8位、南半球では第1位である。」

「そのため、大企業の移転などは進んでおらず、首都としての機能は発展途上ですね。」
「そうなんだ。」

「周辺都市の治安も安定せず、首都圏と日とひとくくりにすることも難しい状況があるようですよ。」
「はい。」

「公共の交通機関も整っていないため、市民生活は事実上、自動車移動に頼っていると言う状況ですよ。」
「そうなんだ。」

「そのため、市内観光もツアーを申し込むのが一般的となっていますよ。」
「はい。」

「ブラジリアには、たくさんの一風変わった建造物がありますよ。」
「そうなんですか。」

「歴史ある教会とはまた違った趣のある教会で有名なのは、ドン・ボスコ教会ですよ。」
「はい。」

「ドン・ボスコ教会と言えば、ドン・ボスコ聖堂は、 Carlos Alberto Naves(カルロス・アウベルト・ナベス)がプロジェクトを担当し 1970年5月完成した。ナベスは、 Oscar Niemeyer (オスカーニーマイヤー:ブラジルではオスカル・ニエメイエルと発音:当時のクビチェク大統領の命によりブラジリアの国会議事堂・省庁ビル・カテドラル等の建設を一気に推進させた。)の生徒である。 ドン・ボスコ聖堂の扉を一歩中に入ると、そこには青・蒼・蒼の世界が広がっている。」

「シンプルで近代的な箱型の教会は、内部がブルーとピンクのグラデーションのステンドグラスになっていますよ。」
「はい。」

「まるで水中にいるかのような幻想的なブルーとピンクの光がきらきらと大変美しいですよ。」
「そうなんだ。」

「中央にあるシャンデリアは、およそ3トンほどの重さの水晶でできているそうですよ。」
「はい。」

「ブラジリアの象徴とも言えるのは、カテドラル・メトロポリターナですね。」
「そうなんですか。」

「カテドラル・メトロポリターナと言えば、カテドラル・メトロポリターナとして知られるカテドラル・デ・サン・セバスチャン(Catedral de Sao Sebastiao do Rio de Janeiro)は、ダウンタウンに位置する、コーン型の外観を持つ教会です。外観は装飾の無い一見地味な教会ですが、一歩中に入ると、華やかに輝くステンドグラスの美しさに息を呑むはずです。」

「王冠のような特徴あるフォルムだとよく表現される建物ですよ。」
「はい。」

「内部は天井が白を基調とし、グリーンとブルーのステンドグラスでできていますよ。」
「はい。」

「光を通し、大変明るくさわやかな印象になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「他には、オスカー・ニエマイエルの代表作とも言える国会議事堂も塔のような細長いフォルムが印象的なユニークな建物ですよ。」
「はい。」

「ブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルと言えば、過去を持たない未来都市とも呼ばれるブラジリアの国会議事堂や大聖堂などの主要な建物はモダニズムを反映させた近代的なデザインになっています。主要建物のデザインを担当したのは、ニューヨークの国連ビルの建設も手掛けたブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルです。」

「その近くに、お椀を伏せたような形の上院の建物がありますよ。」
「はい。」

「大統領府は、「高原の宮殿」とも呼ばれる全面ガラス張りの近代的な建物ですよ。」
「そうなんだ。」

「水面を石が跳ねる起動を描いたようなジュセリーノ・クビチェック橋も有名ですね。」
「はい。」

「ジュセリーノ・クビチェック橋と言えば、ブラジルの首都、ブラジリアのパラノアー湖に、ほぼ中央部を横断する美しい3本のアーチが架かったジュセリーノ・クビチェック橋があります。曲線の道路に交互に交差されるような造りです。橋の長さはおよそ1.2km、アーチの高さは61mあるそうです。」

「1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックと言えば、主要建物のデザインを担当したのは、ニューヨークの国連ビルの建設も手掛けたブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルです。1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックの命を受けて建築家ルシオ・コスタらとともにブラジリアの建設を進めました。1987年には、文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録され、建設後わずか40年足らずという世界でも珍しいくらい歴史の浅い世界遺産の誕生となりました。」

「半円に輪っかがついているような土星のようなフォルムの国立美術館も面白い建物ですね。」
「はい。」

「ブラジリア国立美術館と言えば、ブラジリア国立美術館は、アートな街ブラジリア中でも特に代表的なアートな建物である。街中で一番目立っている建物です。」

「まるで未来の世界に迷い込んだような近未来都市ブラジリアですよ。」
「そうなんだ。」

「歴史的な世界遺産とは、一味違った観光が楽しめるのではないでしょうか。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~セラ・ダ・カピバラ国立公園~

「ブラジル北東部、ピアウイ州のカピバラ山地にある国立公園は、1991年に「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」であるという理由で、文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんですか。」

「ピアウイ州と言えば、ピアウイ州(Estado do Piaui)はブラジル北東部の州である。人口2,750,000、州都はテレジーナでブラジル北東部のうち、唯一内陸部に州都がある。略称は「PI」。」

「ピアウイ州のカピバラ山地と言えば、カピバラ山地国立公園は、1991年に登録された世界遺産(文化遺産)で、ブラジル北東部ピアウイ州のカピバラ山地(セラ・ダ・カピバラ)に位置する。面積は979km2で、奇岩と灌木に覆われており、1980年代に発見された先史時代(約2万8000~2万4000年前)の遺跡が約400残されて、3万点もの線刻岩絵群や洞窟壁画が発見されている。」

「セラ・ダ・カピバラ国立公園は世界屈指の考古学遺産を保護する目的で設立されましたよ。」
「はい。」

「セラ・ダ・カピバラ国立公園と言えば、セラ・ダ・カピバラ国立公園は、ブラジル・ピアウイ州の国立公園である。この国立公園は世界屈指の考古学遺産を保護するために創設されたもので、時には100メートル以上の高さにもなる絶壁に刻まれた、古いものでは6万年前にも遡る3万点もの線刻岩絵群が残されている。他に洞窟壁画も残っている。」

「絶壁に刻まれた膨大な数の古代の線刻岩絵群は、歴史的価値が非常に高く、現在も数多くの謎が残されていることから、考古学者たちの研究が進められていますよ。」
「はい。」

「線刻岩絵と言えば、ペトログリフ(英語:petroglyph)とは、象徴となる岩石や洞窟内部の壁面に、意匠、文字が刻まれた彫刻のことである。ギリシア語で石を意味するペトロとグリフ(彫刻)の造語である。日本語ではペトログラフと呼ばれることもあるが、通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。」

「絶壁は高い所で100メートル以上にもなり、せりあがる絶壁に描かれているのは、古いものでは6万年前にまでさかのぼりますよ。」
「そんなに古いんですか?」

「壁画の数は約3万点もあると言われており、その規模の大きさは圧巻ですよ。」
「多いですね。」

「他には、洞窟壁画も残されていますよ。」
「はい。」

「公園は、主に奇岩と灌木カーティンガでできていますよ。」
「はい。」

「カーティンガと言えば、カーティンガは、ブラジルの北東部に位置する世界最大の乾燥森林です。その面積は70 万平方キロメートルで、ドイツ全土のほぼ2倍に相当します。カーティンガとは「白い森」 あるいは「白い植生」を意味しています。」

「灌木と言えば、灌木は、低木ともいわれ、高木遺骸の木本をいう。高木との差は感覚的なもので、おおよそ人間の背の高さより低いものを灌木といい、植物学的に厳密な定義ができるものではない。高木のように樹冠が一定の形をとることは少なく、よく繁ってやぶをつくることがある。」

「1980年代に、およそ1万年前の約400の遺跡が発見されましたよ。」
「そうなんですか。」

「中でも、サン・ライムンド・ノナト遺跡には、カピバラ、シカ、ジャガーなどの動物、古代人たちの生活、狩猟や儀式の様子を幾何学的な絵で描いた200か所以上の壁画が残されていますよ。」
「はい。」

「サン・ライムンド・ノナト遺跡と言えば、サン・ライムンド・ノナト遺跡には、カピバラ、シカ、ジャガーなどの動物、古代人の生活、狩猟、儀式などの場面を描いた岩絵が264か所残っている。他にもすでに絶滅した動物と考えられるものや、船の絵なども発見されている。」

「他にも巨大アルマジロのような氷河期以前に絶滅したとみられる動物も描かれていますよ。」
「はい。」

「旧石器時代のアメリカ大陸の先住民が、どのような環境でどのような暮らしをしていたかをかいまみることができますよ。」
「そうなんですか。」

「壁画には、世界で最古の船の絵も描かれていますよ。」
「そうなんだ。」

「先住民たちが漁をして暮らしていたことも、知ることができますよ。」
「はい。」

「現在の地形は、およそ2億5000万年前に形成されたものですよ。」
「そうなんですか。」

「最も印象深い地形は、ペドラ・フラダ遺跡ですよ。」
「はい。」

「ペドラ・フラダ遺跡と言えば、セラ・ダ・カピバラ国立公園は、ブラジル・ピアウイ州の国立公園である。この国立公園は世界屈指の考古学遺産を保護するために創設されたものです。現在の地形は2億5000万年前に形成された。最も印象深い地形は、ペドラ・フラダ遺跡にある。これは2億5000万年前に形成された地形で、陶器製の道具類も発見されている。」

「「穴のある石」という意味を表す言葉通り、厚い石の壁に高さ約60メートル、直径約15メートルの、風化によってできた大きな穴があいているのが特徴ですよ。」
「大きい穴ですね。」

「公園の象徴的存在とも言える岩で、この世界遺産を紹介する多くの書物にもこの岩の写真が載っていますよ。」
「はい。」

「この遺跡内では、また古代の陶器製の道具類も発見されていますよ。」
「はい。」

「公園で出土した数々の歴史的価値のある品々は、公園から少し離れたSao Raimundo Nonato市にあるアメリカ人類博物館に展示されていますよ。」
「そうなんだ。」

「Sao Raimundo Nonato市のアメリカ人類博物館と言えば、Sao Raimundo Nonato市にある アメリカ人類博物館には、セラ・ダ・カピバラ国立公園の地域で出土した品々が展示されています。」

「歴史的に大変価値のある遺産ですよ。」
「はい。」

「最近まで、周辺住民による岩絵付近での焚き火や 燃料用に燃やす木の煙によって、壁画が消滅しかねないという深刻な問題がありましたよ。」
「そうなんですか。」

「焚火禁止の張り紙は、もちろんありましたよ。」
「はい。」

「地域住民の識字率も高くはなく、こうしたトラブルはなかなかなくなりませんでしたよ。」
「そうなんだ。」

「最近では、世界遺産を守ろうという運動も盛んになり、世界に誇る遺産であるセラ・ダ・カピバラ国立公園への住民の意識も高まってきているようですよ。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~サン・ルイス歴史地区~

「サン・ルイスは、ブラジル北東部マラニャン州の首都で、メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川に囲まれた三角州のサン・マルコス湾内のサン・ルイス島にありますよ。」
「はい。」

「サン・マルコス湾と言えば、サン・ルイスはブラジル北東部マラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、 ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島に位置します。」

「サン・マルコス湾内のサン・ルイス島と言えば、サン・ルイスはブラジル北東部マラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、 ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島に位置します。」

「ピンダレー川と言えば、サン・ルイスはブラジル北東部マラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、 ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島に位置します。」

「イタペクル川と言えば、サン・ルイスはブラジル北東部マラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、 ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島に位置します。」

「メアレム川と言えば、サン・ルイスはブラジル北東部マラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、 ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島に位置します。」

「マラニャン州と言えば、マラニョン州(Estado do Maranhao、マラニャン州とも)は、ブラジル東北部の州で、州庁所在地はサン・ルイス (Sao Luis) である。州の略称は「MA」である。マラニョン州出身の人物の愛称としてもよく使われる。」

「マラニャン州の首都サン・ルイスと言えば、サン・ルイス (Sao Luis)は、ブラジル・マラニョン州の州都である。メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島にある。市人口は998,385人(2006年)を抱え、都市圏では1,227,659人となり、ブラジル第16位の都市である。サン・ルイスは、ブラジルで唯一フランス人によって建設された州都である。ブラジルに3つある、島にある州都(他はヴィトーリアとフロリアノーポリス)の1つである。」

「サン・ルイスは、ブラジルで唯一フランス人によって建設された町ですよ。」
「そうなんですか。」

「1612年新植民地建設のため、最初にヨーロッパからやってきたのは、フランス人でしたよ。」
「はい。」

「サン・ルイスという名前も、当時のフランス国王ルイ13世と聖人であるルイ9世にちなんでつけられたものであると言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「聖人であるルイ9世と言えば、ルイ9世(Louis IX, 1214年4月25日 - 1270年8月25日、在位:1226年 - 1270年)は、フランス王国カペー朝第9代の国王でルイ8世とカスティーリャ王アルフォンソ8世の娘ブランシュの子である。死後、カトリック教会より列聖されSaintが称され、ここから、Saint-Louis(サン=ルイ)と呼ばれるようになった。これは日本語では聖ルイあるいは聖王ルイと訳される。米国の都市、セントルイス(ミズーリ州)の地名の由来ともなった。ブルボン家の先祖でもあり、同家の王の多くがルイを名乗るのも彼に由来すると思われる。」

「フランス国王ルイ13世と言えば、ルイ13世(フランス語: Louis XIII、1601年9月27日 - 1643年5月14日)は、ブルボン朝第2代のフランス国王(在位:1610年5月14日 - 1643年5月14日)。ナバラ国王としてはルイス2世(バスク語: Luis II.a)。ブルボン朝創成期の王である。」

「マラニャン州の首都サン・ルイスと言えば、サン・ルイス (Sao Luis)は、ブラジル・マラニョン州の州都である。メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島にある。市人口は998,385人(2006年)を抱え、都市圏では1,227,659人となり、ブラジル第16位の都市である。サン・ルイスは、ブラジルで唯一フランス人によって建設された州都である。ブラジルに3つある、島にある州都(他はヴィトーリアとフロリアノーポリス)の1つである。」

「しかし、わずか3年後の1615年に、町はポルトガルによる侵攻を受け、フランス人はわずかな期間、町を建設しただけで、サン・ルイスから追放されましたよ。」
「はい。」

「その後、オランダの侵攻も受け、いくつかの国の支配下におかれながらも、サン・ルイスは、タバコ、サトウキビ、カカオなどの産業を中心に発展していきましたよ。」
「はい。」

「南北戦争後には、イギリスへの綿の輸出で急速に繁栄し、一気に近代化の道をたどりましたよ。」
「そうなんだ。」

「南北戦争と言えば、南北戦争(American Civil War, 1861年 -1865年)は、アメリカ合衆国とアメリカ連合国との間で行われた戦争である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していた。」

「サン・ルイス地域は、ラテンアメリカで殖民地時代のポルトガル建築を最もいい状態で保存しているとし、その文化的価値が広く認められ、1997年にユネスコ世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「現在は、マデイラ港、イタクイ港という2つの主な港を持っていますよ。」
「はい。」

「イタクイ港と言えば、サン・ルイス市にはマデイラ港(英語版)、イタクイ港という2つの海港がある。」

「マデイラ港と言えば、リオドセがカラジャス鉱山の生産を本格化させたのは、1985年に、カラジャス鉄道(ポルトガル語版)(EFC、Estrada de Ferro Carajas)が開通した以降であり、1986年には、カラジャス鉱山から産出される鉄鉱石を輸出する港として、マラニョン州にマデイラ港(英語版)を開港させた。」

「アマゾン川流域から採掘されたブラジルの鉄鉱石のほとんどをここから輸出していますよ。」
「そうなんだ。」

「アマゾン川と言えば、アマゾン川(葡:Rio Amazonas, 西: Rio Amazonas, 以前は 西: Rio Orellana)は、南米のブラジルとその周辺国の熱帯雨林(アマゾン熱帯雨林)を流れ、大西洋に注ぐ世界最大の河川である。数多くの巨大な支流を持ち、アマゾン川という名称はそれらの総称として用いられている。」

「フランスの植民地開拓時に建設されたのは、レオエス宮殿ですね。」
「はい。」

「レオエス宮殿と言えば、フランスの植民地開拓時に建設されたのは、レオエス宮殿です。新古典様式で建てられており、石造りの城壁で囲まれています。フランスの支配は短いので、町にある多くの建物はポルトガル様式で建てられています。サン・ルイスは、17世紀の初め、ブラジルで唯一フランスが建築した植民地である。国王ルイ13世にちなんで、サン・ルイスと名付けられた。レオエス宮殿は現在、州政府の庁舎となっている。ブラジルに植民地を広げていたポルトガルが征服、新しい街を作った。」

「新古典様式で建てられており、石造りの城壁で囲まれていますよ。」
「はい。」

「新古典様式と言えば、新古典主義建築は、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式である。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されたが、やがて19世紀の歴史主義、様式濫用の中に埋没した。」

「フランスの支配は短いので、町にある多くの建物はポルトガル様式で建てられていますよ。」
「そうなんだ。」

「ポルトガル様式(ポルトガル建築)と言えば、マヌエル様式は、ポルトガル王マヌエル1世統治期(1495‐1521)に行われたゴシック建築様式である。スペインのイサベル様式、初期プラテレスコ様式と同時代で、過剰装飾が特徴。イスラム様式のほか、海洋国らしくモロッコやインドの影響も見られ、船具や海産物などのモティーフも多用されている。この様式はほとんどポルトガル全土に及んだが、代表作にトマールのキリスト修道院、リスボン近郊ベレンのジェロニモス修道院などがある。」

「縦に長く丸みをおびた入り口、飾り窓はポルトガル様式の特徴ですよ。」
「はい。」

「最も大きな特徴は、建物の壁面をアズレージョと言われるポルトガル独特の装飾タイルで覆っているところですね。」
「はい。」

「アズレージョという美しい青と白のポルトガルの装飾タイルと言えば、オリンダの最大の見どころの一つが、サンフランシスコ修道院です。ここは、ブラジルで最初に建てられた修道院の一つで、ポルトガルがオランダからオリンダを奪取した際に再建に最も力を入れた建物です。中庭の廊下の壁は、アズレージョという美しい青と白のポルトガルの装飾タイルでできています。」

「耐久性に優れていると言われているこのタイルは、殖民地時代ポルトガル人が本土から船で運んできたと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「サン・ルイスでは、毎年復活祭の後から6月にかけてブンバ・メウ・ボイと呼ばれる大々的なお祭りがありますよ。」
「はい。」

「ブンバ・メウ・ボイと呼ばれる大々的なお祭りと言えば、サン・ルイスでは毎年復活祭の後から6月にかけてブンバ・メウ・ボイと呼ばれる大々的なお祭りがあります。6月中はほぼ毎晩聖人サン・ジョアンの日までダンスや催しが行われます。街中も色とりどりの旗などで飾られ夜通しお祭り騒ぎがおこります。ユニークな衣装や帽子を身に付けた人々が町を練り歩きます。観衆も歌や踊りに加わり、2本の木のマラカスを持って演奏するそうです。牛のお祭りともいわれ、牛もパレードに参加します。」

「復活祭と言えば、復活祭は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭である。多くの教会で特別な礼拝(典礼・奉神礼)が行われるほか、様々な習慣・習俗・行事がある。復活祭は基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、年によって日付が変わる移動祝日である。」

「マラニャン州の首都サン・ルイスと言えば、サン・ルイス (Sao Luis)は、ブラジル・マラニョン州の州都である。メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島にある。市人口は998,385人(2006年)を抱え、都市圏では1,227,659人となり、ブラジル第16位の都市である。サン・ルイスは、ブラジルで唯一フランス人によって建設された州都である。ブラジルに3つある、島にある州都(他はヴィトーリアとフロリアノーポリス)の1つである。」

「6月中は、ほぼ毎晩聖人サン・ジョアンの日まで、ダンスや催しが行われますよ。」
「はい。」

「聖人サン・ジョアンの日と言えば、6月24日は、サン・ジョアンの日です。イエスキリストに洗礼を施した聖人「バプテスマのヨハネ」を祝う日です。ヨハネ=ポルトガル語ではジョアンです。ポルトガル人が持ち込んだこのお祭りはブラジルで独自の形に変わりました。」

「街中も色とりどりの旗などで飾られ、夜通しお祭り騒ぎが起こりますよ。」
「そうなんだ。」

「ユニークな衣装や帽子を身に付けた人々が、町を練り歩きますよ。」
「はい。」

「観衆も歌や踊りに加わり、2本の木のマラカスを持って演奏するそうですよ。」
「はい。」

「牛のお祭りとも言われ、牛もパレードに参加しますよ。」
「そうなんですか。」

「リオのカーニバルとはまた違った雰囲気のお祭り、遠い植民地時代のポルトガル建築を見ながら楽しんでみてはいかがでしょう。」
「わかりました。」

「リオのカーニバルと言えば、リオデジャネイロのカーニバル、あるいは、リオのカーニバルとして言及される、ブラジル・リオデジャネイロのカーニバル(謝肉祭)は、厳粛な雰囲気の四旬節の期間に入る前に行われる祝祭であり、世界最大の見世物のひとつと見なされている。リオデジャネイロにおけるこの祝祭には、1723年にまで遡る歴史がある。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~ディアマンティーナ歴史地区~

「シカ・ダ・シルヴァは、植民地奴隷制度の時代に生まれた奴隷の一人ですよ。」
「そうなんですか。」

「シカ・ダ・シルヴァ(植民地奴隷制度の時代に生まれた奴隷の一人)と言えば、シカ・ダ・シルヴァは、植民地奴隷制度の時代に生まれた奴隷の一人です。彼女は何人かの奴隷に仕えますが、地元で名高いダイヤの発掘請負人ジョアンに出会い、彼に愛されたことによって彼の正妻同等身分を与えられついには、自らが奴隷を持つ身分にまでなった伝説の女性です。」

「彼女は、何人かの奴隷に仕えます。」
「はい。」

「地元で名高いダイヤの発掘請負人ジョアンに出会い、彼に愛されたことによって彼の正妻同等身分を与えられますよ。」
「はい。」

「ついには、自らが奴隷を持つ身分にまでなった伝説の女性ですよ。」
「そうなんだ。」

「当時、白人の主人の正妻と同じ身分を持つというのは、黒人奴隷にとっては大変特別なことでしたよ。」
「そうでしょうね。」

「この女性の出身地であるブラジルの南東部ミナス・ジェライス州にある町ディアマンティーナは、バロック建築の建物で有名ですよ。」
「はい。」

「バロック建築(バロック様式)と言えば、バロック建築(Baroque Architecture)は、1590年頃から盛んになった建築様式である。建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする。特に内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際立った特色となっている。」

「ミナス・ジェライス州と言えば、ミナスジェライス州 (Estado de Minas Gerais) は、ブラジルの南東部に位置する州、州庁所在地はベロオリゾンテである。略称は「MG」である。1693年に金が発見されたことから、以降ダイアモンドなどの鉱山の開発が進み、「宝石の鉱山」と呼ばれるようになってこれが州名となる。現在も、インペリアルトパーズ、紅水晶などの宝石の産出地として知られている。」

「ミナス・ジェライス州にある町ディアマンティーナと言えば、ディアマンティーナ(Diamantina, 正しくはジアマンチーナ)は、ブラジル・ミナスジェライス州の都市である。2004年現在の人口は、44,238人である。ディアマンティーナは、18世紀のポルトガルにおける植民地時代に建設された都市であり、名前から察することができるように、かつては、ダイヤモンドの採掘で繁栄した町である。町の名前もダイヤモンドに由来する。」

「その保存状態の良さが認められ、1999年に文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「ディアマンティーナは、ポルトガル語でダイヤモンドという意味を持つ言葉ですよ。」
「はい。」

「その名の通り、この町は18世紀初頭にダイヤモンドの鉱脈が発見され、ダイヤモンド産業で発展しましたよ。」
「はい。」

「一時は、産出量約300万カラットとも言われ、世界中のダイヤモンドのほとんどを産出していましたよ。」
「そうなんですか。」

「現在は、ダイヤモンドの採掘は行われていませんよ。」
「はい。」

「当時は、採掘者や投資家などの入植者で大変なにぎわいを見せていましたよ。」
「はい。」

「バロック様式で建てられた街並みは、ポルトガルの中世の町を思わせる雰囲気ですよ。」
「そうなんですか。」

「それをモデルにして建てられたとも言われていますよ。」
「はい。」

「曲がりくねった石畳が特徴ですね。」
「はい。」

「簡素ではありますが、重厚感のあるバロック様式の建物が続いていますよ。」
「はい。」

「聖堂の塔は、ポルトガル建築の特徴である1本になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「壁面には、色彩豊かな木彫りの装飾が施されていますよ。」
「はい。」

「まるで、日本のデパート内部の渡り廊下のような二つの建物をつなぐ青い壁面の歩道橋や、ディアマンティーナ市庁舎、教会の中でも聖フランシス教会、ナッサ・センオラ・ド・ルモ教会など、昔ながらの面影を残した建物が数多く残っており見所となっていますよ。」
「いろいろありますね。」

「ディアマンティーナのナッサ・センオラ・ド・ルモ教会と言えば、ディアマンティーナの教会の中でも聖フランシス教会、ナッサ・センオラ・ド・ルモ教会など昔ながらの面影を残した建物が数多く残っています。」

「ディアマンティーナの聖フランシス教会と言えば、ディアマンティーナの聖フランシス教会は、1基の塔がポルトガル建築の特徴を示し、壁面には色彩豊かな幾何学模様の木彫りの装飾が施されている。」

「ディアマンティーナ市庁舎と言えば、まるで日本のデパート内部の渡り廊下のような二つの建物をつなぐ青い壁面の歩道橋や、ディアマンティーナ市庁舎、教会の中でも聖フランシス教会、ナッサ・センオラ・ド・ルモ教会など昔ながらの面影を残した建物が数多く残っており見どころとなっています。」

「ダイヤモンド採掘が盛んに行われていた当時の様子を、知ることができるダイヤモンド博物館もありますよ。」
「はい。」

「ディアマンティーナのダイヤモンド博物館と言えば、 ディアマンティーナはポルトガル語でダイヤモンドという意味を持つ言葉です。またダイヤモンド 採掘が盛んに行われていた当時の様子を知ることができるダイヤモンド博物館もあります。」

「ディアマンティーナの周辺地域は、豊かな自然に囲まれていますよ。」
「はい。」

「ミナス・ジェライス州にある町ディアマンティーナと言えば、ディアマンティーナ(Diamantina, 正しくはジアマンチーナ)は、ブラジル・ミナスジェライス州の都市である。2004年現在の人口は、44,238人である。ディアマンティーナは、18世紀のポルトガルにおける植民地時代に建設された都市であり、名前から察することができるように、かつては、ダイヤモンドの採掘で繁栄した町である。町の名前もダイヤモンドに由来する。」

「滝や渓谷なども、数多く存在していますよ。」
「そうなんですか。」

「ダイヤモンド発掘の炭鉱跡に宿泊施設があるところがありますよ。」
「はい。」

「南アメリカの大自然とヨーロッパの開拓者たちの暮らしぶり両方を、垣間見ることができる貴重な世界遺産の一つと言えるでしょう。」
「わかりました。」

「秘境の世界遺産ディアマンティーナは、ブラジル24代大統領であるジュセリーノ・クビチェックの出身地であるとも言われていますよ。」
「はい。」

「1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックと言えば、主要建物のデザインを担当したのは、ニューヨークの国連ビルの建設も手掛けたブラジルの建築家オスカー・ニエマイエルです。1956年当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックの命を受けて建築家ルシオ・コスタらとともにブラジリアの建設を進めました。1987年には、文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録され、建設後わずか40年足らずという世界でも珍しいくらい歴史の浅い世界遺産の誕生となりました。」

「いまだに外国人観光客も少なく静かに古都の雰囲気を味わいたい人には、最高の場所と言えますよ。」
「わかりました。」





ブラジルの世界遺産と南米の旅~グアラニーのイエズス会伝道所群~

「現在のブラジルとアルゼンチンの国境のあたりに、誇り高い先住民グアラニー族は住んでいましたよ。」
「はい。」

「アルゼンチンと言えば、アルゼンチン共和国(スペイン語: Republica Argentina)、通称アルゼンチンは、南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家である。西と南にチリ、北にボリビア・パラグアイ、北東にブラジル・ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。首都はブエノスアイレス。2013年のGDPは約4882億ドルであり、日本の九州とほぼ同じ経済規模である。」

「先住民グアラニー族(グアラニー人)と言えば、グアラニー族 (Guaranies) とは、アメリカ州の先住民族の一つで、主にパラナ川からパラグアイ川にかけてのラ・プラタ地域(現在の地域でアルゼンチン、ボリビア東部、パラグアイ、ウルグアイ)と、ブラジルに住んでいたが、純粋な民族としてはほとんど絶滅し、グアラニー語を話せる者の多くはメスティーソになっている。」

「18世紀半ば、信仰深い宣教師ガブリエル神父は、「音楽」を共通の言葉としてグアラニーの民の心をつかんでいきますよ。」
「はい。」

「宣教師ガブリエル神父と言えば、1750年、南米、イグアスの滝の上流に、宣教師のガブリエル神父が布教にやってきた。プライドの高いグアラニー族の布教は難しく、前任の神父たちは、何度も布教に失敗していたが、ガブリエル神父は、グアラニー族に信頼され、理想郷のような都市を築き布教に成功していた。」

「そして、スペインの植民者であった奴隷商人のメンドーサと共に、最期にはスペイン・ポルトガル両国に背いて先住民と運命を共にして戦った男たちの物語ですよ。」
「そうなんだ。」

「スペインの植民者であった奴隷商人のメンドーサと言えば、現在のブラジルとアルゼンチンの国境のあたりに誇り高い先住民グアラニー族は住んでいました。18世紀半ば、信仰深い宣教師ガブリエル神父は、「音楽」を共通の言葉としてグアラニーの民の心をつかんでいきます。そして、スペインの植民者であった奴隷商人のメンドーサと共に最期にはスペイン・ポルトガル両国に背いて先住民と運命を共にして戦った男たちの物語。それが、1986年かの有名なロバートデニーロ主演のイギリス映画です。この映画のモデルとなったのが、現在世界遺産登録されているグアラニーのイエズス会伝道所群です。」

「それが、1986年かの有名なロバートデニーロ主演のイギリス映画ですよ。」
「はい。」

「俳優ロバートデニーロと言えば、ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro, Jr.、1943年8月17日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督である。アカデミー助演男優賞を受賞した『ゴッドファーザー PART II』、アカデミー主演男優賞を受賞した『レイジング・ブル』、および『タクシードライバー』をはじめとするマーティン・スコセッシ監督の一連の作品への出演で知られる。撮影の前に徹底した役作りを行うことで有名。また、『グッド・シェパード』などの作品で映画監督も務めている。」

「この映画のモデルとなったのが、現在世界遺産登録されているグアラニーのイエズス会伝道所群ですよ。」
「そうなんだ。」

「イエズス会と言えば、イエズス会(ラテン語: Societas Iesu)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会である。宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大のものである。イエズス会員の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。」

「グアラニーのイエズス会伝道所と言えば、「グアラニーのイエズス会伝道所群」は、ブラジルとアルゼンチンにまたがるユネスコの世界遺産登録物件である。17世紀初頭にグアラニー族への伝道を開始したイエズス会は、グアラニーのキリスト教化を進めるための拠点として、いくつもの伝道所(伝道用の集落)を築いた。」

「ここは、世界遺産の中でも珍しく、ブラジルとアルゼンチン両国にまたがって世界遺産登録されている所ですよ。」
「はい。」

「そこに秘められた歴史の背景には、映画「ミッション」に描かれているような壮大なストーリーがあったことでしょう。」
「そうなんだ。」

「1986年かの有名なロバートデニーロ主演のイギリス映画「ミッション」と言えば、「ミッション」は、1987年に日本公開のイギリス映画である。18世紀中頃の中南米。ガブリエル神父が開いたミッションに、奴隷商人のメンドーサが弟を殺した罪を負ってミッションへやってくる。彼はかつて奴隷として扱っていた人々に励まされ、彼等と共に暮らし始める。カンヌ国際映画祭では、パルム・ドールを、アカデミー賞では、撮影賞をそれぞれ受賞した傑作。」

「グアラニー族は、元々アメリカ州の先住民族で、農耕を主に生計を立てていましたよ。」
「はい。」

「17世紀頃には、ブラジルのサンパウロを根拠地とする奴隷商人が、ブラジルで労働させるために、グアラニー族を捕らえて奴隷にするということが頻繁に起こっていましたよ。」
「そうなんですか。」

「サンパウロと言えば、サンパウロは、ブラジル南東部に位置するサンパウロ州の首府である。人口は1,100万人以上でブラジル最大かつ南半球最大のメガシティである。2011年の近郊を含む都市圏人口では2,039万人であり、世界第8位、南半球では第1位である。」

「そこで、グアラニー族の警備を兼ねてイエズス会は、グアラニー族へのキリスト教の普及活動を行うためブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイの国境が接するあたりのウルグアイ川とパラナ川に囲まれた密林地域を普及活動の中心としましたよ。」
「はい。」

「パラナ川と言えば、パラナ川 (スペイン語: Rio Parana、ポルトガル語: Rio Parana)は、ラプラタ川水系最大の川である。グアラニー語で神の母を意味する。全長4500kmのうち、パラグアイ川との合流点より上流2250kmはアルトパラナ川ともいい、パラナイバ川とグランディ川が南緯20°付近で合流したものである。全長のうち210km区間はブラジルとパラグアイの国境を流れる。」

「ウルグアイ川と言えば、ウルグアイ川(スペイン語: Rio Uruguay、ポルトガル語: Rio Uruguai)は、南アメリカを流れるラプラタ川第二の支流で、全長約1,593kmの河川である。ブラジルの海岸山脈の西斜面を水源とする。」

「パラグアイと言えば、パラグアイ共和国、通称パラグアイは、南アメリカ中央南部に位置する共和制国家である。東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国である。首都はアスンシオン。なお、パラグアイの国旗はデザインが表と裏とで異なる。」

「イエズス会と言えば、イエズス会(ラテン語: Societas Iesu)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会である。宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大のものである。イエズス会員の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。」

「普及を進めると共に数々の伝道所が建設され、一時は一万人余りの人々が暮らしていたと言われていますよ。」
「はい。」

「イエズス会は普及活動の傍らで、プランテーションなどでの強制労働や奴隷狩りから逃れたグアラニー族を匿い、彼らと共に共同生活を送りましたよ。」
「そうなんだ。」

「プランテーションと言えば、プランテーション (plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。」

「しかし、1767年に当時のスペイン王カルロス3世がアメリカ大陸のスペイン領土からイエズス会の追放を命じましたよ。」
「はい。」

「スペイン王カルロス3世と言えば、カルロス3世(Carlos III, 1716年1月20日 - 1788年12月14日)は、ナポリ・シチリア王(カルロ7世および5世、在位:1735年 - 1759年)、のちボルボン(ブルボン)朝のスペイン王(在位:1759年 -1788年)。スペインの啓蒙専制君主と言われる。」

「そのために、伝道所の共同体生活は崩壊し、集落は放棄され廃村となってしまいましたよ。」
「はい。」

「グアラニーのイエズス会伝道所群のうちブラジルにあるのは、サン・ミゲル・ダス・ミソンイスというリオグランデ・ド・スル州北西部の小さな町にある遺跡ですよ。」
「そうなんだ。」

「リオグランデ・ド・スル州と言えば、リオグランデ・ド・スル州(Estado de Rio Grande do Sul)はブラジル南部の最南端に位置する州である。北にサンタ・カタリーナ州、南にウルグアイ、西にアルゼンチンと国境を接しており、東は大西洋に面する。州都はポルト・アレグレ。ブラジル国内での発音は「リオグランジド・スウ」ガウーショ(牧童)によるブラジルを代表する料理シュハスコと、航空会社ヴァリグ・ブラジル航空の発祥地であり、ワインの生産も盛んである。略称は「RS」であり、州名はポルトガル語で南の大きな川を意味する。日系ブラジル人による現地日本語媒体による表記は「南大河州」である。」

「サン・ミゲル・ダス・ミソンイスというリオグランデ・ド・スル州北西部の小さな町と言えば、サン・ミゲル・ダス・ミソンイス (Sao Miguel das Missoes) は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州北西部の小さな町サン・ミゲル・ダス・ミソンイス市にある、イエズス会伝道所跡である。1983年に「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」の名で、ユネスコの世界遺産に登録された(翌年に世界遺産「グアラニーのイエズス会伝道所群」に組み込まれた)。」

「1983年に「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡と言えば、サン・ミゲル・ダス・ミソンイス (Sao Miguel das Missoes) は、ブラジル・リオグランデ・ド ・スル州北西部の小さな町サン・ミゲル・ダス・ミソンイス市にある、イエズス会伝道所跡である。1983年に「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」の名で、ユネスコの世界遺産に登録された。」

「翌年、アルゼンチンの他の伝道所群と合わせて「グアラニーのイエズス会伝道所群」として再登録されましたよ。」
「はい。」

「日干しした赤い煉瓦造りの伝道所跡には、グアラニー・バロック様式で造られたと思われる赤煉瓦の壁面を見ることができますよ。」
「そうなんだ。」

「かつて、グアラニー人たちと宣教師たちの間にどんな絆が生まれたのか。」
「・・・・。」

「何を信じ、どんな理想で戦ったのか。」
「・・・・。」

「遠い時代に思いをはせてみるのもいいかも知れませんね。」
「そうですね。」

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