道の駅「かなん」と河南町の歴史やだんじり祭り





道の駅「かなん」の所在地

道の駅かなんの住所は、〒585-0034大阪府南河内郡河南町大字神山523番地の1他です。
道の駅かなんの電話番号は、0721-90-3911です。
道の駅かなんが開いている時間帯は、9:00~17:00です。
※土・日・祝日は、8:30から朝市開催です。
※12月31日から1月4日は休館です。
駐車場有り、トイレ有りです。
※駐車場・トイレ・公衆電話は24時間利用できます。

そもそも道の駅とは?

道の駅(みちのえき)を全国あちこちでよく見かけるようになりましたね。

そもそも道の駅とは何かというと、商業施設、休憩施設、そして地域振興施設に、駐車場等が一体となった道路施設のことで、自治体と道路管理者が連携して設置し、国土交通省によって登録されたものを指します。

つまり、道の駅は、道路利用者にとっての休憩機能や、地域の人々や道路利用者にとっての情報発信機能、そして町同士が連携する地域連携機能を併せ持っており、2017年末の時点で全国に1,134箇所もあります。

道の駅という名称からは、鉄道の駅が思い出されるかもしれませんが、実は、もともと駅という言葉は鉄道に関する用語ではなく、街道沿いにある宿場(宿駅)を意味します。





道の駅「かなん」の解説

道の駅「かなん」は、国道309号線沿いに位置する道の駅です。

国道309号線は、大阪の中心部から奈良まで直結する広域幹線道路で、南大阪地域にある河南町の国道309号線沿いに道の駅「かなん」はあります。

道の駅「かなん」のパーキングエリアには、文字通りの駐車場に加え、トイレや休憩所などがあり、ドライバーにとってくつろげる場を提供しています。

また、併設された直売所「河南町農村活性化センター」では、地場産にこだわった新鮮な朝どり野菜や、地元素材が使われた、餅、米粉パン、ジャムといった加工品が製造直売されています。

道の駅「かなん」の入り口で、手前は駐車場になっています。

道の駅「かなん」のピクトグラムとロゴです。

道の駅「かなん」を奥から見た様子で、奥にも駐車場があります。

建物の入り口で、自動ドアになっています。

建物の中の様子です。

表彰状
河南町エコ米生産組合 様
多年産業の発展に寄
与されその功績顕著
でありますので表彰
します
令和4年5月3日
大阪府知事 吉村洋文

河南町エコ米水越
いつもご愛顧頂きありがとうございます。
おかげ様をもちまして、2021年産
「河南エコ米水越」は完売致しました。
お買い上げ頂きありがとうございました。
新米(2022年産)は10月下旬頃の
販売開始を予定しております。
今後もよろしくお願い申し上げます。
生産者:河南エコ米生産組合一同

令和四年産
新米コシヒカリです。

河南町特産完熟イチジク

エンサイ(クウシンサイ)
・汗とともに失う「カリウム」が豊富!
・シャキシャキッ食感が食欲促進!
・一番のオススメは炒めもの!
(他、サッとゆでておひたしにも◎)
・しなびやすいので、購入後は
立てた状態で冷蔵庫の野菜室へ。

やるやん!大阪農業

近畿「道の駅」スタンプラリー

ポーポー
日もちしません。
熟すと、表皮に黒いシミのようなものが出、
バナナのような甘~い香りが広がります。
味・食感・・・バナナ+マンゴー
食べ方・・・スプーンですくって食べる

入り口から見た道の駅「かなん」の様子です。

国道に向けて道の駅「かなん」の看板が立っています。

大阪産品河南町特産完熟今朝採り「いちじく」ののぼり旗です。

河南町全域の分かりやすい地図です。

リニューアル中の道の駅「かなん」

実は今の道の駅「かなん」はリニューアル後の姿なのです。
リニューアル中の道の駅「かなん」も撮影しましたので、ご覧ください。










焼き芋屋さんがありました。

リニューアル中は仮設売り場があり、たくさんの人で賑わっていました。

道の駅「かなん」の奥には、非常に迫力のある竹林が生い茂っています。





道の駅「かなん」のある河南町はどんなところ?

古くから開けた河南町には、歌人西行法師の終焉の地として有名な弘川寺(※他のページに詳細を書いています)や、全国的にもたいへん珍しい双円墳の金山古墳など、優れた古墳や遺跡などの文化財がたくさんあります。
また、河南町は豊かな自然と歴史に恵まれた町で、町域の3分の1に当たる山地部が金剛生駒紀泉国定公園に指定されています。

河南町の歴史

河南町は、大阪府の南東部に位置しており、大阪市の中心部から25km圏にあります。
町域は、東西6.7km、南北7.5kmに広がっており、面積は25.26平方kmです。
河南町の北には太子町、西には富田林市、南には千早赤坂村が接しており、東には葛城山系の稜線を挟んで奈良県の葛城市と御所市が接しています。
河南町の地形は、金剛・葛城山脈に連なる山地部と、その前面に広がる広陵地、そして大和川支流の石川水系により形成された段丘地などで構成されており、町域の3分の1に当たる山地部が、金剛生駒紀泉国定公園に指定されています。

河南町の歴史は大変古く、約1万年前の縄文時代早期の土器が、神山遺跡で見つかっています。
また、弥生時代の後期(2世紀)には、東山や寛弘寺があり、町北部や西部の丘陵上には集落が築かれました。

古墳時代前期中頃(4世紀)には、弥生時代後期の寛弘寺の集落があった丘陵上に古墳が築かれ、これが寛弘寺古墳群の始まりとなります。
その後、7世紀にかけて、100基以上の古墳群が築かれました。
※古墳時代の集落の様子は、まだあまり明らかになっていません。

古墳時代後期(6世紀)になると、河南町北部から太子町にかけて、丘陵上に、総数約200基からなる一須賀古墳群が築かれました。

大和の飛鳥は「遠つ飛鳥」と呼ばれました。
一方、大和の飛鳥と難波の宮を結ぶ最古の官道である竹内街道に近い河南町を含む一帯は、古墳時代終末期(7世紀)のアカハゲ古墳やツカマリ古墳、太子町の王陵群などが密集した、古代国家形成において重要な地域であり、「近つ飛鳥」と呼ばれました。

南北朝の戦乱期には、河南町は千早赤坂村に近いこともあり、幾つかの山城が築かれました。
平岩氏の居城である平石城跡には、掘割や副郭など、当時の姿がよく留められています。
河南町は、このような戦乱期にはもちろん荒れましたが、16世紀には大々塚で寺院を中心とした町場が形成され、再び発展しました。

そして、17世紀後半から19世紀にかけて、河南町は地方商業都市として大変栄えました。

現在の河南町は、大都市近郊の農業の町として発展し、なにわの伝統野菜などを栽培しています。

以上のように、豊かな自然と歴史的環境に恵まれた河南町を、スマホ片手にこのサイトを閲覧しながら、歩いてみませんか。

河南町のだんじり祭り

だんじり祭りの最盛期というのは団塊ジュニア世代が子供の頃で、1980年代ですね。
ちょうど日本の昭和のバブルの頃とも重なります。
それが今では、少子化であちこちのだんじり祭りが消滅しました。
しかし、田舎の方に行くと、従来通り、だんじり祭りが盛んに行われています。

河南町のだんじり祭りで驚いたのは、女の子の参加が多いということです。
女の子たちが先頭に立って、だんじり祭りを楽しんでいるのです。
これはなかなか興味深いことですよ。

また、私が育った地域のだんじりでは、単に掛け声をかけながら、だんじりを引っ張っていくだけでしたが、河南町のだんじりでは、終始歌いながら、だんじりを引っ張っていきます。
これも私にとっては大変驚きでした。

以下の写真は、夜のクライマックスのだんじり祭りの様子です。
緑色に輝くだんじりが、とても美しいですね。








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